ト・ホンホ分国通信

大内家氏寺と歴代当主の菩提寺

2020年9月16日

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注意

この記事はリライト中です。

 

かなり前に書いたと思われるこの記事。読み返すとかなり目茶苦茶である。
削除しようと思ったけど、タイトル的にはよい。
これを書いた時、仏教の宗派すら区別できなかった。
日本史の知識がゼロだったから。
ならば、今は知識豊富になったのか、と言えば、違う。
ただし、教科書の知識はある。
ここはこういうテーマでリライトするとして、取り敢えず保留。
検索エンジンがあるページを index してくれるかどうかというのはミラクルみたいなもの。ここはとっくに外れているかもしれないけど、ずいぶん前には登録されていたはず。ページの history を大切に。後から上書きすればいいよ。

大内家歴代当主の菩提寺、氏寺

氏寺:興隆寺
菩提寺:
大内重弘・大内弘世 乗福寺
大内弘幸 永興寺
大内義弘 香積寺 現瑠璃光寺(陶弘房菩提寺)
大内盛見 国清寺 現洞春寺(毛利元就菩提寺)
大内持世 澄清寺
大内教弘 闢雲寺 現泰雲寺(小早川隆景菩提寺)
大内政弘 法泉寺 廃墟
大内義興 凌雲寺 廃墟(国指定遺跡)
大内義隆 龍福寺
大内義長 功山寺 ※菩提寺ではないが「墓所」がある。

20220815追記:個々の寺院(現在の姿)についてはそれらの関連個所で、当主たちの墓所についてはそれぞれの説明文の中で触れたいと思うけれども、『山口市史 史料編 大内文化』を参照させていただき、上掲表の当主名と菩提寺名、およびその組み合わせについて確認・修正をすませたことを書き添えておく(第八編 史跡、表1「大内氏歴代の墓所等一覧」平成二十二年、山口市様編集発行)。 

ミル

究極のところ、みんなが図書館でこのご本を読んでくださればいいと思うの。ここに書いたのはほんの一部分だったけど、新たに分かった情報を書き加えてはいないから。

その他一門関係個所

教幸(盛見・子)菩提寺 広沢寺
大内弘直 菩提寺、墓所 普門寺
大内持盛(義弘・子)菩提寺 観音寺

※こちらはまだ確認してないです。

大内家氏寺・菩提寺考

現状

菩提寺は、その多くが今は廃寺となってしまっている。
文字通りの廃墟となったり、あるいは名を変えて、別の寺院として存続している場合もある。逆に、名前は同じでも、場所が変わっていることも。

そもそも創立当時の建物がそのまま残っているケースは稀。
ほぼ皆無と言ってよい。
何らかのかたちで、奇跡的に残っている場合は間違いなく国宝クラス。

日本家屋の特徴として、木造だから火災などで簡単に燃える。
長い歴史の中で、戦争、自然災害などの不可抗力であっけなく消失の憂き目にあった文化財は数え切れない。
そんな困難な状況下でも、大切に守られて来た文化遺産さえ、経年劣化による損壊の危機は免れない。今なお、現代の巧みたちが、熟練の技を駆使して、解体修復工事を繰り返しているのだ。
人々のたゆまぬ努力で、守り伝えられてきた文化遺産を、これからも大切にしていかねばならない。

大内家の菩提寺たちに、かつての面影はない。
それでも、何らかの伝承がある限り、そこへ向かう価値はある。失われてしまったことも、姿を変えてしまったことも、すべて含めて歴史なのだ。

廃墟と化した訳と毛利家による補修保管

大内家の菩提寺が廃れてしまった理由は、お家の滅亡によって、管理する人々がいなくなった、ということも勿論大きい。
我々とても、墓じまいなんてことを話題にしている昨今、墓参りや法事など行わなくなって墓所を放置、寺にも挨拶に行かない、という現状であるから、イマドキは寺院の経営というのも難しいことになっている。
今よりは信仰心が篤かった中世の人々と寺院の関係であっても、大大名の菩提寺という地位にあった名刹が、保護してくれる大名家が消えてしまったとなれば、経営は苦しくなって当然である。
加えて、大内家を滅ぼした毛利家、特に、江戸時代、防長の地に「押し込められ」ることになった毛利家にとって、かつての大内家の栄耀栄華の名残である建造物を「目に見えるかたち」で存続させていくことは、いつまでも地元の方々に、大内家への思慕の念が継承されていくという点から望ましくなかったらしい。
それで、転封後の最初の当主・毛利輝元は、大内文化の残照とでもいうべきそれらの建造物を破壊してしまったらしい。
大内文化研究の権威である先生方のご本で、ちらとそのような記述を見かけ衝撃を受けた。しかし、毛利家にしても、毛利元就の墓地などは広島県にあるわけで、ゆかりの深い土地から追い出されて辛かったであろうな、と思う。
それに、寺院の移転というのは、けっこう至る所で行われているようで、何も毛利家に限った事ではない。寺院自身が財政難で身売りしていたり、諸々の事情で、元○○寺跡地に移築された××寺というものは珍しくない。
さらに言うと、実際には、毛利家が補修工事を行って来てくれたお陰で、現在まで存続している寺社も数多いのであって、いわば、大内⇒毛利の連係プレーで今に伝えてくれたのである、と考えている。

それにしても複雑すぎる寺院の変転

菩提寺が不幸にも廃寺となってしまったり、場所や名前が変わってしまったり……と書いたけれども、場所や名前の変更がものすごいことになっている寺院がある。これは周防長門特有の事情なのか、日本全国そうなのか、ほかの地域のことを知らないのでわからない。

寺院Aが寺院Bの跡地に入ったのち、寺院Cと合併。名前が寺院Aとなる。やがて、その新生寺院Aがまたしても寺院Dと統合され……と、わけがわからない。歴史読み物の中に登場する寺院Aに関心を抱き、現在も存在するAという寺院がそれだろうと思って向かうと、まるで別物だったりすることも。

よく話題に上るのが雪舟庭園で有名な常栄寺。この寺院は毛利隆元の菩提寺だが、元は毛利家のふるさと安芸国にあったものだ。しかし、毛利家の本拠地が周防長門に変えさせられるにあたり、この寺院も引っ越して来た。移転先は大内盛見菩提寺だった国清寺跡地。え? 国清寺があった場所には現在、洞春寺があるはずでは? その通りで、そもそも、常栄寺は別の場所にちゃんとあるではないか。

つまり、常栄寺は国清寺跡地からさらに他へと引っ越したのである。そして、洞春寺のほうも、元国清寺跡地に来るまで何度か移転を繰り返している。常栄寺は現在の地に落ち着くまで、場所替え、名称変更、他寺との合併などややこしいことだらけ。興味深いのは合併されたのが、隆元の妻・妙寿院の菩提寺だったこと。ただ夫婦一つになって微笑ましいなどとは、言っておられない。

隆元夫人の菩提寺妙寿寺は、元大内教弘夫人の菩提寺・妙喜寺の場所に造られていた。夫・隆元の菩提寺は妻の菩提寺にやってきて一つになってしまったわけだが、この時、妙寿寺も常栄寺も、それぞれ名称を変更していたから、どこの何の寺がひっついたのか、とてもわかりにくい。

ここでやっと気が付く。観光客のみなさんが雪舟庭園だと感激している常栄寺は、元々は教弘夫人の菩提寺だったのだなぁ、ということに。夫人の墓所もこの地にあるというが、ややこしいのは現在もほかの場所に、妙喜寺という寺院が存在すること。さらにいうと、妙寿「寺」ではないけれど、妙寿院という寺院もある。移転や名称の変更を繰り返した後、以前の名前に戻る、という事例も少なくない。ゆえに、元々の妙喜寺が現在の場所に引っ越していたり、名前を変えた後、夫の菩提寺に吸収合併(?)された妙寿院さまがまた新たに分かれ出て、新しい場所で元の名前に戻ったこともありうる。

というようなことを、簡単には調べられないので、非常にメンドーでわかりづらいのである。

一言

ところで、菩提寺というと我々下々の者にも「先祖代々の~」があるわけだが、たいていは○○家の菩提寺、ってことになっているものかと。なので、曾祖父母、祖父母、両親、本人、子ども、孫……と一族はすべて同じ寺となるはず。
無論、結婚して他家の戸籍に入ったり、家出したり、立身出世して、実家を遠く離れて、あらたに墓地をつくるケースもあるだろうが。
陶家のところで見た通り、陶家には陶家の菩提寺・龍文寺というものが存在した。で、あるならば、大内家の菩提寺、というものがあって、先祖代々そこに……と、なりそうな気がするのであるが、ここは当主ごとにそれぞれ菩提寺があるのだ……。
お殿様と家臣とでは格が違うってことでしょうか。いいえ。陶家にしても、陶弘房菩提寺瑠璃光寺のごとく、その人おひとりさまの菩提寺はあるわけでして。昔の偉い方々と我々とのスケールが違うということのようですね。どうやら。
よく、中国の皇帝なんかが、生前から死後己が埋葬されるべき墳墓の建造を始めていて、生涯墓づくりやってた、なんて笑える話を昔読んだ気がする(記憶の彼方です)。
何にせよ、当主ごとにそれぞれ異なる菩提寺がある、というのはすごいことですね。

五郎

俺にも専属の菩提寺を造ってもらえるかな?

ト・ホンホ

愛しい妻と孝行息子ができれば期待できそうだな。俺など二ヶ所も菩提寺があるぞ。

五郎

外国の事情なんかきいてない。

ミル

いいじゃないの。ご先祖さまが来た国の人なんだから。

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大内氏と周防国について語っている未分類記事をまとめて置いてあるところです。人物解説などからはみ出して、まだ新たな CATEGORY 分類をしていないものです。

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