
永福寺・基本情報
住所 〒753-0036 山口市円政寺町3−30
電話 083-922-2544
山号・寺号・本尊 大雄山・永福寺・釈迦如来
宗派 曹洞宗
永福寺・歴史
可児茂公先生の『山口県寺院沿革史』にはこの寺院についての記述がなく、近藤清石先生の『大内氏実録』、御薗生翁甫先生の『趣味の山口』などの記述から整理すると以下のごとくになる。しかし、寺院様に由緒看板などがなく(単に見付けられなかっただけかも)、確認ができないことと、諸先生方のご著作もかなり以前に出版されたものであることから、その後の最新研究が反映されていない可能性があることをお断りしておきます。
大内弘幸の菩提寺・永興寺
大内弘幸の菩提寺は永興寺である、とされており、法名が永興寺殿寒厳妙厳となっていることからもそれは明らか。開山は佛国禅師で、臨済宗寺院であった。岩国にも永興寺があり、そちらも由緒ある寺院だが、ここではそれについては触れない。
岩国ではなく、山口にも永興寺という寺院が存在していたことは、「文明十八年の大内家壁書に見ゆるのでも分明」(『趣味の山口』)。山口の永興寺は古熊にあったと考えられており、その場所には弘幸の墓もあり、現在もお参りすることができる。
その元永興寺があった場所に、永福寺が建てられたらしい。再建されたのか、新たに建てられたのかそこが書かれていないので、よく分らない。古熊の永興寺を、永福寺と名前を改めただけかも知れない。
『大内氏実録』だと、白石の地にも永興寺があって、永福寺は元々永福寺の名で古熊に存在していたけれど、弘幸がその地に埋葬されたことによって、菩提寺と墓所が分れていることが不便なので、ひとつとし、古熊の永福寺に移したのだ、という説も紹介している。
このあたり、非常にわかりにくい。寺伝が知りたいと思うのに、なぜ『山口県寺院沿革史』に記載がないのだろうか。弘幸菩提寺(永興寺)が他所から移って来て統合されたにせよ、元々は存在していたがなくなってその跡地に新たに別の寺院が建てられたか名前だけ変ったかにせよ、古熊の地に永福寺という寺院があったことは確かのようで、その寺院が明治時代に古熊を離れ、現在地に移転したのである(御薗生翁甫先生以降にさらに移転していたとしたら、『現在地』はその当時とは違うかもしれない。その場合、本によって典拠をあげることができない)。
永興寺が永福寺となっても、弘幸の墓や位牌はそのまま受け継がれたが、位牌は「永福寺殿寒巌妙巌大禅定門」となった。寺院の名前が変ったことから、「位牌も改められたのであろう」(『趣味の山口』)。またこの寺院が所蔵している「文書箱の底」に「明應五年丙辰林鐘日永福永寔」と書かれていることは、お二人の先生方がともに言及しておられる。
その後、大永元年に慶香省賀和尚を開山として、円通寺が建立された。大内義隆は慶香省賀を永福寺主としたので、永福寺は円通寺の末寺となり、宗派も臨済宗から曹洞宗へと変った。円通寺は廃寺となってしまったが、永福寺のほうは今に続いている。
まとめ
大内弘幸の菩提寺:永興寺(現在は跡地のみ)⇒ 永福寺と改名
永福寺:臨済宗から曹洞宗に改宗、円通寺の末寺となる
円通寺はなくなったが、永福寺は場所を変えて存続している
永福寺・みどころ
あれこれとわからないことだらけだけれど、現在の永福寺は清潔感溢れる立派な寺院。ただし、寺地の変遷や寺号や宗派が変るなど、元弘幸菩提寺の現在地、という雰囲気はまったくない。むしろ、境内にある山口八十八ヶ所のほうを探して訪れる方が多いかもしれない。
弘幸の墓は元々の所在地・古熊にあるので、そちらもあわせてお参りする必要がある。
山門
大内菱
どこかに何らかの面影が残されていないだろうか……と、山門を見たら大内菱の装飾があった。まぎれもなくゆかりの寺院である、と感激した瞬間だった。
石仏群
このようないかにも年代物と思われる石仏などがあった。
山口八十八ヶ所「五拾六番」
八十八ヶ所巡りをやっておられる方の「五拾六番」がここらしい。ほかにも地蔵堂と思しき堂宇が隣にあった。
附・大内弘幸公の墓(旧永興寺跡・古熊)
ご注意
弘幸墓は現在の永福寺ではなく、移転前の古熊にあります。
永福寺が古熊にあった時の場所、そこは元永興寺跡地でもあり、大内弘幸の墓と伝えられる石塔が残されている。現状、現在の永福寺と弘幸菩提寺とを結びつけるものは何もなく、かつての面影を探りたいのなら、移転前の場所を訪れるしかない。
古熊神社の脇を入っていくと、弘幸の墓所がある。案内版矢印がついており、大きな鳥居もあるので、そう見付けにくい雰囲気ではない。
このように看板がついています。看板には山口十境詩が書かれています。それはこの地が、詩に詠まれた「猿林」の地であることから。十境詩の石碑と説明板は古熊神社鳥居のところにあります。
立派な鳥居が建っている後ろにお墓がありました。付近にはこれ以外にも古墓がたくさんあり、いかにもかつて寺院の墓地だったように思われます。
この場所には、郷土史の先生のご厚意でお連れいただきました。この場を借りて御礼申し上げます。かつての永興寺について、山とご説明を拝聴したのに、帰宅したらほとんど記憶が抜け落ちてしまっていました……。たくさんの資料も頂戴したので、そのうち整理したいです。

そのうち、って永遠に来ないんだよな、ミルの場合。

努力します……。
アクセス
山口駅から歩けます。

歩いたらどれだけかかるの?

ミルは時計なんて見ないんだよ。歩いて行ったことは間違いない。
アクセス
山口駅から車に乗せていただきました。古熊神社の近くです。
参照文献:『大内氏実録』、『趣味の山口』
※郷土史の先生から貴重な資料を拝領してますが、まだ読み込めていないので反映してません。