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永福寺(山口市円政寺町)

2023年1月16日

永福寺・山門
永福寺山門前にて

山口県山口市の永福寺とは?

大内弘幸公の菩提寺・永興寺が、名前を変えてこの地に移転してきた寺院だとされています。永興寺は岩国にも同名の寺院さまがあり、全く同じ年代、同じ開山で建立された模様です。ともに高峰顕日が開山、創建年は延慶二年(1309)です。しかも、子息・弘世公は、お父上の菩提を弔うため岩国の永興寺を整備拡張し、仏像を安置するなどしており、まったく同名の二つの寺院さまが存在することは謎です。

けれども、先生方のご研究により、この永福寺が元・永興寺であり、元・永興寺が弘幸公菩提寺であったことははっきりしているので、二箇所にあった、としか申し上げられません。

なお、移転前の寺地は山口市古熊で、跡地には弘幸公墓所とされる供養塔が残されています。弘幸公墓所の付近には、山口十境詩に詠まれた「猿林」と呼ばれる場所があります。

永福寺・基本情報

住所 〒753-0036 山口市円政寺町3−30
山号・寺号・本尊 大雄山・永福寺・釈迦如来
宗派 曹洞宗

永福寺・歴史

可児茂公先生の『山口県寺院沿革史』にはこの寺院についての記述がありません(涙)。近藤清石先生の『大内氏実録』、御薗生翁甫先生の『趣味の山口』などの記述から整理すると下のような感じとなります。でも、寺院さまに由緒看板などがなく(単に見付けられなかっただけかも)、確認ができないことと、諸先生方のご著作もかなり以前に出版されたものであることから、その後の最新研究が反映されていない可能性があることをお断りしておきます。

大内弘幸公の菩提寺・永興寺

大内弘幸公の菩提寺は永興寺である、とされていて、法名が「永興寺」殿寒厳妙厳さまとなっていることからもそれは明らかです。開山は佛国禅師で、臨済宗寺院でした。岩国にも永興寺があり、そちらも由緒ある寺院。なにゆえに同名の寺院が二つ? と思うけれど、確かに二つ存在していた、ということ以外は謎です。⇒ 関連記事:永興寺

岩国ではなく、山口にも永興寺という寺院が存在していたことは、「文明十八年の大内家壁書に見ゆるのでも分明」(『趣味の山口』)。山口の永興寺は古熊にあったと考えられていて、その場所には弘幸公の墓もあり、現在もお参りすることができます。

その元・永興寺があった場所に、永福寺が建てられたようです。先生方のご本には、再建されたのか、新たに建てられたのかが書かれていないので、よくわかりません。古熊の永興寺を、永福寺と名前を改めただけかも知れません。

『大内氏実録』だと、白石の地にも永興寺があって、永福寺は元々永福寺の名で古熊に存在していたけれど、弘幸公がその地に埋葬されたことによって、菩提寺と墓所が分れていることが不便なので、ひとつとした。つまり、白石の永興寺を古熊の永福寺に移した(ひとつにまとめた?)のだ、という説も紹介されています。

このあたり、非常にわかりにくいです。寺伝が知りたいと思うのに、なぜ『山口県寺院沿革史』に記載がないのでしょうか。弘幸公菩提寺(永興寺)が他所から移って来て統合されたにせよ、元々は存在していたけれどなくなってしまい、その跡地に新たに別の寺院が建てられたにせよ、もしくは名前だけ変ったにせよ、古熊の地に永福寺という寺院があったことは確かのようです。その永福寺が明治時代に古熊を離れ、現在地に移転したのです(御薗生翁甫先生以降にさらに移転していたとしたら、『現在地』はその当時とは違うかもしれません。その場合、本によって典拠をあげることができなくなります)。

永興寺が永福寺となっても、弘幸公の墓や位牌はそのまま受け継がれましたが、位牌は「永福寺殿寒巌妙巌大禅定門」と変りました。寺院の名前が変ったことから、「位牌も改められたのであろう」(『趣味の山口』)とのことです。また、この寺院が所蔵している「文書箱の底」に「明應五年丙辰林鐘日永福永寔」と書かれていることは、お二人の先生方がともに言及しておられる点です。

その後、大永元年(1521)に慶香省賀和尚を開山として、円通寺が建立されます。大内義隆は慶香省賀を永福寺主としたので、永福寺は円通寺の末寺となり、宗派も臨済宗から曹洞宗へと変わりました。そのご、円通寺は廃寺となってしまいましたが、永福寺のほうは現在まで続いているのです。

まとめ

大内弘幸の菩提寺:永興寺(現在は跡地のみ)⇒ 永福寺と改名
永福寺:臨済宗から曹洞宗に改宗、円通寺の末寺となる
円通寺はなくなったが、永福寺は場所を変えて存続している

永福寺・みどころ

あれこれとわからないことだらけだけれど、現在の永福寺は清潔感溢れる立派な寺院。ただし、寺地の変遷や寺号、宗派の変更など、元・弘幸公菩提寺の現在地、という雰囲気はまったくないです。むしろ、境内にある山口八十八ヶ所のほうを探して訪れる方が多いかもしれません。

弘幸公のお墓は元々の所在地・古熊にあるので、そちらもあわせてお参りする必要があります。

山門

永福寺・山門の大内菱どこかに何らかの面影が残されていないだろうか……と、山門を見たら大内菱の装飾がありました。まぎれもなくゆかりの寺院である、と感激した瞬間です。

石仏群

永福寺・石造物群

このように、いかにも年代物と思われる石仏などがありました。

山口八十八ヶ所「五拾六番」

永福寺山口八十八ヶ所「五十八番」

八十八ヶ所巡りをやっておられる方の「五拾六番」がここのようです。ほかにも地蔵堂と思しき堂宇が隣にありました。

附・大内弘幸公の墓(旧永興寺跡・古熊)

ご注意

弘幸公のお墓は現在の永福寺ではなく、移転前の古熊にあります。

永福寺が古熊にあった時の場所、そこは元永興寺跡地でもあり、大内弘幸公の墓と伝えられる石塔が残されています。現状、現在の永福寺と弘幸公菩提寺とを結びつけるものは何もなく、かつての面影を探りたいのなら、移転前の場所を訪れるしかありません。

古熊神社の脇を入っていくと、弘幸公の墓所があります。案内版矢印がついており、大きな鳥居もあるので、そう見付けにくい雰囲気ではないです。

猿林

このように看板が立っています。看板には山口十境詩が書かれています。それはこの地が、詩に詠まれた「猿林」の地であることから。十境詩の石碑と説明プレートは古熊神社鳥居のところにあります。⇒ 関連記事:山口十境詩とは?

大内弘幸墓

立派な鳥居が建っている後ろにお墓がありました。付近にはこれ以外にも古墓がたくさんあり、いかにもかつて寺院の墓地だった場所のように思われます。⇒ 関連記事:大内氏歴代当主の菩提寺と墓所

この場所には、郷土史の先生のご厚意でお連れいただきました。この場を借りて御礼申し上げます。かつての永興寺について、山とご説明を拝聴したのに、帰宅したらほとんど記憶が抜け落ちてしまっていました……。たくさんの資料も頂戴したので、そのうち整理したいです。

五郎不機嫌イメージ画像
五郎

そのうち、って永遠に来ないんだよな、ミルの場合。

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ミル

努力します……。

永福寺(山口市円政寺町)の所在地・行き方について

所在地 & MAP

永福寺・所在地 〒753-0036 山口市円政寺町3−30
弘幸公墓所・所在地 〒753-0031 山口市古熊1丁目10(所在地はGooglemap のものです)

アクセス

永福寺

山口駅から歩けます。

弘幸公墓所 

古熊神社の脇の道を上がっていきます。神社には入らず、「約100メートル手前から右」(典拠:『大内文化探訪ガイド No.1中世文化の里』)手の道を進む感じです。古熊神社までは上山口駅から行きます。

参照文献:『大内文化探訪ガイド No.1中世文化の里』、『大内氏実録』、『趣味の山口』
※郷土史の先生から貴重な資料を拝領してますが、まだ読み込めていないので反映してません。

永福寺(山口市円政町町)について:まとめ & 感想

永福寺(山口市円政町町)・まとめ

  1. 大内弘幸の菩提寺・永興寺が前身と思われる
  2. 現在地に移る前は、山口市古熊にあった。移転前の「跡地」に、弘幸墓が残されている
  3. 弘幸墓の付近は、山口十境詩に詠まれた「猿林」がある
  4. 岩国にも永興寺があり、いったん衰退し再興されたという経緯をもつものの、現在にも続いている

普通に現在の町中にある寺院さまです。町歩きしていたらありました、って感じです。観光客のためというよりは、檀家の方々のために存在する地元密着型寺院さまだと思われます。元大内弘幸公菩提寺とか、そのような名残は欠片もないです。その点、むしろ岩国の永興寺さまのほうが、由緒ある寺院であることを前面に押し出してアピールなさっておられます。また、岩国の観光スポット密集地帯の中にあることからも、知名度も高いです。

なにゆえに、同じ名前の寺院が二つあるのかということが謎でしかなく、どこかに先生方のご研究があると思うのですが、現状は探せておりません。少し探してわかったことは、二つともまったく同じ開山、同じ年代の創建であったという摩訶不思議な事実です。なにゆえに、二つも必要だったのだろうな? と思います。

どう考えても、歴史上頻繁に登場するのは岩国の永興寺のほうであり、なぜか山口にもあったことは「文明十八年の大内家壁書に見ゆるのでも分明」ってなると、典拠は壁書だけってことに。岩国まで墓参りするの面倒なので、山口にも造ったみたいに考えてしまいますが、開山も創立年代も同じとか??????? 興味は尽きないですが、これ以上のことはわからないので、とりあえず山門に大内菱あったよ、ってことでおしまいです。

こんな方におすすめ

  • 大内氏歴代当主の菩提寺を回っています(念のため岩国にも行ってください。あと、お墓はここにはないです)
  • とにかく大内弘世公が好きなので、お父上にゆかりがあるとすればそこも行きます。もしくは、弘幸公その人が好きなので。

オススメ度


(オススメ度の基準についてはコチラをご覧くださいませ)

新介涙イメージ画像
新介

永福寺まで、歩いたらどれだけかかるの?

五郎通常イメージ画像
五郎

ミルは時計なんて見ないんだよ。歩いて行ったことは間違いない。

瑠璃光寺五重塔記念撮影
五郎とミルの防芸旅日記

大内氏を紹介するサイト「周防山口館」で一番の人気キャラ(本人談)五郎とその世話係・ミルが、山口市内と広島県の大内氏ゆかりの場所を回った旅日記集大成。要するに、それぞれの関連記事へのリンク集、つまりは目次ページです。

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宗景(サイトキャラ)イメージ画像
大内氏歴代当主の菩提寺と墓所

大内家氏寺と歴代当主の菩提寺と墓所についてのまとめ。二十一代・弘家~三十一代・義隆(+三十二代・義長)すべての所在地と現状についてご紹介してます(山口県外にある義弘墓以外すべて現地に赴いてお参りしました)。※墓所はあくまで「伝承」地です。

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  • この記事を書いた人
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ミル@周防山口館

大内氏を愛してやまないミルが、ゆかりの地と当主さまたちの魅力をお届けします

【取得資格】
全国通訳案内士、旅行業務取扱管理者
ともに観光庁が認定する国家試験で以下を証明
1.日本の文化、歴史について外国からのお客さまにご案内できる基礎知識と語学力
2.旅行業を営むのに必要な法律、約款、観光地理の知識や実務能力

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