イマドキやまぐち

吉香神社(岩国市横山)

2024年6月30日

吉香神社・国指定重要文化財標識

山口県岩国市横山の吉香神社とは?

吉川家歴代の霊を祀ったいわゆる祖霊社です。元城主の居館跡だった地に建てられています。元々は、吉川元春・元長父子が吉川興経の霊を祀った光大明神社がその始まりです。当時の領国、安芸国にありました。

江戸時代の中頃、岩国の白山神社境内に遷されて、再建され、名前も治功大明神と変りました。改名はそれ以前にも、何度か行なわれたようです。

明治期、廃藩置県とともに東京へ移った当主とともに、神社も移転されることになったようですが、地元の方々の強い希望により、この地にも残され、いくつかの神社を合せて「吉香神社」となりました。

吉香神社・基本情報

ご鎮座地 〒741-0081岩国市横山2ー8−5
御祭神 吉川元春、吉川経義、吉川友兼、吉川経基、吉川興経、吉川元長、吉川広家、吉川経幹、吉川広嘉※
社殿 本殿、拝殿、神門、神饌所、神楽所
境内神社 褒忠社(吉川経家ほか殉死者二〇五柱)
主な建物 鳥居、注連石、狛犬、手水舎、灯籠ほか
主な祭典 春祭(四月二日)、秋祭(十一月三日)
奉納芸能 献花、献茶、南条踊 
※昭和三十九年に吉川家正統当主十九柱を合祀、合計二十八柱
(参照:『山口県神社誌』)

吉香神社・歴史

もともとは、吉川元春・元長父子が安芸国山県郡新庄村龍山八幡宮境内に建てた「光大明神社」が前身。元亀四年(1573)、吉川興経の霊を慰めるためでした。その後、広家の代に、吉川家は岩国に引っ越し。岩国城を建て、居館を造り……というのが、関ヶ原の合戦後(1600)のこと。

しかし、吉川興経の神社はそのままだったようでして、ただ名前だけが次々に変りました。
霊社大明神(寛永十八年、1641)⇒ 鋒垂明神(宝永七年、1710)

正徳元年(1711)に漸くこの地に遷され、白山神社の境内に再建されたそうです。さらに、なおも改名が繰り返されます。
鋒垂大明神(享保十二年、1727)、治功大明神(延享元年、1744)

明治維新後、廃藩置県で吉川経建は東京に引っ越し。地元の人々は、神社を後世に伝えるためにと相談して、明治七年(1874)に認可され、八柱の神(おそらく八名の元当主)を合祀、「吉香神社」と名を改めました。そのご、明治十八年(1885)に現在地に遷されました。

……というようなことが、神社庁さまのご本には書かれているのですが、分るようなわからないような。

『神社誌』に抜粋が引用されていた『岩国市史』の記事も合せて拝読し、これまたわかりにくいものの、だいたい以下のようなことかと。

維新後のご当主さまが、東京に居を移すにあたり、神社もともに移転しようという話があった(実際、移転したのかは書いていないので不明。神社は何カ所にも勧請できるため、お殿様が東京で参詣するように移転させても、元の場所に残すことは可能ゆえ)。地元の人は神社がなくなるのは寂しいと思い、「吉香神社」を造りたいと県に願い出。許可された次第。

白山神社の境内には、治功大明神のほかにも、高秀神社(祀吉川経義)、鎮昭神社(祀吉川広家)があり、両御神社といわれていた。この一社+二社が、のちの吉香神社となる。

県から許可が下りたので、治功神社(治功大明神のことと思われる)の旧社殿に安置(ほかの神社の神さま方をという意味?)。そのご、旧城跡に神社を移転する許可を得て、現在地に遷した。そして、そこに褒忠社を移転。明治十九年に完成した。

神社を東京に持ってかないで! 地元にも残して! という地元の方々の願いが叶ったことは分ったのですが、社殿の変遷などが微妙にわかりにくい……。

吉香神社・みどころ

国指定重要文化財となっている神社のお姿をご堪能ください。なお、神社さまの社宝は刀剣でして、岩国は本当に刀剣だらけです。

反り橋

吉香神社・反り橋

吉香神社反り橋なるものが、Googlemap に載っていました。神社に続く橋の写真があったので、これのことかと。しかし、反っている部分がわからない写真です。

鳥居

吉香神社・鳥居

鳥居は全部で四つ。注連石も四つございます。立派ですね。

手水舎

吉香神社・手水舎

重要文化財標識と由緒看板

吉香神社・灯籠と由緒看板

「国指定重要文化財
吉香神社
拝殿及び幣殿三棟
神門
鳥居 一基
付 棟札 二枚
指定年月日 平成十六年十二月十日
所有者 宗教法人 吉香神社
吉香神社は岩国藩主吉川氏歴代の神霊を祀る神社で、現社殿は、享保十三年(一七二八)横山の白山神社内に造営され、明治十八年(一八八五)に旧城跡の現在地に移築されたものです。鳥居、神門、拝殿及び幣殿、本殿が南から北に一直線に並んだ構成となっています。
神門は、小型の四脚門で冠木中央に吉川家家紋があり、拝殿は、入母屋造妻入りで背面に幣殿が張り出し、 本殿は、三間社流造で正面に軒唐破風、千鳥破風が付されています。
いずれも軸部から小屋組まで当初形式をよく保持しており、充実した細部を備えた丁寧なつくりとなっています。特に本殿と拝殿および幣殿は独特な形式で複雑な架構と屋根形式を巧みにまとめていて、独自性が認められます。
全国的にも数少ない祖霊を祀る神社建築で、全体に岩国藩大工の質の高い技術が窺え、地方における江戸中期の優品として、高い価値が認められます。
岩国市教育委員会」
(看板説明文)

神門

吉香神社・神門

重厚感溢れる感じですね。

社殿

吉香神社・社殿

重要文化財が雨に降られています。これまた風情がありました。

錦雲閣

吉香神社・錦雲閣

堀の前に佇むお姿は、いかにもかつての居館の一部に違いないと思われ、何あれ、何あれ!? と興奮しながら見ていました。しかし、残念ながら、城跡の建物遺構ではありません。明治時代に建てられた吉香神社の絵馬堂です。櫓に似せた姿にしたとのことで、いかにもそれらしく見えてしまいますが、建築年代的にはそんなに古い物ではないのです。

しかし、この建物に魅せられる人は少なくなく、四季折々の姿を写真におさめておられるとか。吉香神社はとなりの吉香公園同様、公園化されていますので、神社の社殿以外にもみどころがあるのです。ちなみに、こちらの錦雲閣は、社殿からはとても離れていますので、神社を「公園化されている」と意識して歩かないと辿り着かないと思います。。建物じたいはとても目に付くので、遠くからでも見付けられるのですが。

田中穂積先生胸像

吉香神社・田中穂積胸像

「田中穂積先生略伝
田中穂積先生は安政二年十一月四日岩国市横山三丁目(千石原)に誕生。 父は田中判右衛門、母は黒杭氏である。先生は幼少より音楽に天賦の才を有し、慶応三年は日新隊鼓手となり、更に明治六年海軍軍楽隊に入り五等鼓手を振り出しに終世軍楽隊に籍をおいて、その発展に貢献するところ大であった。
明治二十八年大本営附として広島に赴き明治天皇の側近に奉仕し、同三十二年累進して海軍軍楽長となり、 同年の夏、清国揚子江方面に出勤、三十七年、心臓の宿病を冒し、軍楽隊を率いて戦没者の葬儀に参列、これが為、肺炎を併発して 明治三十七年十二月三十一日あたら不世出の才幹を抱きながら享年五十歳で佐世保海軍病院にて永眠した。
先生は自ら持すること謹厳、人に接すること謙譲その卓越した識見と高潔な人格は、世人の讃仰己まないところであった。先生の作曲には、不朽の名曲「美しき天然」を始め 「黄海海戦記念行進曲」「如何に狂風」「南洋航路行進曲」等世に喧伝せられるものが多い。
あの世界に名を映せている軍艦マーチも、その原曲は先生の手になるものと言われている。
先生が逝去されて五十年を迎えた昭和二十九年に田中穂積顕彰会が設立され、先生の違芳を後世に伝えるため徳風を追慕してここに胸像がたてられたものでその後更に昭和五十一年三月岩国錦ライオンズクラブの寄贈により看板 及び胸像は改造された。
昭和三十一年三月
岩国市教育委員会
田中徳情顕彰会
岩国錦ライオンズクラブ
平成三十一年一月更新」
(看板説明文)

吉香神社(山口県岩国市横山)の所在地・行き方について

ご鎮座地 & MAP 

ご鎮座地 〒741-0081岩国市横山2ー8−5

※Googlemap にあった住所です。

アクセス

岩国、新岩国駅から錦帯橋行きのバスに乗って岩国城下町に行き、町歩きしながらすぐです。

参考文献:『山口県神社誌』

吉香神社(岩国市横山)について:まとめ & 感想

吉香神社(岩国市横山)・まとめ

  1. 吉川家歴代の霊を祀った神社
  2. 廃藩置県により、当主とともに東京に移るところだったが、地元の方々の思いが通じて岩国に残された
  3. いっとう最初の前身は、吉川元春・元長父子が吉川興経の霊を祀った神社で、光大明神社いい、広島にあった
  4. その後改名を繰り返し、江戸時代にこの地に遷され、白山神社境内に再建されていた
  5. 白山神社にはほかにも吉川経義を祀る高秀神社、吉川広家を祀る鎮昭神社などがあり、これらを合せたものを治功神社(元の光大明神社が名を変えた社)に合祀、さらに旧城跡である現在地に遷した
  6. そのご、昭和時代になって、吉川家の歴代すべてを合祀し合計二十八柱を祀る
  7. 社殿は江戸中期の建築様式を今に伝える貴重なものであり、鳥居や神門などと合せて国の重要文化財にしていされている

雨がしとしと降っていたこともあり、傘に隠れて貴重な境内神社を見落とした模様です。岩国の魅力は町全体がみどころで溢れているところです。ですが、見る物が多すぎて、ついうっかりが多くなりがちです。至る所に看板や、順路案内があるにもかかわらず。普通に考えて、錦帯橋と岩国城と思うはずですが、それだけではないのです。

周囲の景色が麗しすぎることも災いし、立ち止まっては下手な写真を撮っているうちに現在地とどこまで見たのかを忘れてしまいます。規模の上ではかなり劣りますが、山口市同様、何度も足を運んで隅々見尽くすことが推奨されます。お城や橋とて、一度きりで終わりにはならないですよ。

神社や寺院も、ほかにもたくさんある模様ですが、なにぶん、時間的制約もあり、一度にすべては無理です。しかし、来る度に同じものばかり見て帰っている気もします。いずこの観光地にせよ、そのくらい入れ上げてもらわないと、すべてを味わい尽してもらうことはできません。まだまだ長いお付き合いが続きそうな町です。

こんな方におすすめ

  • 普通に神社巡りが好きな方
  • 吉川家が好きな方

オススメ度


(オススメ度の基準についてはコチラをご覧くださいませ)

ミル吹き出し用イメージ画像(涙)
ミル

ねえ、なんか見落としてないかな?

五郎吹き出し用イメージ画像(怒る)
五郎

ん? あっ、境内神社だ! ミルが水溜まりにはまって転んだからいけない!

鶴千代吹き出し用イメージ画像(仕官)
鶴千代

何!? お前たち、褒忠社を参詣せずに帰ってしまったのか!? 境内にあったはずだぞ!

五郎吹き出し用イメージ画像(涙)
五郎

真横にあっても見ないで帰ってしまうのがミルだから。

鶴千代吹き出し用イメージ画像(仕官)
鶴千代

間抜けな世話係が見付けられずとも、お前なら見付けられるはずだろうが。結局主従そろって間抜けなのだな。

ミル吹き出し用イメージ画像(涙)
ミル

(言いたかったこと言ってくれて嬉しいんだけど、主従揃って間抜けとか、あんまりじゃん)

※褒忠社は、境内神社扱いですが、社殿のすぐとなりではありません。神社は公園化されていることをわすれずに、隅々ご覧くださいませ。

鶴千代イメージ画像
藩政期・明治維新・現代の観光資源

大内氏について語るというメインテーマとは外れる県内の主要観光資源についてご紹介している記事の目次ページです。当然のことながら、毛利氏に関するところが多いので、広島県内の訪問済み箇所も混じっています。

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  • この記事を書いた人
ミルイメージ画像(アイコン)

ミル@周防山口館

大内氏を愛してやまないミルが、ゆかりの地と当主さまたちの魅力をお届けします

【取得資格】
全国通訳案内士、旅行業務取扱管理者
ともに観光庁が認定する国家試験で以下を証明
1.日本の文化、歴史について外国からのお客さまにご案内できる基礎知識と語学力
2.旅行業を営むのに必要な法律、約款、観光地理の知識や実務能力

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