イマドキやまぐち

香山公園(山口県山口市)

2022年9月14日

香山公園石碑
ミルイメージ画像(ガイド)
ミル

山口市民の憩いの広場、香山公園でございます。山口開府の父・大内弘世公から明治維新の志士たちまで。あれもこれもいっぱい詰まった宝箱のような公園です。今回は瑠璃光寺と五重塔以外の名所をぐるっと回ります。

香山公園・基本情報

所在地 〒753-0081 山口県山口市香山町7−1
最寄り駅 山口駅

香山公園・歴史

観光案内版には、香山公園についてつぎのように記されている。「この地は今から 600年くらい前の大内氏の時代に香積寺のあった跡である。この公園は古くから市民の誇りと敬慕の場として親しまれて来た。今この公園内の由緒あるものを説明すると次のようである」案内板曰く、「由緒あるもの」とは、萩藩主毛利家墓所、勅撰銅碑、露山堂、枕流亭、瑠璃光寺五重塔、瑠璃光寺。

香積寺は大内義弘の菩提寺。五重塔は義弘の弟・盛見が兄の菩提を弔うために、香積寺の中に建立したといわれる。寺院は解体されて萩に移ったが、五重塔は残った。のちに、香積寺の跡地に瑠璃光寺が引っ越して来たから、この地は現在、瑠璃光寺となって、五重塔も瑠璃光寺五重塔である。何となくややこしいが、よくあることだ。

公園には瑠璃光寺&その五重塔はもとより、大内弘世の銅像から明治維新関連の枕流亭や露山堂まであって、山口のイイトコほとんどすべて、一ヶ所で見れてしまいます、という雰囲気。それはとても素晴らしいことなのだが、深く掘り下げようとすればするほど、あまりに見るものが多すぎて圧し潰されてしまう。大内弘世の時代と明治維新とでは、あまりに飛躍しすぎている。これほど長い期間の歴史をすべて理解しようと思うことが所詮無理なのである。

というようなことで、香山公園は何でもありの憩いの広場。大内文化に興味がありますの人も、明治維新勉強してますの人も、五重塔を眺めながら至福の時を過ごせればそれでいい人も、楽しみ方は人それぞれ。何度来ても、何時間いても、楽しみは尽きない、そんな場所です。

五郎不機嫌イメージ画像
五郎

歴史解説じゃないよな、これ。

ミル涙イメージ画像
ミル

だってだって、どこにもこの公園が何年にできました、とか書いてないもん。

香山公園・みどころ

順路案内版の写真

香山墓地 & うぐいす張りの石畳

うぐいす張りの石畳の写真

「萩藩主毛利家墓所」とあるので、本家のお殿様歴代の墓所かと思っていた(敷地広大だし)。しかし、説明看板によれば、十三代・毛利敬親公が萩から山口に移られた後、ここを墓地として使うために造営された、とある。山口で亡くなられた敬親公以降のお殿様、ご子孫の墓地ということになろうかと。

墓地はこの石段を上って行った先にある。毛利のお殿様の身内ではないので、明治維新の偉業に感謝しつつ、ここからそっと手を合せた。

ここら辺で手を叩くと音が反射して響く。それゆえに、「うぐいす張りの石畳」と呼ばれている。

五郎笑顔イメージ画像
五郎

ひゃー、面白い!! パンパン、っと。

ミル涙イメージ画像
ミル

ガイドさんと五郎のは響くのに、ミルが叩いても音が返って来ないの……。

へなっと叩いてはダメなのであって、パンパン、と力強く叩かないといけないようです(特に力いれなくてもいいけど、弱々しすぎると反応しないみたい)。

勅撰銅碑

勅撰銅碑の写真

「勅撰」は勅撰和歌集とかの勅撰、つまり、天皇関係。明治天皇が毛利敬親公の功績を称えるために建立をお命じになった。説明看板によると「篆額は彰仁親王の書、文は川田剛が撰し、それを書いたのが野村素介である」。篆額というのが難しいが、調べてあれこれ出てきたことをまとめると、篆書体で書かれた石碑の題字ってことらしい。野村素介さんという方は、山口市出身の著名な書家であり、この勅撰銅碑は、「日本に数基ある勅撰銅碑の内もっとも美しいものとして有名」。

順路案内版の写真

露山堂

露山堂の写真

毛利敬親公が名君と称えられる所以は色々あるけれども、その中に、身分にかかわりなく様々な人々の意見を聞いた、ということがある。普段はお殿様のお姿などとても拝めないような下級の家来でも、お茶会に招かれるというかたちならば茶室に入れたらしい。元々は現在の県庁あたり、一露山のふもとにあったので、一露山の一の字を省いて露山堂と名付けられた。明治維新後は、場所も持ち主も変遷し、建物も傷んでしまった。明治時代に、品川弥二郎らが買い取ってこの地に移した。(参照:説明看板)

枕流亭

枕流亭の写真

「ちんりゅうてい」と読む。「明治維新史跡」に指定されている。旧安部家の離れで、元は一の坂川河畔にあったのがその名の由来、とある。かつて、この建物の中で、明治維新の有名どころが集まって話し合いがもたれたという。

「幕末、七卿落ち、蛤御門の戦などで薩長両藩に大きな溝ができたが、勤王の大義と討幕の目的のためには、両藩が離反していることは大きな支障であるとして、土佐の坂本龍馬らの奔走によって、両藩連合の話し合いが進 められた。ここにおいて、慶応三年(一八六七) 九月、薩摩の藩士西郷吉之助 (隆盛)、大久保一蔵 (利通)、小松帯刀、大山格之助らが山口に来訪した。
これに対し、長州藩は木戸準一郎 (孝允)、広沢真臣、伊藤俊輔(博文)、品川弥二郎らが迎え、枕流亭の階上において薩長連合の密議をかさね、連合討幕軍の結成を誓ったのである。 実にこの枕流亭は、明治維新のあけぼのをつくった記念すべき建物である。」(山口市教育委員会説明看板)

建物は、何度かの移築を経て昭和35年にこの場所に移ってきた。

こうしてみると、香山公園は大内家ゆかりの云々ではなくて、山口市民のものであって、どの時代の何でも、貴重なものはここに集められるんだな、と感じる。

若山牧水歌碑

若山牧水歌碑の写真若山牧水が二十一歳の時、五重塔を見て詠んだ歌「はつ夏の 山のなかなる ふる寺の 古塔のもとに 立てる旅人」を刻した歌碑。昭和39年(1964)6月3日制作、材質は花崗岩。同じ花崗岩は、明治時代、皇居造営の礎石としても使われたほどの良質なものである。

若山牧水は宮崎県出身の有名な歌人。名前くらいしか知らないけど。「白鳥は 哀しからずや 空の青 海のあをにも 染まずただよふ」という有名な作品をガイドさんに教えていただいた。有名なので、確かにどこかできいたことがあった。何と美しい情景を詠んだ歌なのだろうか、と(よく分らないけど)感じるこの歌、じつは背後に複雑な恋愛関係が隠されているとかいないとか。知らなければそれまでなのに、わかってしまうと思い浮かぶ景色もただの麗しい情景ではなくなってしまう。まあ、歌などというものは、詠んだ本人に問い合わせなければ本当の意味などわからないものである。

なお、この石碑に書かれた文字は、牧水夫人の手になるものであるという。(参照:説明看板、山口市様 HP)

友廣保一歌碑

友廣保一歌碑の写真

友廣保一という方は、山口県様 HP の「やまぐちの文学者たち」のリストにお名前が載っているが、現在リンクが切れていてお名前の読み方が「ともひろやすいち」さんであること以外、調べられなかった。説明看板によると、「アララギ」の同人で斎藤茂吉などの直弟子。長年に渡り山口県の歌壇に貢献した方であるとのこと。この石碑はその功績を称えるために立てられたもので、「在り慣れて散歩のところ池の辺に五重塔に心はよりて」という歌が刻されている。

ガイドさんから、この背後にある木についてのお話をうかがったのに、木の名前を忘れてしまいました。神社や寺院によく植えられている樹木とのことで、ご一緒している間、ほかの神社でも見かけて教えてくださったのですが。この木、何だったろう(涙)。

司馬遼太郎「街道をゆく」長州路の碑

司馬遼太郎「街道をゆく」長州路碑の写真

こちらも、ガイドさんからエピソードをお伺いしたのですが、やはり忘れてしまった……。

大内弘世公像

大内弘世公像の写真

山口に本拠を移したのは、大内弘世である、というのが通説。市内には弘世時代創建の寺院が数え切れないほどある。恐らく、市民が一番好きな大内家当主の一人。

この方の銅像がここに建っていることからしても、香山公園が山口市民の人々にとってどれだけ大切な場所なのかがわかるというもの。しかし、ほかにもあれやこれやの観光資源がありすぎて、弘世公も埋もれてしまっているかと思われるほど。

明治維新関連の史跡は、それらが重要なものであるがゆえに、この地に移されて大切に保存されている。しかし、元々は別の場所にあったのである。ここは、元香積寺跡。五重塔も香積寺にあったもの。大内文化の遺産であることを忘れずに(忘れる人もいないと思われるが)。

画聖雪舟像

画聖雪舟像の写真

雲谷庵跡には像はなかったが、こっちにおられた。像の左手に説明看板があり、この向かいの山裾に雲谷庵の跡が残っている、と書いてある。山口市様ほかの HP によると、この像の場所から雲谷庵が見える、とのことだが……。そういえば、雲谷庵にも、五重塔が見えるという台があった。とんでもなく小さくてほとんど見えなかったので、ここから雲谷庵を見てもおそらく同じだろう。五重塔のように大きくないので、さらに難しいと思われる(見落としたことを言い訳している)。

紙本栄一先生之像

紙本栄一先生之像

「居合道範士」「剣道範士」と刻まれておりました。どなたなのか存じ上げなかったのですが、ウィキペディアによりますと、山口県出身で、「全日本剣道連盟居合の制定に尽力」なさった、とあります。「1984年2月、銅像設立実行委員会により」五重塔前に立てられました。(参照:ウィキペディア)

ミル涙イメージ画像
ミル

疲れた……。貴重なお話をほとんど忘れてしまうなんて、悲しすぎる……。

五郎笑顔イメージ画像
五郎

つぎの機会にまた質問すればいいだけじゃん。来年もまた来るぞ!

関連記事:瑠璃光寺五重塔写真館
香山公園写真集

アクセス

山口駅から街歩きで30分くらい。バスも出ています。

新介涙イメージ画像
新介

常に歩くことが推奨されているようだけど、駅からはかなりあるよ。

参照文献:山口市様 HP、山口県様 HP、ウィキペディア、各文化財説明看板、案内看板。

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