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雲谷庵跡

2022年9月11日

入り口看板の写真

雲谷庵跡・基本情報

所在地 〒753-0091 山口県山口市天花1丁目12−10
最寄り駅 山口駅

雲谷庵跡・歴史

雪舟は室町時代、備中国(岡山県)に生まれた。京都の禅宗寺院で修行をしながら絵画を学び、後に、当時最先端の文化の中心地だった西の京・山口にやって来て、大内氏の後援を受けた。遣明船で中国に渡って三年間滞在。帰国後も山口に住み、優れた作品を制作した。

この雲谷庵は雪舟のアトリエ跡だが、説明看板によれば、当時雪舟が開いたアトリエは「天開図画楼」といったらしい。国宝になっている「四季山水図」が作成されたのも、雪舟が亡くなったのもこのアトリエに於いてであるといわれている。

大内氏の滅亡後、雪舟の後を継ぐ雲谷派の人々は、毛利家の庇護を受けた。現在のこの場所も、毛利家が雲谷宗家に与えたもの。しかし、明治時代になると廃絶してしまった。そこで、郷土史家の方々などが明治時代に現在の庵を再建した。大内氏時代の古材を使って造られているという(参照:説明看板)。

山口市教育委員会が行った発掘調査の結果、建物の周囲からは江戸時代のものとともに、室町時代の遺物も見つかった。とは言え、ここが事実本当に、雪舟のアトリエ跡地なのかどうかを証明するには至っていない。

雪舟のアトリエがどこにあったのか、ということに関して二つの説がある。一つは大内持世の菩提寺・澄清寺付近にあったというもので、かつてそこに「雲谷」という地名があったことを典拠とする。もう一つがこの雲谷庵跡地。また、雲谷庵は大内政弘が雪舟に与えた隠居所で、それ以前はほかの場所にいたという説もあるという(参照:『山口市史 史料編 大内文化』)。

要するに、史料と発掘調査からはこの地が雲谷庵跡地であり、雪舟が暮らしていたと確定することはできていない。ただし、長いことそうであると言い伝えられてきたことには必ず理由があるはず。証明書など必要ない気もする。

現在ここは、雪舟ゆかりの伝承地として、山口市指定史跡となっている。

雲谷庵跡・みどころ

最初に、この庵は再建物であり、雪舟が実際に使っていたものではないことに注意。そのために、残念ながら重要文化財指定にはなっていない。しかし、郷土史の先生方や地元の方々のご尽力によって再現されたものであること、大内氏時代の材料を使って造られたものであることから、一見に値する大切な史跡である。

庵じたいは小さな建物なので、あれこれ見て回るようなものではないが、閑かで奥ゆかしいところである。雪舟の足跡を偲びつつ、穏やかなひとときを過ごしたい。縁側に座ったり、中に入ったりすることもできる(屋内見学は9時~17時まで)。

雲谷庵の写真

 

雲谷庵の写真

展望

五重塔が見える台の写真

看板にある通り、この場所から瑠璃光寺五重塔を見ることができる。しかし、とても小さく見えるので、やや探しにくい。

雪舟の足跡

雪舟略歴看板の写真

年表式に、雪舟の活躍を記している説明看板。ゆかりの地が地図で示されているのもありがたい。雪舟関連の史跡はたくさんあるので、雪舟の像なども色々なところにあるのだが、ここには像がなかった。

「四季山水図」

地下道アート説明板の写真

四季山水図地下道アートの写真

じつはこれ、雲谷庵付近の地下道にあったもの。「四季山水図」は防府の毛利博物館にあるので、現物を見たい方はそちらへ。地下道の絵画もとても大きくて圧巻。五重塔が画かれている部分のみご紹介させていただきました。

雲谷庵写真集

アクセス

Googlemap によれば、山口駅からだと歩いて35分かかるそうです。ピンポイントでここだけを目指す方はあまり多くないのかな、と思われますが、35分はかなりキツいです。香山公園、菜香亭など付近に多くの目玉観光スポットがありますので、それらからナビゲーション起動で徒歩圏です。ところどころに矢印がついています。菜香亭からが真っ直ぐな道で最も近く、わかりやすいと思います。

参照文献:山口市様編纂『山口市史 史料編 大内文化』、史跡説明看板

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