🍁周防山口館【大内庭園・雅の宴】へようこそ🍁
こちらは、周防山口館(すおう・やまぐちやかた)現在の山口県が周防・長門と言われていた時代、特に中世、彼の地に君臨した一族・大内氏にゆかりある人々と、関連する史跡について書いているサイトです。ご案内している場所はすべて、執筆者自らが現地に赴いて取材しました。自身の体験や感動を、一人でも多くの皆さまにお伝えしたいとの思いから、運営を始めました。かつてこの地に存在していた偉大なる人々について、少しでも興味・関心をもってくださるきっかけとなれば幸いです。
今も学びは続いており、何度も書き改め、少しでも充実したものになるよう努めております。本業の傍ら更新が滞ることもしばしばですが、次にご訪問くださった際、あ、以前よりよくなったかも? と感じていただけましたなら嬉しく思います。
お知らせ
運営者の本業多忙につき、定期的な更新をお休みします。できる範囲内で、更新&リライトは続けていきたいと思いますが、暫くの間完全に停止する可能性がございます。
新規更新の停止より、リライトしなければならない部分をそのままにしておくほうが気にかかります……。ご迷惑をおかけすることをお詫びいたします。
なお、平常通りに戻る予定は未定です(当初十一月としていましたが、延期となりました)。
ゆかりの人々についての記事
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大内義興・義理堅き西国の覇者
2024/11/8
大内氏歴代最強の当主・義興について。出生と主な事蹟などについてのアウトライン。詳細にすぎると混乱してわけがわからなくなるため、大まかな流れと人物像がつかめるようにつとめました。附録として、『大内氏実録』の拙訳をつけました(リライト中)。
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大内弘世・市民が崇敬する山口開府の父
2024/11/8
大内氏が大大名家として西国に君臨する基礎を作った「最初の人」。山口開府、周防・長門の守護世襲……すべてはこの人から始まった。
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大内盛見・仏教に深く帰依した文武の人
2024/11/8
応永の乱で戦死した兄・義弘から後事を託されていた。兄の遺言を守り、幕府に降伏した兄弟・弘茂らとの争いに勝ち、家督を継ぐ。義持将軍政権下で幕閣として活躍。文武両面で功績を残したが、九州での合戦で戦死。仏教への信心厚く、禅僧らとの交流も盛ん。
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大内教弘・神さまになった築山館の主
2024/11/8
守護館の隣に接待用の「築山館」を建て、多くの文化人と交流した文武両道の人。連歌に優れ「新撰菟玖波集」の作者にもなった。死後神格化されて「築山大明神」という神様となる。幕府権力を笠に着た細川家と激しく対立するなど反骨精神も旺盛。
場所についての記事
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興隆寺(山口市大内氷上)
2024/9/22
大内氏の氏寺として有名。一族の滅亡後は衰退の一途を辿りますが、そのかつての繁栄ぶりについて考察。古図をたよりに郷土史研究の先生とともにかつての参道を歩きました。
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法泉寺跡(山口市滝町)
2024/9/22
法泉寺は大内氏二十九代・政弘公菩提寺だった寺院。現在、寺院は廃頽し、「跡地」が残るのみ。かつての山門付近にあったとされるシンパクと、政弘卿墓と伝えられる石塔を見ることができる。なお、シンパクは国指定天然記念物となっている巨木である。
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降松神社(下松市河内)
2024/10/20
大内氏の氏寺・氷上山興隆寺にある妙見社は、こちらの北辰妙見社から勧請された。つまり、大内氏の氏神の本家本元にあたる神聖なお社。かつては、鷲頭山に上宮、中宮、下宮があったが、下宮は現在、若宮として参拝しやすい現在地に鎮座されている。
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曾場ヶ城(広島県東広島市八本松)
2024/7/21
大内氏安芸東西条の拠点だった山城。大永年間、尼子経久によって鏡山城が陥落。陶興房は城を奪還したが、そのまま放棄。敵の動向を探るのにより相応しい曾場ヶ城を築いた。状勢の変化により、拠点はさらに槌山城に移転。曾場ヶ城は短期間でその役割を終えた。
そのほかの記事
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山口十境詩とは?
2024/8/26
大内弘世の代、来日した明国の使者・趙秩が山口を訪れた。弘世の招きで山口に滞在した趙秩は、依頼により山口の麗しい風景を詠み込んだ歌(漢詩)十首を制作した。これが「山口十境詩」といわれる作品。現在山口市内のゆかりの地すべてに、詩碑と説明板がある。
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厳島大明神信仰とは? 市杵島姫命と弁財天
2024/8/10
厳島大明神とは厳島神社のことを指す。「大明神」が神さまの尊称なので、その意味では無数の〇〇大明神が存在する。神仏習合の時代、厳島神社の祭神・市杵島姫命と弁才天は習合していた。ゆえに、弁天参りが盛んになると同時に厳島信仰も大盛況となる。
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寺院建築の基本① 伽藍と伽藍配置
2023/10/9
寺社巡りガイドブックの寺院建物編。伽藍というのはつまり寺院の建物。古代は○○式などと呼ばれる建物配置(伽藍配置)の雛形みたいなものがあって、受験勉強で暗記させられる。その後も建築様式や伽藍配置は時代によって変化。ものすごく簡単に眺めてみた。
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妙見菩薩、妙見信仰(超簡単に)
2024/9/16
大内氏の氏神として有名な「妙見菩薩」。遊牧民の北極星・北斗七星信仰が、中国で道教と習合。のちに日本に輸入された。密教と強く結びつき、日本独自の「妙見信仰」となる。のちには、武士階級も「軍神」として崇拝した(千葉氏、秩父氏、相馬氏等)。
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管領家の庭園日誌【於児丸の室町カフェ】
畠山家を中心に、細川家などもチラ出してます。本家本元は大内氏のことを調べていますので、ここはテキトーです。迷惑な流れ公方・足利義稙のせいで本 ...
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