
山口県山口市滝町の法泉寺跡地とは?
法泉寺は、大内氏二十九代・政弘公の菩提寺であった寺院です。政弘公は文武の将を輩出してきた大内氏歴代の中でも屈指の名将・名君とお呼びすべきお方で、応仁の乱で活躍した勇猛果敢な若き武将であることで知られていたと同時に、その死後に『拾塵和歌集』と呼ばれる歌集がまとめられるほど、麗しいお歌をお詠みになる武家歌人としても著名でした。
そんな政弘公の菩提寺だった法泉寺ですが、残念ながら、現在はすっかり廃頽し、何ひとつ残されてはいません。かつて山門があったとされている場所に、国指定の天然記念物となっているシンパクがあり、また、奥深く進んで行くと、幽玄なる林の中に、政弘卿の墓と伝えられる古墓がひっそりと佇んでいます。
かつてこの付近は、美しい滝のある風光明媚な場所であったらしく、「山口十境詩」にも詠み込まれています。
法泉寺跡・基本情報
法泉寺のシンパク(国指定天然記念物)、法泉寺跡地 〒753-0071 山口県山口市滝町11
大内政弘卿墓 〒753-0091 山口市上宇野令
※お墓とシンパクとで住所が違います。
最寄り駅 山口駅、県庁前(バス停) 徒歩圏内
周辺案内図
これは「五十鈴川都市対策砂防ダム」の周辺案内図ですが、法泉寺跡地付近一帯をくまなく見るためにはとても助かります。ただし、残念なことにはご覧になればわかる通り、地図上に「現在地」とあるところに立っているので、そこまで行かないと見ることができません(入口にあれば便利なのですが……)。
幸い「大内政弘卿墓」は「現在地」より奥ですが、法泉寺のシンパクは手前となるので、この案内図の恩恵はあまりありません。ただし、シンパクについては、山口県庁からほど近いところにあるため、正直、この案内図がなくとも大丈夫です。シンパクのあるところがかつての山門と考えられており、墓所はたいてい、寺院の奥まったところにあるのが普通ですので、シンパクから墓所まで歩きつつ、かつての寺院の規模などを想像してみるのがよいかと思います。
写真がやや見づらいですので、地図上、番号で示された地名を書き出しておくと、以下の通りです。「みどころ」では、この案内図にあるものすべてをご紹介しますが、案内図にある数字は、もっとも奥地にある柳の水からもっとも県庁に近い「シンパク」へと、入口から遠い順番になっていることにご注意くださいませ。
1.柳の水(山口三名水)
2.大内政弘卿墓
3.兵部卿師成親王墓
4.白糸の滝
5.法泉寺のシンパク
6.法泉寺跡
7.梅峯の滝
法泉寺跡・歴史
「法泉寺の開山は円悟碩渓禅師という。創建の年月は不明。応永年間に、道朴という僧がおり、氷上山興隆寺蔵経勧進帳にその名が見える。またこれより先、応永七年二月、兵部卿師成親王がこの寺にて仏門に入ったことが、南朝編年紀略に見えるから、古刹である。
しかし、大内氏滅亡後、住職首座善芳は毛利氏に目をかけられたので、遂に還俗して土肥了佐と改名した。そのため、この寺は廃れてしまった。そこで、政弘の木像や位牌などを、大通院に移して安置していたが、大通院・二世三湘は、高峯山幻松院を創造し、法泉寺から伝えられた木像、位牌はもとより、仏具なども移して香華を手向ていた。明治□年、幻松院は廃寺となり、木像と位牌は土中に埋めてしまったという。
法泉寺旧址には古栝の大樹が一株残っており、仏殿壇、経蔵壇、方丈嶽、風呂谷、山門壇、車止石、御廟野等の字がある。御廟野はやや離れている。古墓が多数あり、主なものは二つ。一つは政弘卿の墓、一つは兵部卿師成親王の御墓だという。
由来によれば、幻松院の後山に求聞持谷という所があり、足利義稙が山口に滞在していた時、ここで求聞持法を習得したと伝わる。この場所から、やや登った所に、左右にアウンの梵字を彫った巌石があり、またこれよりわずかに折れ曲がった所を過ぎると、南面に不動、東西に虚空蔵地蔵を掘りつけた大石がある。好古の士なら一見の価値がある。」
以上は近藤清石先生『大内氏実録』の記事である。法泉寺跡地について詳細に書かれているものは、知る限りでは、近藤先生のご著作だけだが(ほかにはない、という意味ではなく、単に知らない)、先生は明治時代の方なので、その頃と今とではまた風景が変わってしまっているであろう。「古墓が多数あり」となっているが、現在目にすることが出来るのは、政弘とおそらく親王のものだけであると思われる。
求聞持谷云々は、木像や位牌が移されたとされる幻松院の後山らしいから、以降の記述は法泉寺とは無関係だろう。もっとも、大通院や幻松院と法泉寺跡地との位置関係も不明だから、場所的に近かったのかもしれない。
法泉寺のシンパク説明看板にも、「仏殿の壇、経蔵の壇、方丈の壇などの地名が残っており、当時の規模を知ることができる」とあり、『実録』記事と一致している。凌雲寺とは違って、発掘調査などは行なわれていないようで、現状、地名を頼りにかつての寺院の敷地を想像することしかできないものと思われる。
晩年の政弘は病気がちで、亡くなる以前に義興に家督を譲っていたようだし、法泉寺が隠居所のようになっていたのではないだろうか。陶らの政変で、義隆が最初に逃れたのは法泉寺ということになっているから、館と比べて防御的役目を果たすような造りだったのだろう。この時に戦渦にあった可能性は高いけれども、そのために廃絶したとする説は、今のところ見かけていない。
法泉寺跡・みどころ
法泉寺跡として認識されているものは、天然記念物のシンパクと伝政弘墓。付近は山口十境詩に詠まれた景勝地で、かつては花見の宴なども開かれたようだが、今はただ鬱蒼とした森。菩提寺を思わせる遺物は何一つない。背後に五十鈴川ダムがある。※なお、厨子は法泉寺「跡地」とは無関係である。
大内政弘卿墓
これが、政弘卿墓と伝えられるもの。残念ながらほかの当主たちも含め、いわゆる墓と呼ばれているものは、言い伝え的要素が強いことは否めない。「伝」政弘卿墓といったところか。ただ見るからにホンモノではないかと思える(思いたい)。
法泉寺のシンパク
国指定天然記念物。
法泉寺の山門脇に植えられていたものであったといわれている。三つの株が並び立っているように見えるが、 じつは全体で一株。根元から三つに分れている。根元の周囲は 98メートルを超えるという。 三つの幹の中で、もっとも繁茂しているのは東側の株で、高さは約12メートルもある。目通り周囲はどの幹もだいたい3メートル。老樹なので内部は腐朽しているにもかかわらず、新しい樹皮で包まれているという不思議な大木。(参照:案内看板)
『実録』で近藤先生が書いておられた「古栝の大樹」というのはこれのことであろう。文化財説明看板によれば、シンパクは「イブキの別名」とのことで、漢和辞典で調べると「栝」は文字通りイブキ。
兵部卿師成親王の御墓
兵部卿師成親王は大内教弘の和歌の師匠だとされる人。その墓と伝えられるものがこの古墓。政弘墓の右手にある。地図を見たり、ダムの案内板を見てしまうと、政弘墓とは別の入口があるように思えるが、下からここに直接登る道はたぶんないと思う。
政弘墓の右手に道がついており、そこを通って行く。
梅峯飛瀑(梅峯の滝)
山口十境詩。政弘墓所があった法泉寺の山号は梅峯山。梅と桜の名所として知られており、大内義隆はここで観梅の宴を開いたという。(参照:十境詩説明プレート)。⇒ 関連記事:山口十境詩
付近につぎのような案内矢印があったため、とにかく上に登ってみた。
しかし、登れども登れども何もなく(強いて言えば右手にチョロチョロと小川のような水の流れ)、滝の音も聞こえないため、恐ろしく上まで行かねばならぬのだろうと断念。しかし、五十鈴川ダムの案内版には見事な滝の写真が載っていたし、かくも麗しい謂われのある滝を放置して帰れないと再び挑戦。それに「130メートル先」ということは、そう遠くないはず。かなりの悪路で、直近で人が出入りしたのはいつのことかと思われるほどだったが、そういうことはまったく気にならないので。
進めども進めども、やはり滝の音はなし。ついに行き止まりになってしまった……。
どうやらこれが、梅峯の滝の現在のお姿らしい。水は完全に涸れてしまっていた……。あとから、地元の方にお伺いしたところ、やはりあの滝は今は涸れてしまっている、とのご案内だった。台風や大雨の直後などに訪れてみたら、あるいは流れているかもしれないが、倒木は多いし、道も整備されていないため、そのような時に山に入るのは危険すぎる。いつの日か元のお姿に戻って欲しいと祈るばかりであった。
柳の水
「京都三名水」という茶席に使う名水があるとかで、山口にも京都をまねて「瀧の清水」「藤の水」そしてこの「柳の水」という三名水がかつて、大内氏の時代にあったのだとか。うち二か所の名水はすでに涸れてしまっており、現在にも伝えられている名水はこの「柳の水」だけ。
ほかの観光地で、供養塔の花入れに地元の名水をかけてお参りしている方々をお見かけした。法泉寺さまのお墓にもこの名水をと思ったけれど、今回は実現しなかった。
白糸の滝
コレ、本当に滝なのか、非常に自信がない。場所的にはこの辺りで、これより上がるとダムに行ってしまう。水の流れに勢いがないのは、梅峯の滝と同じことなのだろうか。
流れじたいはもう少し上から落ちている感じだが、撮影するには木の枝が邪魔となり、ここが最終地点となった。
付記・法泉寺の厨子
法泉寺跡地については、現状を見たところも、近藤先生の『実録』記事に書かれていることが正しいと思われる。シンパクの説明看板にも同様のことが書かれており、政弘菩提寺としての法泉寺は廃絶して跡形もなく、シンパクだけが唯一残った、というのが共通認識。しかし、厄介なことには、「法泉寺」という名称の寺院は現在も存在しており、ややこしいことにそこにある山口県指定有形文化財の厨子が、大内氏に関連するものである。
文化財関連の資料には、だいたいつぎのようなことが書いてある。
法泉寺は大内義興が父・政弘の菩提を弔うために山口の滝の地に建立した寺院で、梅峯山法泉寺といった。大内氏滅亡後、毛利輝元が厚狭郡棯小野(宇部市棯小野)龍岩山に移築。龍岩山法泉寺と名を変えた。その後、場所は長尾山に移り(年代不明)、宗派も禅宗から浄土真宗に変わった。
有形文化財の厨子は、この法泉寺が抱えとしていた「長尾山寿明院」という寺の観音堂にあったもので、寿明院が廃寺となり、観音堂も廃れたので、法泉寺に安置されたのだという。寿明院は大内家代々の祈祷所であったという由来とか、観音堂は享禄年間大内氏によって建造された云々とする棟札などがあり、建築様式からも享禄年間のものと推定される。
つまりは、現法泉寺にある厨子が確かに大内文化の遺物であるらしいことは、先生方のご研究からもほぼ明らかである。ただし、この法泉寺と政弘菩提寺だった法泉寺との間にはもはや、名前を引き継いでいるくらいの関連性しかないように思える。寺院の変遷の問題は複雑で、本当に理解に苦しむ。果たして義興が父の菩提寺を建てる以前、兵部卿師成親王の頃からこの寺院が存在していたのかどうかについても謎である。
はっきりしていることは、この滝の地に政弘菩提寺があった、という一点だけなのかもしれない。静寂に包まれた完全なる廃寺。鬱蒼と茂る深い森の中で、今宵も一首詠む若き法泉寺さまのお姿が見えたような気がした。
法泉寺さま
追記:2022年12月、郷土史家の先生方とご一緒に、法泉寺のシンパクを見る機会を得た。どうやら、法泉寺のもともとの規模や造りなどはまったくもって不明であるらしい。五十鈴川ダム案内板に「法泉寺跡地」として石垣のような写真が載っているので、築山跡同様そのような石だと期待したが違うようだ。大内義隆が館を捨てて法泉寺に逃れた、というから防御に優れた地形 & 建物と思っていたが、とうていそのような地形ではなく、要塞的な寺院であったとのいわれもないという。
シンパク付近。ダム湖の案内看板に「法泉寺跡」として似たような写真があった。
今となっては往時を知るのは、シンパクと墓石だけ、ということになる。これほどの名将・名君の菩提寺が跡形もなくなるとは、およそ信じがたいことである。凌雲寺もそうだが、なんともいえない寂しさを覚える。
法泉寺跡地の所在地・行き方について
所在地 & MAP
シンパク、法泉寺跡地 〒753-0071 山口県山口市滝町11
政弘卿墓 〒753-0091 山口市上宇野令
※お墓とシンパクとで住所が違います。
最寄り駅 山口駅、県庁前(バス停) 徒歩圏内
アクセス
山口県庁から近い。山口駅から散歩がてら歩いても、県庁前まではバスで来てもよい。
シンパクを見るだけならば、山口県警脇から上がっていけば、迷うこともなく辿り着けるし、距離もそう遠くない。ただし、墓所も見ておきたい場合は、シンパクからさらに奥へ進むことになる。
行き方・おすすめルート
山口県庁裏手の道を上っていく。「シンパク」を頼りに行けば、道はわかりやすく、Googlemap のナビゲーションを使えば迷う人はいない。ただし、シンパクから柳の水まではかなり遠い。それに、シンパクに入ってしまうと政弘卿墓まで行くためにはもう一度入口に戻る必要があるなど、けっこうメンドー。
県庁脇の道。まっすぐ。
ここ(下参照)で左折
「柳の水」の看板がある駐車場
ずっと歩くとこんな景色に。シンパクが近い。
「柳の水」看板の道を選ぶ
どれをメインにしたいかにもよるけれど、かなり歩くことと、一度は入口に戻る必要があることは覚悟してください。
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1梅峯の滝
シンパクに行く道に辿り着いても、シンパクは無視して左手の車道を進む。かなり歩くと「梅峯の滝」への入口があるので、まずは滝を見る。
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2梅峯飛瀑
滝から下りて車道に戻ったら、なおもかなり進む。山口十境詩の「梅峯飛瀑」碑が見つかる。この辺り、すでにダム湖。
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3えん堤
車道を右折するように堰堤があるので、右側に渡る。渡った後、行き止まりで左折。道なりにさらに進んでいくと、駐車場などのあるところに出る。ここがお墓の辺りだけれど保留(もちろん、この時点でお参りするのも可)。
堰堤
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4柳の水
ひたすらまっすぐに先を目指す。かなり遠いので道が間違っているのではないかと錯覚するが、一本道なので信じて登る。ナビゲーションで「柳の水」を検索すると連れて行ってくれるけれど、「到着しました!」と宣ふところには左手にチョロチョロ小川が流れているだけ。柳の水はちょい右手の細道を入って行ったところにある。
「柳の水」付近の景色
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5政弘卿墓
柳の水を汲んでお墓に手向ける気持ちで、もと来た道を戻って行く。先ほどの駐車場などの辺りに「政弘卿墓」看板が立っており、看板の背後の山中に墓はある。政弘卿墓まではきちんと道がついているので、あえて道なき道を行かない限り迷うことはない。お墓にお参り後、そのまま右手の方角に道がついているのでそちらに向かうと、兵部卿師成親王墓にも行ける。
政弘卿墓へ続く道
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6シンパク
もと来た道をそのまま引き返して入口に戻り、シンパクを見る。最初に見た梅峯の滝入口前を再び通ることになるので、滝は帰りに見るのもあり。ちなみに、草生い茂る小道を使えば、白糸の滝の側に行けるのですが、手入れが行き届いておらず何が出るかわからないゆえ、やめたほうがいいです(要するに車道ではない道からも、政弘卿墓まで通じているけれど、虫だらけ)。
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7白糸の滝
最初に県庁から来たシンパクに至る道。ここでシンパクに向かわず周辺図右側の車道ではない道を上がっていくと、右手に五十鈴川、やがて白糸の滝を見ることができる。これですべて見終わるので、帰宅。お疲れさまでした。
※夏場に行く際の注意事項※
墓所に続く道は草に覆われてしまい、クモの巣だらけで恐ろしく、墓石にも近寄れない(虫平気な方は問題なし)。ダム方面に向かう車道を進んでいくほうが楽だし、虫の被害も最小ですむ(どの道墓石は草が生い茂る中にあるので、完全に虫を避けることは困難)。車道を行った場合、シンパクを見落とさないように。入口まで戻って再度徒歩で行かなくては見ることができない。
参照文献:近藤清石先生『大内氏実録』、山口市様編纂『山口市史 史料編 大内文化』、文化財説明看板
※この記事は 20221231 に加筆修正されました。
法泉寺跡地について:まとめ & 感想
法泉寺跡地(山口市滝町)・まとめ
- 大内氏二十九代当主・政弘の菩提寺だった法泉寺の跡地。現在寺院はなくなっている
- 唯一残された遺構として、かつての山門跡地ではないかと考えられている場所に、国の天然記念物にも指定されているシンパクの巨木がある
- シンパクからかなり奥まった場所に、政弘の墓と伝えられる石塔がある
- 政弘墓の付近に、兵部卿師成親王の御墓とされる墓もある。いずれも伝承ではあるが、実物であると信じたい
- かつてこの付近は有名な景勝地であったらしく、「山口十境詩」の「梅峯飛瀑」が詠まれたことでも知られている
- 現在かつての法泉寺があったと思われる場所の奥地は五十鈴川都市対策砂防ダムとなっているが、ダム湖周辺の景色も麗しい
- ダム湖よりさらに進むと、山口三名水の一つ「柳の水」がある
法泉寺跡地をひとり歩きする時のドキドキはとても言葉ではお伝えできません。今年もまた、あのお方が眠る場所にお参りすることが叶うのか、と思うと生きててよかった、と感じます。ですが、夏場にご訪問し、おまけに車道を通らず山道(?)のような小道を進んでしまった時は悲鳴の連続となりました(どなたもおられない場所というのは、このような時には助かります)。クモの巣に行く手を阻まれ、何やら分らない虫がネバネバする糸で目の前にぶら下がってきたり……。帰宅後、洗濯しても、クモの糸だか、虫の糸だかわからぬモノはしばらく取れず、最終的にクリーニング店に持ち込んで専門家のお力を借りることに……(むろん、帰宅するまで待たずにその場で大慌てで拭き取りましたし、その時点でほとんどは拭き取れました。ですけど、ベッタリ引っ付いてしまった怪しいモノ多数)。
これは、普通に車道を行けばあり得ないことでして、単に道を誤っただけですので(ただし、道自体はきちんと通じていたわけなので、誤ったというのは違うかも知れません)、そこはご安心ください。道があるとひたすらに前進してしまうので、引返すということがわからないのです。
法泉寺さまの墓所は、地元の方々が定期的に整備してくださっているので、道も分りやすいですし、迷うこともないです。ただし、夏場は雑草が生えるスピードが半端ないですので、皆さまが清掃なさった後、などに入ってしまったら、もうダメですね。まさか、毎日清掃なさってはおられぬので。あっと言う間に草で覆われてしまいます。ビックリすると同時に、地元の皆さまが跡地を大切に整備してくださっておられることに感謝した一幕でした。
墓所は幽玄の一言です。閑静な林の奥深くで、今宵も一首詠んでおられるお姿が目に浮かぶような気持ちになります(って、夜に入るのはちょっと怖いですけど……)。今も寺院が存続していて、どんなお姿だったのか知ることができたならどんなによかったか、と思うと寂しいですね。
幸い、跡地は山口県庁からほど近い所にありますので(感じ方には個人差があります)、凌雲寺さまほどたいへんなことにはならず、山口に来ればまず最初に参詣するところ、となっています。
ですけど、正直なところ、地元の一般の方などが、どのくらいの頻度で参詣しておられるかと考えてみた時、興味のない方は生涯に一度も来ないかも知れないなぁ……と思いました。現在も寺院が残っていたりしたら別ですが、郊外の山の中に人知れずひっそりと墓所だけがあるわけで。むしろ、足繁く通っているほうが珍しすぎる気が……。一度くらいならば、どんなところだろう、と足を運んでみる方は少なからずおられると思うのですがね。
地元には、日本人でこの人を知らなかったら問題あるのでは? というほどの超ド級有名人の墓所がございますが……。やはりあまり賑わってはおりません。観光客:「この石段の上何?」ガイド:「○○さんのお墓ですね」観光客:「へぇーそうなんだ。行こう(素通り)」というやり取りをつい最近も見かけました。まあ、石段が長すぎるから皆さん引いてしまうんだろうと思いますが。完全に整備された石段を上る(手すり付き)のですらこんな具合なので、ナビ起動で山道上って墓参りする観光客って、かなり変っているかもですね。そんなわけで、お好みは人それぞれですから、敢えてオススメはしません。
こんな方におすすめ
- 応仁の乱について調べていたら、法泉寺さまにメロメロになってしまいました
- 天然記念物の樹木、名水などに関心があります
オススメ度
正直言って、何もありません……。地元の方がお散歩コースとされるには奥ゆかしくて麗しいルートが選択できて羨ましい限りですが。古墓、天然記念物の巨木、名水があり、それぞれ歩くとかなりの距離感がございますので、疲れます。滝なども、かつての面影はなく、道も整備されておりません(最悪、水が涸れている可能性もあります)。完全に人を選ぶ観光資源と言えます。シンパクまではわりと楽に行けますが、普通に大きな木があるなぁ、という感じです。オススメ度に +1 したのは、執筆者が「こんな方におすすめ」の上段に当てはまるからですが、それでも満額は入れることができないほどです(虫だらけなので……)。せめて、冬場に行くことをオススメしておきます。
(オススメ度の基準についてはコチラをご覧くださいませ)

俺たち、何も知らずに残暑の頃に入ってしまったけど、じつはここにもマムシって出るんじゃないの? 何となくだけど、興隆寺上宮や凌雲寺に出るのなら、ここも同じ気がする。

ま、まあ、無事に生きてるからいいんじゃない? (冬に再訪して『マムシに注意』の看板を見かけてしまった気がする。うろ覚えです)。
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