関連史跡案内

宇佐八幡宮(防府市)

2020年10月8日

本殿の写真

宇佐八幡宮・基本情報

住所 〒747-0105 防府市大字鈴屋840
電話 0835-36-1154
祭神 譽田別命(応神天皇) 、気長足姫皇后 (神功皇后) 、奥津嶋比賣命、市寸嶋姫命(三女神)
例祭日 歳旦祭(一月一日)、節分祭(厄除祈願祭、二月節分の日)、 祈年祭(春祭、五月十五日) 例大祭(秋祭、 旧暦八月十五日に近い日曜日 )新嘗祭(新穀感謝祭、 十二月三日)
社殿 本殿、幣殿、拝殿、神饌所、神門
境内神社 人丸社(柿本人麻呂)、秋葉社(秋葉大明神)
主な建物 一ノ鳥居、二ノ鳥居、灯籠、狛犬、神輿庫、手水鉢、社務所、注連柱、由緒板、飛座船石、顕彰碑、従軍記念碑ほか
奉納芸能 腰輪踊
社宝 
八幡縁起二巻(明暦四年奉納)、大鈴、太鼓
最寄り駅 防府駅からバス17分、鈴屋バス停下車
公式ホームページ http://www.c-able.ne.jp/~vycganyu/index.html

宇佐八幡宮・歴史

宇佐八幡宮、防府市、山口県等自治体、『山口県神社誌』などなどの由緒沿革説明文をまとめるとおよそつぎのようなことが書いてある。

由来沿革略年表

寛平三年(891)、宇多天皇の御代、宇佐八幡宮から伊勢山(八筈岳中程)に勧請される。
天文二年(1533)、鈴宝山の大岩に八幡宮の御神霊が出現したため、現在の社地に宝殿を建立、移築する。
元禄三年(1690)、火災により社殿が焼亡。
元禄七年(1694)、右田毛利家当主・就信が本殿を再建。
天明五年(1785)、同じく右田毛利家当主・房顕と氏子により拝殿が再建される。
昭和五十四年(1979)、日本第三位の古本(樹齢約450年という)だった御神木の大黒松(天然記念物)が松食い虫の被害により枯死。
平成十五年(2003)、式年大祭記念事業として建築当時の茅葺屋根を再現。

寛平・貞観の治とかいう頃にすでに存在していた、とても歴史の古い神社になるけれど、由緒ある社殿は江戸時代の火災で焼失してしまい、現存するものは十七世紀に再建されたもの、ということになる(十七世紀もじゅうぶん古いにもかかわらず、創建が 891年と聞いた後だと、何やら最近のことのように思える)。

少なくとも、神社の由緒看板を見た範囲では、大内氏の大の字も出て来ない。毛利のお殿様が再建なさった社殿と現代に整備された美しい社林を見ているのだな、という感覚。とは言え、領国内にあった神社なので無関係であろうはずはない。問題は総社・宇佐八幡宮が鎮座する豊前国も分国に含まれていたことで、関連文書に宇佐八幡宮に○○を寄進とか、宇佐八幡宮の修築を行なうとかあると、そっちを指すことが多い。

ところが、庭園ゆかりのある人物が、当神社と深くかかわり、現代にも続く無形文化財を残していた。

亡命将軍の戦勝祈願

将軍様

我らが源氏の氏神八幡大菩薩さま、大内介のところで再起をはかります。豊前国総本社にも京都石清水にも鎌倉鶴岡八幡宮にも辿り着けませんが、こちらでお参りしますので、何卒お見守りください!

流れ公方・足利義材は凌雲寺さまに助けを求めて周防国に下向。ココ、宇佐八幡宮に参詣し、戦勝祈願を行なった。その際に鐘、太鼓を打ち鳴らし、舞踏を奉納した。その時の踊りが「腰輪踊」の起源であり、防府市指定無形民俗文化財に指定されている。

由緒看板の写真

次郎

ひぇ、なんと、俺の名前も神社の由緒看板に載ってる(畠山義豊)! ポンコツ将軍に感謝しとくか。

五郎

お前の名前、ワルモノとして載っているんだと思うけど。

三つの宝

神社の宝、いわゆる社宝(宝物)が、この神社には三つある。

一、八幡縁起弐巻
二、大鈴
三、太鼓

これらはすべて、HPで写真を見ることができる。説明文も由緒看板に比べて現代風なので、よりわかりやすい。

『八幡縁起』はほかの八幡宮にもあるのだろうけど、ここの神社では由緒看板に、縁起の内容まで記してくださっている。「神功皇后三韓出兵の時、筑紫に凱旋して皇子誕生、八幡御神号の由縁。筥崎八幡宮御鎮祭の由縁、同所逆松の由縁。誉田別命三歳の児として顕れ神勅を告げられた由縁、京都男山八幡宮御分霊の由縁、宇佐八幡宮へ和気清麻呂直言の事等」。和気清麻呂の直言って、道鏡が天皇になるという宇佐八幡宮託宣事件のアレではないか。こうやって、受験参考書の知識がチラっと出てくるとなぜか感動する。

「大鈴」は天から降ってきた、との言い伝えがあるもの。鈴が降ってきた場所は「鈴ヶ森」と呼ばれ神聖な場所として大切に守られいる。神社鎮座地からやや離れたところ(HPによれば5、600メートル)にあるようで、そもそも事前に知らなかったため、訪問できなかった。HPで写真を見ることができる。なお、その由来によるのか、神社の住所は地名が「鈴屋」である。

「太鼓」は毛利家の領主が奉納したもので、豊臣秀吉の朝鮮出兵時に使われた陣太鼓であるという。

宇佐八幡宮・みどころ

防府市指定有形文化財(建造物)となっている本殿と拝殿が中心となる。社宝の八幡縁起や文化財指定(附)の本殿・拝殿の棟札などは、一般観光客がいつでも見られるものではない。また、腰輪踊を見学したいならば秋祭りにあわせて訪問する必要がある。※このほかに、「飛座船石」という大岩があるけれど見落とした。また、境内ではないが、社宝の「大鈴」が降ってきた場所も付近にある。

宇佐八幡宮のみどころのひとつとして、しゃくなげ園がある。1000本ものしゃくなげが植えられており、花咲く季節には多くの人が訪れる。一時、松食い虫の被害がひどく、御神木の大黒松のほか、赤松も枯死にするなど、景観が損なわれてしまった。そこで、木々を伐採するなど参道周辺の整備事業が進められたという。ほかにもツツジやサクラなどたくさんの植物が植えられ、公園のように整備されているから、季節にあわせて楽しみたい。

本殿 & 拝殿

拝殿の写真

本殿は元禄七年(1694)、拝殿は天明五年(1785)の再建。ともに流造。平成十五年には建築当時の萱葺き屋根も再現された。

しゃくなげ園

しゃくなげ園説明看板の写真

1999年に開設された。四月中旬から五月上旬にかけ、1000本ものしゃくなげが花を咲かせる。毎年四月には石楠花祭りが行われている。

腰輪踊

腰輪踊説明看板の写真

毎年秋季例大祭で奉納される。由来については既述。

飛座船石

飛座船石由来看板の写真

この神社は元々、当地の住人・佐々木徳寿丸という人が、矢筈岳中程の伊勢山に宇佐神宮を勧請したことに始まる。その後、天文二年(1533)に八幡宮の神霊が現在地・鈴宝山の大岩の上に現われた。そこで、 久満佐渡左衛門慰重友という人が社殿を造って場所を移した。 その、神様が現われたという岩が「飛座船石」で、看板後ろ、右手のほうにわずかに一部分がチラ見えている。

五郎

またなのか! 看板だけ見て帰ってきてる!

ミル

ごめんなさい……。

境内神社

境内神写真写真

看板がないけれど、人丸社ではないかな、と思う。

宇佐八幡宮写真集

アクセス

防府駅からタクシーを使いました。最寄り駅として「鈴屋バス停」がありますが、防府駅から17分かかるということなので、スケジュールと相談です。
タクシーなど車を使って訪問した場合、まずは駐車場に入ります。駐車場は長い参道の中途にありますので、そこをスタート地点として参拝した場合、鳥居などいくつかの建造物を見ることができません。駐車道から入ったとしても、参道を引返してきちんと歩いてみることを忘れないでください(忘れたので)。

参照文献:宇佐八幡宮様HP、同由緒文化財説明等看板、防府市様HP、山口県神社庁様『山口県神社誌』

-関連史跡案内
-,