山口の天神様・古熊神社
大内弘世公が京都北野天神から山口に勧進し、「北野天神」として鎮座させた。
後に毛利家が「神託によって」現在の古熊の地に移築。その名も「今天神」と改める。その庇護の下維新を迎え、「古熊神社」と改名されて現代に至る。
弘世公による勧進は、応安六年(1373)のこと。今から六百年以上前のことになる。まさに、悠久の歴史に抱かれた神社。
ちょっと脇道にそれるとまるでタイムトリップしたかのよう。
みどころは大量にあり、全てを満喫するには丸一日あっても足りない。
古熊神社様の公式ホームページがパンフレットどころか電子書籍レベルで、目を通すというよりは熟読する世界。
その価値は絶大なので、訪問前には必ず読んで欲しい。
例えば、本殿についての解説の冒頭部分は、以下の通り。
御本殿の大きな特徴は、正面の向拝三間の斗拱間蟇股*の意匠(デザイン)です。まず中央には「梅に大内菱*」、向って右には「松に鳳凰」、向って左には「竹に鳳凰」となっています。この「松竹梅」となっている蟇股の彫刻は、我が国に現存する最古の松竹梅として有名です。
古熊神社様ホームページ https://www.furukumajinja.com/honden
「斗拱間蟇股」など、何のことなのか、まるで分らなかった。「蟇股」は「かえるまた」と読み、「梁の上にあって上の荷重を支える材。かえるが足を開いたような形からこの名があり、この内部に描かれた彫刻は建築年代判定の基準の一つ」とのことである(同ホームページより)。
このような知識を学びながら、詳細な「境内案内図」で貴重な文化財を漏らさず見て回ることができる。
国指定重要文化財
本殿と拝殿がそれにあたり、室町時代の建築様式を現代まで伝えるものとしてきわめて貴重なものとされている。
古熊神社・拝殿




摂末社・祠
古熊神社にもいくつかの摂末社・祠がある。
拝殿に向かって、左手に三森神社、右手に金刀比羅神社と藤森稲荷神社が鎮座し、さらに、水神さま、眼力さまと呼ばれる社。摂末社はそれぞれに立て看板が付いているので、何ものか不明になることはないだろう。
社についても、ホームページに写真が載っているので、きちんと確認できる。
三森神社
藤森稲荷神社
金毘羅稲荷神社
「みどころ」
古熊神社様が「みどころ」としてホームページで公式アナウンスしておられるものとして、神庫、狛犬、石鳥居、句碑、歌碑、詩碑の六つのスポットが。以下順番に見て行こう。
神庫
句碑
歌碑




神馬&神牛
神馬と神牛は、じつは新旧一対になっていて、古いものは苔生している。どれだけの時を経ているのだろうか。
「やまぐちの天神様」
ステキな呼び名は、古熊神社様HPより。天神様は山口県内も含め(防府天満宮など)全国に多々あれど、山口市内にある、山口市民の天神様は、この古熊神社なのだ。
地元やまぐちの天神様・古熊神社では、毎年十一月に、「山口天神祭り」が催されている。これは御神幸祭、例祭ほかいくつかの祭典の総称であり、弘世公の勧進以来、途絶えることなく続いているというから驚く。
実に「約650年の伝統」があるのだ。天神祭りの詳細については、公式ホームページで確認するのがよい。
上述の通り、ビジュアルも充実した歴史書のようなホームページなので、訪問に先立っては、必ず目を通すことを強くおススメする。見ないで出かけると後できっと後悔する。山口市民ならば問題ないのだが、遠隔地から訪れた観光客にとってはもしかしたら、これが最初で最後の訪問となるかもしれないのだから。後から、あれを見落とした、これをし忘れた、となったら非常にもったいない。
古熊神社様のホームページは奥ゆかしいと同時に、FacebookもInstagramもある、イマドキの若者のニーズにも応えた作り。このサイトもかくありたい……。
古熊神社様公式ホームページ https://www.furukumajinja.com/
※ドメイン移転のご連絡がすみ次第、リンクを貼ります※
神社様ホームページとは違いますので、クリック間違えないでね~
※写真集は工事中です※
改編前投稿日:2020年10月8日 19:16