
山口県山口市の古熊神社とは?
応安六年(1373)、大内弘世公が京都の北野天神社を勧進した神社さまです。元は北野天神山口天神宮といい、ご鎮座地も北野小路でした。現在の場所に遷ったのは元和四年(1618)、毛利秀就によって移築されました。その頃は「今天神」と呼ばれていました。現在の名称「古熊神社」さまは、明治五年(1872)に改名されたものです。
本殿と拝殿が国指定の重要文化財となっており、本殿には「大内菱」がついた松竹梅の蟇股があることで有名です。「やまぐちの天神様」として親しまれ、弘世公の勧請以来絶えることなく続けられている「山口天神祭り」(毎年十一月)は今もたいへんな賑わいです。
ご祭神である菅原道真公や松尾芭蕉の歌碑(句碑)などがあり、鎮守の森も奥ゆかしい由緒ある神社さまです。
古熊神社・基本情報
ご鎮座地・アクセス方法
住所 〒753-0031 山口市古熊1丁目10-3
電話 083-922-0881
公式サイト https://www.furukumajinja.com/
最寄り駅 上山口駅。山口駅からはバスで20分
御祭神・祭典・社殿・建物等
祭神 菅原道真(主神)、菅原福部童子(配神)
通称 てんじんさま
主な祭典 例祭(十一月二十五日)、春祭(四月三日)、神幸祭(十一月二十三日)
社殿 本殿、幣殿、翼楼・渡廊、神饌所、神楽殿、祝詞舎、拝殿
境内神社 大歳神社(通称金刀比神社、大歲神・大山祇神)、藤森稲荷神社(倉稲魂神・相殿住吉神)、大歳神社(通称三森社、大歳神・高龗神・闇龗神・人丸神)
主な建物 石鳥居、石燈籠、神牛、狛犬、授与所、神庫、手水舎、参集所、社務所、歌碑、句碑、詩碑、黒城碑、紅霊碑、若水碑、記念碑など
特殊神事 湯立神事(十一月二十二日、御神幸前夜祭に行なう)
(参照:『山口県神社誌』)
境内案内図
(古熊神社様境内図看板)※同じものが神社様 HP にもあり、拡大表示できます。
古熊神社・歴史
平安時代の延喜元年(901)、菅原道真公のお子様・福部童子はお父上を慕って太宰府に下向する途中、山口で亡くなられた。当地の甘露院に祠堂を造りお祀り申し上げた。
応安六年(1373)、大内弘世が北野小路に北野天神社(京都)を勧請。福部童子を配祀して北野天神山口天神宮と称する。のちに、神託によって、長者山の麓、ついで御石ノ森に遷された。
元和四年(1618)、毛利秀就によって現在の地に移築され、名称も「今天神」と改められた。藩主庇護のもとで明治維新を迎え、明治五年(1872)に「古熊神社」と改名されて現在に至る。
もともとの鎮座地は「今の中市町山口井筒屋辺り(現在地から1㎞程離れた場所)」(HP)で、現在も天神通という地名として残っている、と神職様が教えてくださった。その時は、神社のお名前も「北野天神」。
古熊神社・みどころ
創建は今から六百年以上前のことで、まさに、悠久の歴史に抱かれた神社。ちょっと脇道にそれると、まるでタイムトリップしたかのような気持ちになる。時を忘れる癒やしの空間が広がっている。
室町時代の建築様式を現代まで伝える本殿、拝殿が国指定重要文化財。ほかにも社宝として国指定文化財になっている天神様の画像など、貴重な文化財が多数ある。
社宝:天神画像一軸(永享元年、惟肖巌得の賛)、 御簾天神彫画一軸(菅公自作といわれる)、寛永~文政の「祭事記録」(毎年一枚、計百十二枚。裏には旧藩主の連歌や発句がある)、「天神宮」勅額一面、後陽成天皇御宸筆「南無天満大自在天神」一軸 (男爵国司直行奉納)(参照:『山口県神社誌』)
拝殿
拝殿は重層楼門造、 本殿は入母屋造りで、仏寺建築の影響を受けたと推測される。社殿は結合式であるとともに、権現造りの先駆的なものである。昭和五十五年(1981)に拝殿の修復工事が完了し、平成八年(1996)には本殿の屋根葺き替え工事が行なわれ、銅板となっていた屋根が檜皮葺に復元されている。
本殿と拝殿が結合しているとか、拝殿からお参りしているだけだとよく分らなかったりするけれど、横から見るとわかりやすいことが多い。
チラ見せで公開しておりますが、拝殿の天井には天神様縁起の絵が掲げられております。天神様のお話は、イマドキは受験生も暗記しているくらいなので、参考書を思い出しながら神社さまの絵画で確認。ついでに合格祈願もしたら完璧です。
本殿の蟇股
本殿内にある蟇股には「大内菱」がついている。コレ、当然ながら本殿の中となるので、ふらっと観光に訪れて見ることができるものではない。ご祈祷などをお願いしたり、イベントで本殿に入る機会があったならば、目にすることはできるけれど、普段外からは見えない。が、社務所にお伺いすると、とても大きなお写真を見せてくださった。肉眼で見たところで、ここまでは見えないであろうものを、はっきりと見ることができるのみならず、貴重な解説を拝聴することまで。
御本殿の大きな特徴は、正面の向拝三間の斗拱間蟇股の意匠(デザイン)です。まず中央には「梅に大内菱」、向って右には「松に鳳凰」、向って左には「竹に鳳凰」となっています。この「松竹梅」となっている蟇股の彫刻は、我が国に現存する最古の松竹梅として有名です。
出典:古熊神社様ホームページ https://www.furukumajinja.com/honden
ご解説くださった内容は、上記 HP にあることだけれど、実際に目で見、声で聴くことができるご案内に勝るものはない。松竹梅が三つそろって縁起物となったのは古代から、というわけではないらしい。少なくとも、室町時代にはまだ、そのような考え方が定着してはいなかった。にもかかわらず、古熊神社本殿には既に、松竹梅の彫刻があった。これは、不思議であると同時に、ものすごいことである。大内氏にはすでに、松竹梅をともに愛でる習慣があったのだろうか。
常に可能かどうかはわからないけれど、お時間があればとても親切にご案内くださるので、見ても何もわからない……という、もったいない観光客はちょっとお声かけしてみてください。ただし、お仕事の邪魔になるようにしつこく居座ったりはしないように。
蟇股の写真板は撮影してもかまわないということで(当然撮影禁止と思いましたが、お写真撮られないのですか、とのお言葉にびっくり)、個人的な記念としてお写真も頂戴しました。むろん、ここに公開することはできませんが、ご親切な神職さまのご配慮のお陰で、とっても大切な記念の三枚となりました。
※なお、蟇股の写真は神社様 HP にも掲載されています。
摂末社・祠
拝殿に向かって、左手に三森神社、右手に金刀比羅神社と藤森稲荷神社が鎮座し、さらに、水神さま、眼力さまと呼ばれる社。摂末社はそれぞれに立て看板が付いているので、何ものか不明になることはないだろう。
三森神社
三森神社は通称で、正式には大歳神社。
藤森稲荷神社
五穀豊穣・商売繁盛の神様。
金毘羅稲荷神社
三森神社同様、正式には大歳神社。大歳神社が二つあると混乱するし、通称のほうがなじみ深い。交通安全の神様。
古熊神社様が「みどころ」としてホームページで公式アナウンスしておられるものとして、神庫、狛犬、石鳥居、句碑、歌碑、詩碑の六つのスポットが。以下順番に見て行こう。
石鳥居
弘世勧請の北野天神が、毛利家によって現在地に遷されたのち、元禄14年(1701)に建てられたもの。ゆえに「今天神」の額が掲げられている。もっとも、修理が行なわれているから、1701年当時そのままのもの、というわけではない。
神庫
天神祭りで使う道具などがおさめられている。
狛犬
フツーにどこの神社にもある狛犬に見えるのだが……。ご案内によれば、「平成の御大典記念事業として、平成2年に建立された」もので、「下の台座は、明治43年に地元大殿小学校を卒業した同窓生により、昭和3年奉納」(古熊神社様 HP)された、という御由緒がある狛犬でした。地元の皆さまの信仰あってこその神社様。こうした奉納品、狛犬や灯籠、鳥居などの一つ一つにも、人々の思いが込められていると感じた次第です。それはどこの神社様も皆、同じですね。
松尾芭蕉句碑
かなり今ひとつな写真でわかりにくいのだが、「鸛の巣に嵐の外の桜かな 松尾芭蕉」と刻まれている(説明看板あり)。
位置的には、三森神社の手前にあります。
道真公歌碑
歌碑には御祭神である菅原道真公のお歌が記されている。
「海ならずたたへる水の底までに きよき心は月ぞてらさむ 御祭神 菅原道真公御詠」
この歌碑は放生池の中にあり、ご覧のように亀の上に乗っかっているというお洒落な造りです。歌碑の達筆はイマドキの童には読めませんが、池近くにきちんと説明看板がついています。
放生池はこんな雰囲気です。橋が架かっていたり、苔生した岩があったりで、趣があります。池の場所は拝殿から向かって左手の方角。三森神社の手前となります。
なお、詩碑については完全に見落としておりましたが、古神馬のところにあります(下の古神馬の写真の右端にチラ見えているものがそれ)。
神馬&神牛
古神馬
古神牛
神馬と神牛は、じつは新旧一対になっていて、古いものは苔生している。どれだけの時を経ているのだろうか。青銅製のものは、戦時中に供出されてしまったので、平成元年(1989)に再建されたものである。
神馬と神牛はそれぞれ拝殿の向かって右と左にあります。古神馬、古神牛も拝殿との位置関係は同じですが、やや離れていますので、摂社をお参りする途中で行き逢う感じになると思います。牛のほうは立っていないので、ちょっとわかりにくいかも。
ホームページご紹介
「やまぐちの天神様」
ステキな呼び名は、古熊神社様ホームページより。天神様は山口県内も含め(防府天満宮など)全国に多々あれど、山口市内にある、山口市民の天神様は、この古熊神社なのだ。
地元やまぐちの天神様・古熊神社では、毎年十一月に、「山口天神祭り」が催されている。これは御神幸祭、例祭ほかいくつかの祭典の総称であり、弘世公の勧請以来、途絶えることなく続いているというから驚く。
実に「約650年の伝統」がある。天神祭りの詳細については、公式ホームページで確認するのがよい。
このホームページがパンフレットどころか電子書籍みたいで、目を通すというよりは熟読する世界。得られるものがとても多いので、訪問前には必ず読んで欲しい。いわゆる「日本の神様○○」「神社について知る○○」といった本を購入する必要がなくなるかもしれない。
たとえば、
「蟇股」は「かえるまた」と読み、「梁の上にあって上の荷重を支える材。かえるが足を開いたような形からこの名があり、この内部に描かれた彫刻は建築年代判定の基準の一つ」(本殿ご紹介ページ)とか、「御分霊」「勧請」(ともにご由緒)などの、初心者にはじつはわからない用語を、丁寧に解説してくださっている。

カエルマタって何度もきいたけど、意味分かんなかったんだよ。漢字で書いてあったら読めないし。丁寧な説明あると、ホント助かるんだよね。

恥ずかしいやつ。いい機会だから、きちんと学べ。

なんなのさ。二回目の訪問だ。俺にだって学習機能はついてるのに。
こうして、新たな知識を吸収しつつ、詳細な「境内案内図」で貴重な文化財を漏らさず見て回ることができる。
なお、古熊神社様の HP には、FacebookもInstagramもある。イマドキの若者のニーズにも応えた作り。
ビジュアルも充実した歴史書のようなホームページなので、訪問に先立っては、必ず目を通すことを強くおススメする。見ないで出かけると後できっと後悔する。山口市民ならば問題ないのだが、遠隔地から訪れた観光客にとってはもしかしたら、これが最初で最後の訪問となるかもしれないのだから。後から、あれを見落とした、これをし忘れた、となったら非常にもったいない。

最近は色々な寺社さまが HP や SNS の運営をなさっておられるけど、どこも個性的で素晴らしいものが多いね。見ているだけで楽しいし、とても勉強になるよ。

大切なことは、そうした HP は、参拝「前」にきちんと確認しておくこと。スマートフォン普及のお陰で、到着してからの確認もできるけど、ながらスマホは危ないからね。それに、場合によっては奥の院とか上宮などがあって、着いてから知ったのでは十分な参詣時間がなくなることもあるからね。
アクセス
歩くのならば、山口駅からではなく、上山口駅からとなります。山口駅からバスでも行けますが、待ち時間などを考慮しなくてはならないので、事前にきちんと時刻表の確認をしましょう。
参照文献:古熊神社様HP、山口県神社庁様『山口県神社誌』、文化財案内版
※このページは 20221231 に加筆修正されました。

なんかさ、古熊神社さまには常に車で来ちゃうんだよね。だから歩き方がわからない……。次回は歩いてみるよ。

ミルの町歩きに付き合わされたらぶっ倒れるよ。旅はまったりと楽しみたいよね。
-
-
五郎とミルの防芸旅日記
山口市内と広島県の大内氏ゆかりの場所を回った旅日記。ついでに本拠地・周南の宣伝もしちゃう。
続きを見る