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平清水八幡宮(山口市吉田)

2022年9月20日

平清水八幡宮・入り口

山口県山口市吉田の平清水八幡宮とは?

平安時代に宇佐八幡宮から勧請されたと伝えられる由緒ある神社。ただし、文字史料でその存在が確認できるのは、鎌倉時代(1201)の古文書となります。社名の由来は、境内にある名水からきています。常に水面が平らかであるという不思議な名水ゆえ、「平清水」と呼ばれているのです。

平安時代の創建は文字史料からも証明できませんが、現在の社殿は室町時代の建築物であると考えられており、国指定の重要文化財となっています。また、本殿内部にある木造の狛犬と随身像は、市内最古のものであり、山口市の指定文化財となっています。

平清水八幡宮・基本情報

ご鎮座地 〒753-0841 山口市吉田 2244
祭神 応神天皇、神功皇后、田心姫命、湍津姫命、市杵島姫命
主な祭典 例祭(九月三十日)、祈年祭・春祭(四月第二または第三日曜日)、新嘗祭(十一月二十三日)
社殿 本殿、 幣殿、神饌所、拝殿
主な建築 神輿庫、社務所、鐘堂、大鳥居、井戸、手水所、灯籠、各種記念碑ほか
(参照:『山口県神社誌』)

平清水八幡宮・歴史

創建は平安時代の大同四年(809)、宇佐八幡宮から勧請されたと伝えられています。山口市安部家に伝わる鎌倉時代・建仁元年(1201)の古文書に、平清水八幡宮の朱押印があるそうです。それゆえ、この時点ですでにこの神社が鎮座していたことが証明できます。

しかし、809 年から 1201 年までには、かなりの開きがあるため、もっと古い史料が見付かれば、由緒の信憑性も高まるのにと考えると、ちょっぴり残念ではあります。400 年間も遡ることになりますので。年号三桁代の史料が残されていることは極めて珍しいので、史料などなくとも、平安時代創建で問題なかろうと思います(個人的な意見です)。

「平清水」という社名の由来ですが、「境内に平清水という名水があり、常に水面が水平で、早霖にも水量に増減」がないことから来ているということです。(参照:『山口県神社誌』、『山口市史 史料編 大内文化』)

なお、この神社さまは、黒川の恒富八幡宮に勧請されております。なにゆえに、直接宇佐神宮から勧請せずにこの神社さまから? となりますが、珍しいことではないです。例:宇佐八幡宮 ⇒ 石清水八幡宮 ⇒ 鶴岡八幡宮など。⇒ 関連記事:恒富八幡宮

平清水八幡宮・みどころ

本殿が国指定有形文化財です。社宝として、市内最古(応安六年、1737)とされる木造狛犬と南北朝時代制作の木造随身倚像などがあり、狛犬と随身像とは山口市指定文化財となっています。狛犬と随身像は社殿内にあり、見ることはできませんので、見学可能な文化財は本殿(外観)となります。

拝殿

平清水八幡宮・拝殿

本殿平清水八幡宮・本殿(側面)

平清水八幡宮・本殿(背面)

三間社流造。室町時代の建築様式と考えられています。屋根は昭和時代の改築修理工事で銅板葺となりましたが、元は茅葺でした。県内でも最も古風なものとして有名な蟇股が見えています。(参照:案内看板)

事前に見ていたわけではないのですが、『山口市史 史料編 大内文化』に掲載されているものと、期せずして同じような写真を撮っていました。ご本では、上が本殿側面、下が本殿背面として紹介されています。ほかに、本殿内部の様子や、本殿内宮殿(重要文化財)の写真も載っていますので、狛犬と随身像も『山口市史』の写真で確認することができました。

『山口市史 史料編 大内文化』で堂々と紹介されていることから、これはまぎれもなく大内文化の遺産であるはずと思いますが、室町時代中期(十五世紀)のもの、という記述しかありません。年代から見て、いうまでもなく大内氏の時代のものですが、誰が何のために造ったのかは記録がないものと思われます。いずれにせよ、鎌倉時代から存在していたのですから、現在のものはその再建物か改築物ということになろうかと。

国宝・重要文化財(建造物)
各棟情報
名称 : 平清水八幡宮本殿
ふりがな : ひらしみずはちまんぐうほんでん
員数 : 1棟
種別 : 近世以前/神社
時代 : 室町中期
年代 : 室町中期
西暦 : 1393-1466
構造及び形式等 : 三間社流造、銅板葺
指定番号 : 00414
国宝・重文区分 : 重要文化財
重文指定年月日 : 1907.05.27(明治40.05.27)
所在都道府県 : 山口県
所在地 : 山口県山口市平井
所有者名 : 平清水八幡宮

出典:国指定文化財等データベース
https://kunishitei.bunka.go.jp/heritage/detail/102/3207

鐘堂

平清水八幡宮・鐘楼

狛犬と随身像

平清水八幡宮・文化財案内看板

狛犬と随身像はこの神社の社宝です。お参りした後に、拝殿(※土足厳禁)に上がらせていただくと、格子の隙間からお姿を拝むことはできます。ただし、マナー上、覗き込むのはよろしくないとお考えの方は、参詣だけにして、図書館で『山口市史』に載っているお写真を拝見しましょう。

平清水八幡宮(山口市吉田)の所在地・行き方について

ご鎮座地 & MAP 

ご鎮座地 〒753-0841 山口市吉田 2244
※Googlemap に載っていた住所です

アクセス

山口駅からタクシー利用。鉄道最寄り駅がなく、歩いていくのは難しいかと思われます。公共交通機関での行き方を観光案内所で問い合せるか、レンタカーもしくはタクシーをおすすめします。

参照文献:山口県神社庁様『山口県神社誌』、山口市様『山口市史 史料編 大内文化』

平清水八幡宮(山口市吉田)について:まとめ & 感想

平清水八幡宮(山口市吉田)・まとめ

  1. 平安時代の創建と伝えられる
  2. 名前の由来は境内にある水面が常に平らかな名水から
  3. 鎌倉時代の史料に名前が出てくることから、その時点での存在が証明できる
  4. 現在の本殿は室町時代の建築物とされ、国指定の重要文化財となっている
  5. 本殿内にある木造の狛犬と随身像は、南北朝期の作品で、市内最古のもの。よって、山口市の重要文化財に指定されている

現地では適当にしか文化財案内看板を読まないゆえ、一度目の訪問では狛犬の写真を山と撮りました。帰宅後、「木造」の狛犬と知りショック。境内にあるのはすべて石造ですからね。そもそも社宝がその辺で雨風に曝されているはずがありません。石造の場合はそれなり年代モノが平然と置かれていたりしますが、その分、風雨にも強いのか、相当な年代モノでない限り、江戸時代くらいの奉納物が文化財指定になることは稀です。

しかし、写真の整理に使っていた『山口市史』にきちんと狛犬と随身像についての解説と写真が載っており、目に触れることができない文化財等山ほどあるよね、と思ってあきらめた次第です。

ところが、二回目に、研究員のお姉さんとご一緒したとき、格子の隙間から狛犬を確認されていたので、びっくりでした。見えるんですね。こういうことが、けっこうほかの場所でもありまして、重要文化財の仏像が、外からチラ見えとか、扉を開けたらまる見えとかあります。このような場合、見てもよいのかどうか、とても悩みます。研究者ではなく、ただの観光客の身分ですので。社務所があり、お声かけできればよいのですが。神社庁さまのご本に社務所があるとなっていて、建物は確かに存在しても、無人であることが多いです。その場合はあきらめるほかないと思います。社務所にどなたかおいでの場合は、お伺いすれば、実物は無理でも、写真を見せていただけることなどがありますし、運が良ければ扉を開けてくださることもないとは限りません。

こんな方におすすめ

  • 神社巡りが好きなすべての方
  • 重要文化財がある神社には必ず参詣する方(建築物なので、いつでも拝見できます)

オススメ度


(オススメ度の基準についてはコチラをご覧くださいませ)

ミル涙イメージ画像
ミル

時間切れでほとんど見れてなかったみたい。でもまあ、一番たいせつなのは本殿だよ。

五郎不機嫌イメージ画像
五郎

大量の石の狛犬……なんなんだよ。重要文化財は「木造」だ。

ミル不機嫌イメージ画像
ミル

君も一緒になって狛犬探して徘徊してたよね? あれは「木造」のを探していたわけ?

五郎不機嫌イメージ画像
五郎

……。

瑠璃光寺五重塔記念撮影
五郎とミルの防芸旅日記

大内氏を紹介するサイト「周防山口館」で一番の人気キャラ(本人談)五郎とその世話係・ミルが、山口市内と広島県の大内氏ゆかりの場所を回った旅日記集大成。要するに、それぞれの関連記事へのリンク集、つまりは目次ページです。

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ミル@周防山口館

大内氏を愛してやまないミルが、ゆかりの地と当主さまたちの魅力をお届けします

【取得資格】
全国通訳案内士、旅行業務取扱管理者
ともに観光庁が認定する国家試験で以下を証明
1.日本の文化、歴史について外国からのお客さまにご案内できる基礎知識と語学力
2.旅行業を営むのに必要な法律、約款、観光地理の知識や実務能力

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