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妙見社(山口市徳地八坂)

2023年12月31日

妙見社(徳地)・案内看板

山口県山口市徳地八坂の妙見社とは?

妙見社のオオイチョウとして、天然記念物になっている銀杏の木で有名な神社です。しかし、自治体さまホームページや、郷土史の書物をあたっても(現在手元にあるもの。徳地限定の郷土史は持っていません)、なぜかお社についてのご説明がみつけられません(書いている人がみつけられていないだけです)。妙見「社」というからには、かつて妙見大菩薩を祀っていたはずです。たいてい、そのような神社は、現在は天御中主神が祭神となり、社名もかわっていることが普通です。むろん、全国見渡せば「妙見社」は今も多数あり、つまりは例外も多いということになります。「社」というからには、神社と思われますが、なにゆえに御由緒などがどこにも書いていないのか、謎で仕方がありません。

付近に何一つなければ、妙見社はなくなって、その跡地に植えられたオオイチョウだけが今に至るまで残っている、として簡単に片付けられます。しかし問題なのは、オオイチョウの背後に、現在も神社らしき建物が建っていることです。これが、妙見社の再建物なのか、無関係の別神社なのかについては、説明看板の類が何もないため、確認できません。まったくもって不本意ながら、妙見社については調査中ということにさせてください。

天然記念物となっているオオイチョウは一見の価値がございます。背後のお社も長閑で奥ゆかしい雰囲気です。

重要

この記事は、オオイチョウの後ろにある神社を妙見社であると仮定して、その神社について書いております。上述のように、オオイチョウは「かつて妙見社があった場所に植えられた」とされており、つまり妙見社は一度火災によって焼失しています。従いまして、現在ある神社が妙見社の再建物なのか、まったく別の神社なのかは判断できていません。でき次第その旨告知いたします。なお、Googlemap では、この神社は「妙見宮」となっています。

妙見社(山口市徳地)・基本情報

ご鎮座地 〒747-0344 山口市徳地八坂 448
御祭神 不明(※妙見、もしくは天御中主神と思われるが、典拠がないため書けません) 
主な建物 社殿、鳥居、狛犬、灯籠、記念碑
(参照:ご鎮座地は Googlemap にあった住所です。建物については目視)
※「妙見社のオオイチョウ」の背後にある神社についての情報です。「妙見社の背後にある神社」という見出しはみっともないので、妙見社だと仮定して書いています(以下同じ)。

妙見社(山口市徳地)・歴史

現在のところ、天然記念物となっているオオイチョウについての文化財説明看板にある、以下の一文だけが手がかりです。

この大イチョウは寛元二年(一二四四)に創建された妙見社が火災により焼失した際に植えられたと言い伝えられており、樹齢七〇〇年余りと推定される。

出典:現地文化財案内看板

つまりは、この場所には、寛元二年(一二四四)創建の妙見社があった、ということになります。寛元年代といったら、鎌倉時代です。ですので、大内氏の先祖の誰か(分家等含む)が建立した可能性はあります。しかし、いつの時代かに焼失してしまったので、現在は存在せず、その跡地に植えられた(?)オオイチョウが現在まで続いているものと思われます。

しかし、オオイチョウの背後には、現在もお社があります。それが再建された妙見社なのか否かは典拠がありません(書いている人が見付けていないだけの可能性大)。神社には案内看板のようなものは一切なく、オオイチョウの説明看板にも、焼けてしまった後の妙見社が再建されたという言及はないです。何となくですが、もし再建されたのならば、書かれていてしかるべきと感じます。

じゃあ、背後にある神社は何なのか? 分らないです。『山口市史』には市内にあった妙見社で、現在天御中主神社となっているものについての表が載っていましたが、徳地のものは書かれていませんでした。市町村合併前の徳地の郷土史にあたればよいのだろうと思いますが、現在入手できておりません。

Googlemap を見ると、オオイチョウの背後に「妙見宮」があると書かれています。位置的には紛れもなくこちらですが、焼失前の妙見社が再建されたものなのか、別物なのか、典拠なしで決めることはできません。

なんだよ、何もわからないんじゃないか、ってなりますが、嘘は書けないのでそうなります。

妙見社というよりも「妙見社のオオイチョウ」としては、由緒も存在もはっきりとしているのですが。

妙見社(山口市徳地)・みどころ

鳥居

妙見社(徳地)・鳥居

何やらそれなりに年代モノと思われる石鳥居です。

拝殿

妙見社(徳地)・拝殿

鳥居から参道を抜けて辿り着いた先にございます。何とも奥ゆかしい場所にあります。毛利家の家紋がついていることから、江戸時代くらいの創建と思われます。焼失した妙見社の再建物として建てられたものか、まったく別の神社であるものか、ぜひとも知りたいところです。なお、重要文化財指定がないことから、社殿はその後も修復を繰り返されたか、もしくは近代になってからの再建物なのかもしれません。本当になにひとつ書かれておりませんので、現地に行ったところで、情報は得られません。

オオイチョウ

妙見社(徳地)・オオイチョウ

これがオオイチョウです。どんだけ大きいのでしょうか。

妙見社(山口市徳地)の所在地・行き方について

ご鎮座地 & MAP 

ご鎮座地 〒747-0344 山口市徳地八坂 448

アクセス

山口駅から観光タクシー。徳地に行く際はなぜか、常にこうなります。歩くことはまさかできませんが。滞在中、一度は観光タクシーのお世話になり、歩けなそうなところをまとめる必要があるので、致し方ないです。

参考文献:現地案内看板

妙見社(山口市徳地)について:まとめ & 感想

妙見社(山口市徳地)・まとめ

  1. かつてこの地には妙見社があった、という場所にオオイチョウが植えられて天然記念物となっている
  2. 妙見社は鎌倉時代に創建された由緒ある神社だったが、火災により焼失したという
  3. 現在、オオイチョウの裏手に神社が建っており、Googlemap にはそれらしき場所に「妙見宮」の表記がある。妙見社が再建されたものなのかは不明
  4. 本来なら、かつての妙見は天御中主神となっているはずで、神社としても天御中主神社であるはず
  5. むろん、全国には例外も多く、通称として昔ながらの「妙見さま」と呼ばれているところも、いつの間にか、妙見社にもどっているところもある。しかし、現状史料がなく、この神社がなんなのかは不明、とせざるを得ない(現地に案内版の類は一切なし)
  6. 社殿には毛利家の家紋があり、江戸時代の創建と思われる。その後の修築、改築、再建なども一切不明。

単に「妙見社のオオイチョウ」というタイトルにすれば、なんの問題も無い項目。しかし、背後に神社があり、参詣もしてきた以上、紹介したくなるのはごく普通の感情。また、深く悩まずに、妙見社としても、多分なんら問題はないと思います。

しかし、適当に事実確認がとれない事項を上げるのは非常に気持ちが悪く、断定は控えている次第です。恐らくは、徳地の郷土史に詳しいと思われますが、現状入手困難です。山口市の郷土史に載っていると考えたのが甘かったです。市町村合併前の出版なので、徳地については書いていないのです。

観光協会に電話一本ですむではないか、と思いましたが、年末年始の多忙な時期に……とぐずぐずしているうちに仕事納めに。調べが付くまで公開しないのも一つの選択肢ですが、更新頻度があまりに開いてしまったのでという意味合いもございまして。

こんな方におすすめ

  • 巨樹、大木に関心がある方
  • 普通に寺社巡りを好む方

オススメ度


(オススメ度の基準についてはコチラをご覧くださいませ)

五郎吹き出し用イメージ画像(怒る)
五郎

妙見社の再建物で問題ないんじゃないの?

ミル吹き出し用イメージ画像(涙)
ミル

多分そうと思う。でも、なんで天御中主神社ではないのかとか、あれこれ気になるし、案内看板が一切ないから。

五郎イメージ画像(背景あり)
五郎とミルの部屋

大内氏を紹介するサイト「周防山口館」で一番の人気キャラ(本人談)五郎とその世話係・ミルが、山口市内と広島県の大内氏ゆかりの場所を回った旅日記集大成。要するに、それぞれの関連記事へのリンク集、つまりは目次ページです。

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ミル@周防山口館

大内氏を愛してやまないミルが、ゆかりの地と当主さまたちの魅力をお届けします
【取得資格】全国通訳案内士、旅行業務取扱管理者
ともに観光庁が認定する国家試験で以下を証明
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