大内氏館跡(山口市)

大内氏館跡西門看板

大内氏館跡・基本情報

住所 〒753-0093 山口市大殿大路119龍福寺
最寄り駅 県庁前バス停から徒歩10分

大内氏館跡・歴史

大内氏館が山口につくられたのは、南北朝期大内弘世の時代とされている。
ゆえに、香山公園には、弘世公像が建っており、市街を見守っている。

大内氏は、大内盆地(山口市大内御堀)から山口盆地(山口市大殿通)へ拠点を移した。
考古学的な研究によると、つぎのことが明らか。
山口の大内氏館は14世紀頃すでに存在。弘世時代まで遡るとみられている。
その後、16世紀中葉滅亡まで存続。それ以降は消滅し、跡地は龍福寺となった。

現在の龍福寺のあたりがだいたいかつての館跡だとされ、その周辺には敷地を囲むように土塁や堀がある。

歴代当主は京都に滞在=在京していたから、京都にも館をもっており、山口に常駐しているわけではなかった。これはほかの守護大名たちも事情は同じだが、やがて応仁の乱が勃発、そして終結すると、京を離れそれぞれの分国に腰を落ち着けるようになっていった。
ただし、この応仁の乱終結後在国するようになった、という通説は大内家にはあてはまらず、大乱勃発前の大内教弘の代からすでに在京をやめてしまっていた。
伊藤幸司先生はこれを、「時代先取り」と書いておられる(『大内氏の文化を探る』)

教弘代、山口の館で在国するようになった頃から、山口の町は都市として大いに発展する。そして、大内氏館も拡充されていくのである。

16世紀中頃、山口の町も館も最盛期を迎える。
このとき、館には三つもの庭園が存在したという。

しかし、その後まもなく、16世紀後半に館は消滅。
跡地は龍福寺になった。

大内氏館跡・みどころ

大内氏遺跡として調査が進められているのは、館跡、築山跡、高嶺城跡、凌雲寺の四か所だが、もっとも成果があがっているのはこの館跡だろう。
それでも整備計画はなおも続いている。

発掘調査が完了した遺構については、二種類の保存方法がある。

目に見えないかたち⇒埋め戻して地下で保存
目に見えるかたち⇒露出展示または復元展示保存

後者だと、学習のための資料や観光資源にすることもできる。

現在大内氏館跡の保存状況は……。

遺構そのものを露出展示⇒枯山水庭園と石組溝の一部(西門付近)
復元展示⇒池泉庭園や土塁・堀跡・建物跡

つまり、現状でも二つの庭園と土塁、さらに一部の建物跡を見ることが可能。
将来的には大内氏遺跡すべてを連動させて活用させる壮大なプロジェクトが進行中であり、完了したらすごいことになるだろう。

大内氏館跡西門

大内氏館跡土塁

おや? これは車内から撮られたものだな
僕は超多忙なんだよ。ゆっくり観光してるヒマなんてないの。

参照:山口市教育委員会「史跡大内氏遺跡保存活用計画」2019年 PDF、『大内氏の世界を探る』勉誠出版