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瑠璃光寺(山口市) 

2020年9月23日

山門の写真

瑠璃光寺・基本情報

住所 〒753-0081 山口県山口市香山町7−1
電話 083-922-2409
最寄り駅 山口駅から車で15分
山号・寺号・本尊 保寧山・瑠璃光寺・薬師如来
宗派 曹洞宗

瑠璃光寺・歴史

瑠璃光寺は陶弘房の菩提寺である。弘房は、大内教弘、政弘期の重臣で、応仁の乱の際、相国寺の戦いで亡くなったとされる。この寺院は弘房の死後、その菩提を弔うために夫人によって建てられた。創建は文明三年(1471)、元々は仁保の地にあり、安養寺といった。開祖は石屋派の大庵須益大和尚。明応元年(1492)、弘房の念持仏が薬師如来であったことから、瑠璃光寺と名を改めた。長門・大寧寺、周防・龍文寺(陶氏の菩提寺)とともに、江戸時代末期に至るまで、西日本の僧録司を務めた名刹で、多くの名僧を輩出し、県内外に三十を超える末寺があった。

瑠璃光寺が現在の場所に移ったのは、元禄三年(1690)のこと。この地は周知のごとく、元大内義弘の菩提寺・香積寺の跡地である。そこで、香積寺の由来についても確認しておく必要がある。

香積寺は大内義弘が石屏子介(周防出身、仏鑑派、入元僧)を開祖に建立した寺院であった。義弘が応永の乱で敗死したのち、弟・盛見は兄の菩提を弔うために五重塔を建立することにした。しかし、盛見は塔の完成を見届けることなく九州で戦死し、嘉吉二年(1442)、ようやく塔は完成した。

大内氏が滅亡し、毛利氏が防長の主となると、香積寺は解体され、萩に移築されてしまった。「移築」というと、名前を変えたりしながらも寺院は存続しているように思える。実際、毛利氏ゆかりの寺院もあれこれと場所や名前を変えている。しかし、残念なことに、香積寺は廃寺とされて、寺院そのものがなくなってしまった。萩に運ばれた後は、城郭を造る資材としたとか、他家に贈呈されて寺院建築用材となったとか、色々言われている。そのうち、元仏殿は、安芸国に移築された。現在安芸不動院として国宝となっているものがそれである(広島市東区)。⇒ 関連記事:不動院

唯一、五重塔だけは、今も変わらず、元あった地に佇む。これには地元の人々が五重塔を壊さないで欲しいと願い出て聞き入れられた、という経緯がある。住人たちが奉行所に宛てた請願書が残されているという。(以上、参照:説明看板、『周防国と陶氏』)

瑠璃光寺がこの地に移って来た理由は不明だが、前述のように、元々由緒ある古刹だったことから、現在に至るまで信仰を集めている。また、香積寺にあった五重塔は、瑠璃光寺五重塔となって、今も人々に愛されていることは言うまでもない。

瑠璃光寺・みどころ

瑠璃光寺五重塔(国宝)、日本最古の『正法眼蔵』(山口県指定文化財)、『拈頌集』(山口市指定文化財)

参考

『正法眼蔵』 曹洞宗開祖・道元の著作
『拈頌集』 禅宗法話集のようなもの。右田弘詮が書写し、瑠璃光寺に納めた。

右田弘詮イメージキャラクター画像

五郎

外祖父上ゆかりの品だ!

ミル

そうだね。本だけではなく、それを入れる箱もお作りになったようだよ。

残念ながら、書物は一般人が見ることはできないけれども、五重塔は見放題。満喫しましょう。

山門

山門の写真

鎮守石殿

鎮守石殿の写真

瑠璃光寺が仁保にあった頃、十三代・重堂専宗大和尚が慶安三年(1650)、寺の鎮守として造った。造立年代は刻銘から明らかで、山口県内にこの時期の石殿は少ないことから、たいへんに貴重なもの。(参照:説明看板)

石造五重塔

石造五重塔の写真

このミニチュア版五重塔は、石造りで、じつは「経塚」。五重塔建立 550年という節目の年、平成四年(1992)に造られた。これまで五重塔を守り支えて来られた人々の霊を供養し、また、信者の方々、参詣者の人々の先祖供養や、子孫繁栄を祈って般若心経を書写、埋経してくださったもの。(参照:説明看板)

背後に廻廊と鐘楼が見えている。

慈母観音

慈母観音の写真

見切り地蔵

見切り地蔵の写真

身代わり地蔵ともいう。「我が身を切ってその人の身代わりとなられる」お地蔵様。

水掛け地蔵

水掛け地蔵の写真

ガン、ぼけ封じのお地蔵様。

本堂

本堂の写真

瑠璃光寺は陶弘房の菩提寺であるため、その念持仏・薬師如来が本尊。
ちなみに、薬師如来様は瑠璃光浄土におられる。寺名の由来は多分これだ。

長寿薬師如来・高祖承陽大師

長寿薬師如来・高祖承陽大師の写真

仏足石

仏足石の写真

金毘羅大権現

金毘羅大権現の写真

南北朝時代の貞治三年(1364)、讃岐国・金比羅神社本宮から分霊を勧請したのが、大内氏における金毘羅神社信仰の始まり。御祭神は大物主神と崇徳天皇の二柱。航海安全、交通安全の神様。

説明看板によれば、瑠璃光寺に金比羅様を寄進したのは弘房の子・弘護とある。宝永の頃、海難に遭った信者がこの神様に祈ったところ、無事に帰国することができたので、そのお礼に社を再建したというから、弘護代の社は傷んでしまっていたのだろう。

現在も毎年四月十日に大祭が行なわれ、信者も多いという。(以上、参照:説明看板)

陶弘護キャラクターイメージ画像

五郎

わあ、祖父上が寄進した神社だ!!

ミル

確かにあれこれと、どう見てもここは、陶のくにの寺院だね。

瑠璃光寺資料館

瑠璃光寺資料館の写真

瑠璃光寺に来て、資料館を通過してはならない。ここに入れば、五重塔のことがすべてわかる。外の壁に貼られている資料は購入することができるので、必死に暗記して帰る必要なし。なお、売店で素敵なポストカードを販売しておいでなのも、資料館の方々。春の花、夏の青葉、秋の紅葉、冬の雪、春夏秋冬折々の美しい五重塔の写真が揃っている。写真撮影の技術がイマイチの人、シーズンオフに遠方から来た参拝者もがっかりしなくてよい。綺麗な写真を購入すれば、五重塔のベストショットはすべてコンプリートできる。

五重塔

五重塔で一番大切な部分はどこか? 答えは屋根の天辺。これはガイドさんから問われたクイズだったのだが、難問。当然屋根以下の建物部分と思っていたので。その大切な部分について、丁寧なご案内をしてくださったのだが、宝珠以外はすべて忘れてしまい……。絶望的になったところ、説明看板にも解説図面が載っていた。ガイドさんがすべて、あますところなく解説してくださっていた。覚える必要はないとはいえ、せっかくだから忘れないようにしたい。

五重塔説明看板の写真山口に来て、五重塔を見ない人はまずいないだろう。塔は再建当時の姿のままで残されており、今に伝わる貴重な文化財だ。花咲く春も、紅葉の秋も、五重塔はいつ来ても美しい。そして、時間によってもその姿を変える。

写真家たちは毎日この場所に足を運び、四季折々時々刻々と姿を変える、でも、いつ、どこから見ても美しいこの塔の姿を写し取って行く。手前の池は、吹く風によって波立っていることが多く、鏡のような水面に映る塔の姿に出会えることは珍しいそうである。偶然にもその稀なるワンシーンに行き会い、興奮して声をかけて来てくださった愛好家とともにシャッターを押した。五重塔の写真これが、ただのスマートフォンではなく、高機能のデジタルカメラであり、撮影者の技術も高ければ……と残念に思う。

何度訪れ、何枚撮影したかわからない五重塔の写真集はコチラ。

瑠璃光寺五重塔・観光写真
瑠璃光寺五重塔・観光写真

五重塔だらけです。

suoyamaguchi-palace.com

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瑠璃光寺写真集

アクセス

山口駅から町歩きしながら30分、もしくはバス、タクシーなどの車で15分。

参照文献:新南陽郷土史会様編『中世周防国と陶氏』、案内看板
※この記事は 20220914 に加筆修正されました。

五重塔記念撮影の写真
五郎とミルの防長芸旅日記

山口市内と広島県の大内氏ゆかりの場所を回った旅日記。ついでに本拠地・周南の宣伝もしちゃう。

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