興隆寺(山口市)

興隆寺

興隆寺・基本情報

住所 〒753-0214 山口県山口市大内氷上5丁目
電話 083-927-0597
最寄り駅 山口駅からバス15分、農業試験場前バス停から徒歩15分
宗派 天台宗
ホームページ https://koryujimyokensha.web.fc2.com/

興隆寺・歴史

大内御堀氷上山にあった天台宗の大寺院で、大内氏の氏寺として栄えた。境内にある妙見社に祀る妙見大菩薩は氏神として重視され、北辰信仰を拠り所に領国内の精神的結集をはかる役割を担っていた。
先祖伝説では、始祖である百済の王子・琳聖を守護するために妙見菩薩が下松に降臨したことになっている。その後、妙見菩薩は氷上山に勧請され、氏寺・興隆寺と合体。興隆寺の草創者も琳聖とされているから、大内氏歴代と家臣たちにとっては、まさに神聖不可侵な領域であった。
琳聖太子の存在そのものが完全なる捏造であり、歴代当主の興隆寺への手厚い保護が多分に政治的な意味合いを含むものであったにせよ、かつてこの寺院が特別な存在であったことは嘘偽りのない事実なのだ。
一族の滅亡後、氏寺としての威光は失われ、見る影もない。かつての伽藍の荘厳さを知るために、なおも研究は続けられており、考古学的発掘調査も行われている。
なお、興隆寺じたいは規模を縮小しつつなおも存続しており、貴重な文化財として伝えられている遺産もある。

興隆寺・みどころ

興隆寺由来看板


興隆寺の説明看板はこれ以上ないくらい詳細。
これを読めば、もう何の説明も不要だろう。

本堂


大内家の滅亡後、氏寺としての威光は失われた。そうなると、当然、寺院の経営も苦しくなる。
そんな興隆寺を復興しようと尽力したのが、江戸時代の行海僧正。
この僧正の功績を称えるため、元禄八(1695)年に、辧海和尚という人が「中興堂」という建物を建てた。これが現在、興隆寺の本殿になっている。
では、元々の本殿はどうなったかと言えば、龍福寺に移築されて存続している。

梵鐘


大内義隆が寄進した物で、国指定の重要文化財である。

妙見社


あまりにも有名な興隆寺の妙見社。
残念ながら、これも大内家当時のものではないらしく、現在のものは、毛利家によって再建されたものである。

文化財の宝庫


看板だけの紹介となるが、「木造釈迦如来坐像」。これは現在の本堂に安置されているわけだが、これこそが、大内家時代から受け継がれているレアものである。
なお、自治体サイトに紹介されている、銅鐘と氷上山扁額のほかにも、寺院のホームページによれば、以下のような指定文化財がある。「琳聖太子の剣・宝剣拵・付属文書」、「木造釈迦如来坐像」、「絹本着色両界曼陀羅図」、「木造龍頭・舞楽面・獅子頭」(いずれも、県指定有形文化財)。
興隆寺写真集