興隆寺・栄華を誇った元大内氏氏寺

かつての大内家氏寺・興隆寺

大内家の全盛期、興隆寺はその氏寺として、たいそう栄え、大切にされた。
二月会などのイベントも非常に重要なものであり、毎年、盛大に執り行われていた。
大内家の滅亡後も、毛利家によって引き継き保護されてはいた。
しかし、当主の氏寺としての威光はもうないので、次第に廃れ、往時の栄華は、失われていった。
ただし、銅鐘や氷上山扁額など興隆寺所蔵の貴重な文化財も少なくない。
往時を偲ぶためにも、ぜひとも足を運んでおきたいところ。
今も、地元有志の方々の手によって、大切に守り伝えられている。

興隆寺由来


興隆寺の説明看板はこれ以上ないくらい詳細。これを読めば、もう何の説明も不要だろう。
(ただし、この写真だと小さすぎて読めない。現在元のクリアなものを探し中)

本堂


大内家の滅亡後、氏寺としての威光は失われた。そうなると、当然、寺院の経営も苦しくなる。
そんな興隆寺を復興しようと尽力したのが、江戸時代の行海僧正。
この僧正の功績を称えるため、元禄八(1695)年に、辧海和尚という人が「中興堂」という建物を建てた。
これが現在、興隆寺の本殿なっている。

梵鐘


大内義隆が寄進した物で、国指定の重要文化財である。

妙見社


あまりにも有名な興隆寺の妙見社。
残念ながら、これも大内家当時のものではないらしく、現在のものは、毛利家によって再建されたものである。

文化財の宝庫


看板だけの紹介となるが、「木造釈迦如来坐像」。これは現在の本堂に安置されているわけだが、これこそが、大内家時代から受け継がれているレアものである。
なお、自治体サイトに紹介されている、銅鐘と氷上山の扁額のほかにも、寺院のホームページによれば、以下のような指定文化財がある。「琳聖太子の剣・宝剣拵・付属文書」、「木造釈迦如来坐像」、「絹本着色両界曼陀羅図」、「木造龍頭・舞楽面・獅子頭」(いずれも、県指定有形文化財)。

〒753-0214 山口県山口市大内氷上5丁目14−426−6