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金輪神社(下松市北斗町)

2020年10月8日

金輪神社・金輪公園

山口県下松市北斗町の金輪神社とは?

下松駅北口からほど近いところにある神社です。お祀りされているのは、鼎大明神という聞きなれない神さま。大内氏の先祖・琳聖太子が百済国から来朝する前、異国の王子を守護するために北辰が舞い降りたとされる鷲頭荘青柳浦の松。三本の松が鼎のように並び立っていたことから、「鼎の松」と呼ばれていました。鼎大明神とは、つまりこの松の木なのです。

伝説の松はすでに枯れてしまいましたが、「五代目」の子孫はなおも健在です。神社の傍に五代目の松や、「七星降臨鼎之松」と刻した石碑などがまとまっており、一帯は「金輪公園」として、地元の方々の憩いの場となっています。

金輪神社・基本情報

ご鎮座地 〒744-0012 下松市北斗町 11
御祭神 鼎大明神
主な建物 社殿、鳥居、手水鉢 
主な祭典 どんど焼き(一月)、星祭り(六月)
(ご鎮座地は Googlemap にあったもの、建物は目視、御祭神は『鼎の松』説明看板、お祭りは観光協会 HPの記事参照)

金輪神社・歴史

星降る町、くだまつの由来となったのは、北辰降臨伝説です。鷲頭庄青柳浦の松の木に、星が降って来て貴人の来訪を告げた……というもので、その星が降って来た松の木がこの場所にございます。

「鼎の松」と呼ばれるもので、当時は、鼎のように、三本の松がはえていたといいます。隕石のような事例もあるので、星が落ちてきたことはあながちただの伝説とは言い切れません。しかし、古代・中世の人々にとっては、それは貴人の来訪を告げる神さまのご降臨でなければなりません。そもそも隕石などという概念はなかったのですから。そのような伝説に彩られた松の木が、形ある状態でかつてここに存在していたのです。

残念ながら、元々の由来の松は枯れてしまったそうです。現在のものは「五代目」である旨、現地案内看板にあります。

ご降臨の松をお祀りして、神社ができました。それが現在の「金輪神社」です。残念ながら、山口県神社庁様のご本にはこの神社についての記述がなく、これ以上の詳細を調べることはできませんでした。しかし、「鼎の松」の現地案内看板によれば、昭和二十四年に「再建」された、とあります。つまりは、それ以前にも、何らかのかたちで松の木をご神体とする神社が存在していたと思われます。

神社では一月にどんど焼き、六月に星祭りのイベントが行われているそうです。イベントの内容は、子ども神輿と福引きとなります(参照:下松市観光協会 HP)。星祭りというネーミングが素敵すぎますね。

なお、神社を含め、この付近一帯は「金輪公園」として整備されており、地元の方々の憩いの広場となっています。

金輪神社・みどころ

神社は公園の中にひっそりと佇むお社です。中に祀られているのは「北辰降臨」の松。くだんの松が「鼎の松」と呼ばれていることから「鼎大明神」として神格化されております。

神社の近くに元祖・北辰降臨の松の子孫が植えられています。参詣と同時に松の木(神さま)の子孫にもお目にかかり、記念碑なども見ておくとよいでしょう。

鳥居

金輪神社・鳥居

立派な注連縄が目を引く石鳥居です。鳥居の背後に松の木が見えていますが、これは北辰降臨の松ではありません(子孫である可能性はあります)。

社殿

金輪神社・社殿

いついかなる社殿でも、脇からも拝見します。

金輪神社・社殿(脇から見た図)

おお、何やら西洋風の教会のように見えました。やはり、社殿はどこも奥行きがありますね。

鼎の松

金輪神社「鼎の松」(後代)

「北辰星が天降りしたという松樹で降臨松、連理松、相生松の三樹が鼎の形をしているので『鼎の松』と呼ばれている。(別に、金輪の松とも呼ばれる。)
ここのお社は金輪神社と呼ばれ、鼎大明神をお祭りしてあり、下松発祥の聖地として昭和二十四年に再建されたものである。
下松市
下松市観光協会」(看板説明文)

金輪神社・「鼎の松」(背後から見た図)

同じ松の木を反対側から見てみると、「鼎の松 五代目」という看板が立っていました。

七星降臨鼎之松

金輪神社・「七星降臨鼎之松」石碑

松の木の右手に、「七星降臨鼎之松」と刻された立派な石碑が立っていました。下松の人たちが、どれほどこの松の木と、北辰降臨の伝説を大切にしてくださっているのかがわかります。

金輪神社(下松市北斗町)の所在地・行き方について

ご鎮座地 & MAP 

ご鎮座地 〒744-0012 下松市北斗町 11
※Googlemap にあった住所です。

アクセス

下松駅から徒歩圏です。北口から徒歩 3 分なので、出口を間違えないようにお気を付けください。

ところで、下松駅がやや分りづらいです。地元の方がこれをお読みになったら、「どこが?」と不思議に感じられることと思いますが。列車から下りて北口に出るのは何ら問題ありません。しかし、帰りに迷ってしまいました。それこそ、ナビゲーションは「目的地に到着しました」と言っているのに、駅がない状態に陥ったのです。宮内串戸の例もありますし、これは大変なことになってしまった、と焦りました。

下松駅

要は、このようになっており、階段を上がっていかなければ駅に入れません。分っていれば何でもないことなのですが、知らなかったために、ん? 駅へはどうやって? としばし悩みました。階段の上がり口に「下松駅はコチラ」などと書いてはありませんから(単に見落としていただけでしたらごめんなさい)、あれれれ? となってしまいました。でもって、「下松駅」という看板もおしとやかに階段を上がった先に奥ゆかしく書かれており、下からでは見付けられなかったのです。

来るときに同じ駅を使っているのですから、普通に気付くはずですが、あれこれ感激しているうちにすっかり忘れてしまったようです。そういえば、通勤駅も階段を上った先にございますが、デカデカと○○駅と書かれた真下に地面から直の階段がついております。下松駅の場合は階段を上ってさらに直進した先に駅名が書かれているので、ちょっと見えにくいんですよね。

参考文献:下松市観光協会 HP ほか

金輪神社(下松市北斗町)について:まとめ & 感想

金輪神社(下松市北斗町)・まとめ

  1. 大内氏の先祖伝説に記された「北辰降臨」の逸話。鷲頭荘青柳浦の松の木に北辰が降りてきて、七日七晩輝いた、というもの。星は北辰として、妙見社に祀られたが、松の木も祀られていた(らしい)
  2. そもそも、「北辰降臨」は神話・伝説の世界だが、星が降りてきた松は、三本の松が鼎のように並び立っていたことから「鼎の松」と呼ばれ、「実在して」いた
  3. 残念なことに、推古朝の時代に、星が降ってきた木は枯れてしまい、現在はその五代目となる
  4. 人々は「北辰降臨」の伝説を信じ、星だけでなく、松のほうもお祀りし、「鼎大明神」と呼んでいたようである。鼎の松は別名金輪の松とも呼ばれたことから、松の木を祀る神社は「金輪神社」といった
  5. 以上、いついかなる頃から続くものか不明ながら、現存する「金輪神社」は「北辰降臨」伝説と「鼎の松」とを下松(という地名)発祥の地として守り伝えてきた地元の人々によって、昭和時代に「再建」されたものである
  6. 大内氏と北辰降臨伝説、星降る町下松を愛するすべての人にとって、この地が聖地であることはまちがいない

夢にまで見た北辰降臨の地に実際に足を踏み入れたのは、数年前のことになります。星降る町というキャッチフレーズが似合う町・下松は、琳聖太子ゆかりの地であり、氏神・妙見社の本家本元のご鎮座地です。そうと知りながら下松を通り過ぎてしまう人は、大内氏とは縁もゆかりもない観光客の方々でしょう。旅の目的はひとそれぞれ。明治維新ゆかりの地を回ろうが、秋吉台で鍾乳洞を見て感動しようが、百人いれば行き先は百通りあって当然です。

とまれ、北辰北辰と唱えている身で、下松をスルーすることはあり得ません。北辰降臨の松の木はすでに枯れてしまい、かつて歴代当主さまが目にしたかもしれないものは既にないことは事前に知っていました(そもそも、わざわざ松の木を見るために歴代当主が下松へ来ていたかなんて知りませんけど……)。それでも、「絶対に見なければならない」という思いは強くありました。生まれて初めて山口の地を訪れた時、最初に訪問したのは大寧寺でしたが、それはたまたまルートがそうだったためであり、その回にきちんと下松にも立ち寄っていました。もちろん、この松の木を見るためと、降松神社に参詣するためです。

なんと、松の木が神格化されて、神社に祀られていると知ったのは現地に着いてからでした。礼儀正しそうなご高齢の夫人がしっかりと手を合せて、長々とお祈りを捧げていた光景は今も目に焼き付いております。まさか、再び下松の地を訪れることになるとは、その時は夢にも思いませんでした。星降る町なんて浪漫チックなどといいながら、心の中では神さまが天から下りてきて云々は非科学的であり、単なる言い伝えに過ぎないとわかっていたからです。今もその思いはかわりません。しかし、伝説を信じる信じないに関わりなく、愛することは可能です。デタラメと知りつつも、そこに浪漫を求めるのはありだと思うので。

しかし、降松神社に中宮と上宮があることを知らず、若宮だけで帰宅してしまったことは悔やんでも悔やみきれず、あああ、また飛行機乗って山口行くのか……とわずかな残高の通帳を眺めつつ日々を過ごしておりました。今回念願叶って久々に下松を再訪。見残していたものをきちんと目に焼き付けて帰宅しました。当然、駅前にある松の木にもご挨拶しました。数年前とまったく変らぬお姿で、神社はご鎮座し、松の木もましましておられました。数年間の間に多少は知識も増え、ものの見方も変りました。

神さまが天降ったことは単なる言い伝えに過ぎないのかもしれません。けれども、それを麗しい先祖伝説としていた人々が、かつて存在していたことは事実です。北辰降臨の先祖伝説を唱えた一族は滅び去りました。けれども、その伝説を、町の名前発祥の地として大切に守ってくださっている地元の方々は今も大勢おられるのです。滅びた彼らを愛しく思う身として、やはり下松はいつまでも「聖地」であり続けると信じています。北辰は間違いなく、この木(の先祖の木)の上に降りて来られたのだ、そう思いました。

こんな方におすすめ

  • 「星降る町」などという麗しい物語を聞いたら足を運ばずにはおられないロマンチスト
  • 大内氏の先祖伝説信奉者

オススメ度


(オススメ度の基準についてはコチラをご覧くださいませ)

五郎涙イメージ画像
五郎

何で松の木は枯れてしまったのかな?

ミル涙イメージ画像
ミル

木にも寿命があるんだよ。松食い虫の被害だと聞いたよ。本当に残念だね……。

畠山義豊イメージ画像
次郎

それよりもさ、「おすすめ」が意味不明なんだけど。ただの松の木しかない公園とちっぽけな神社なのに、そこら中の立派な寺院や神社より評点高いとか依怙贔屓じゃないの?

於児丸不機嫌イメージ画像
於児丸

彼らにとってはこれ以上ないくらいのおすすめの場所だ。お前がとやかくいう資格はない。どちらにも当てはまらないのだからな。

新介通常イメージ画像
新介

父上がお書きになった家譜にある松の木が、もう五代目となるのですね。

法泉寺さまイメージ画像
法泉寺さま

……。

  • この記事を書いた人
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ミル@周防山口館

大内氏を愛してやまないミルが、ゆかりの地と当主さまたちの魅力をお届けします

【取得資格】
全国通訳案内士、旅行業務取扱管理者
ともに観光庁が認定する国家試験で以下を証明
1.日本の文化、歴史について外国からのお客さまにご案内できる基礎知識と語学力
2.旅行業を営むのに必要な法律、約款、観光地理の知識や実務能力

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