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ミル@周防山口館
大内氏を愛してやまないミルが、ゆかりの地と当主さまたちの魅力をお届けします
【取得資格】全国通訳案内士、旅行業務取扱管理者
ともに観光庁が認定する国家試験で以下を証明
1.日本の文化、歴史について外国からのお客さまにご案内できる基礎知識と語学力
2.旅行業を営むのに必要な法律、約款、観光地理の知識や実務能力
あなたの旅を素敵にガイド & プランニングできます
※サイトからはお仕事のご依頼は受け付けておりません※
【大内庭園・雅の宴】
2025/1/16
桓武平氏千葉氏の庶流。先に安芸武田氏に仕え、仁保島を拠点とした警固衆だった。瀬戸内海の制海権を欲する勢力から重要視され、多くの加増を条件に味方となって活躍。叛乱者に与した後、最後は毛利家家臣となった。
2025/1/15
十四代の子孫が「仁戸田」と名乗った一類と十七代の子・鰐石小太夫が仁戸田とも名乗った一類とがある。両者の関係は不明。謎だらけ。
2025/1/14
十九代・弘成の子貞保を祖とする。系図上は数代で途絶え、事蹟なども不明。義興・義隆期に活躍したのは宗像氏出身で改姓した人たち。
2025/1/12
十九代・弘成の子、弘房を祖とする一族。子孫は毛利家に仕えてその後も続いたが、毛利家臣となる直前の記録が曖昧で経緯は不明。
2025/1/11
大内氏が史料に現われる直前期に分出した一族。それゆえにか、系図からはほとんど手がかりを得られない。子孫は毛利家臣として続いた。
2025/1/11
矢田太郎こと二十一代弘家の子・成賢が祖。史料が少なく、不明な点が多い。主義隆の死を知った当主は殉死。その子孫は毛利家臣となる。
2025/1/11
末武氏の系図は信頼できるとして、『新撰大内氏系図』の御薗生翁甫先生も高く評価。義隆死後、吉見氏配下を経て毛利家臣となった。
2025/1/9
応仁の乱の時、主の留守分国で叛乱を起こした大内教幸の子孫。折敷畑、厳島と大内(陶)方として活躍したが、後に毛利家に仕えた。
2025/1/9
問田家から分家した一族。後継者がないまま当主が亡くなり、問田本家の者が継いだ。本家とともに叛乱家臣に与して滅んだらしい。
2025/1/11
盛房弟・盛長が立てた分家。名字の地・右田は現在の防府市にある。さらに分家した陶のほうが有名だが、毛利家に仕え家は存続した。