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六角堂(山口市秋穂東中条)
2023/12/10 寺院
大内義弘が京都の六角堂を勧請したのが起源。大昌寺の境外仏堂で、二十一年毎のご開帳の際には、寺院にて盛大な供養が執り行われていたという。現在はひっそりとしていてやや物寂しいが、六角形のお堂はとても立派で、一見の価値あり。ただし、ただそれだけ。
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庄方神社(山口市徳地堀)
2023/12/7 神社
大内盛見が宇佐八幡宮を勧請したという。氷上山信光院にあったものを、明治時代初めに現在地に移転した。現地には社名碑もなく、詳細は謎に包まれている。水田の中にぽつねんと佇む社殿は、時期と時間を選べば最高傑作が撮影できる知る人ぞ知る絶好の被写体。
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浄福寺(山口市嘉川)
2023/12/6 寺院
役小角創建とされる長い歴史をもつ。一時期廃れてしまっていたが、応永年間に日誓が熊野三社権現を勧請して再建。大内義隆が再建するなど、大内氏の祈願所として栄えた。江戸時代に正福寺、明治時代に現在の浄福寺と改名されたが、人々の篤い信仰は変らない。
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正福寺(山口市小郡)
2023/12/3 寺院
大内弘世が開基で、大内氏の祈願所だった寺院だとされるが。それらしきものは何もない。山口市の指定文化財となっている観音像がたいへんに貴重なものだが、行ったところでご開帳に合せないと拝むことはできない。観音堂の堂宇にはいつでも参詣できる。
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厳島神社(山口市宮島町)
2023/12/2 神社
大内盛見が安芸国の総本社から勧請したのが起源。応永十三年(1406)のこととされる。以来、明治維新直前期まで、ずっと現在の山口県庁の辺りに鎮座。しかし、毛利家が政庁を山口に移した際に、現在地に移転。社殿の規模も縮小されてしまったという。
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恒富八幡宮(山口市黒川)
2023/12/8 神社
境内神社となっている「高倉荒神社」は、大内氏の始祖・琳聖が、来朝する際に守護神としていた神を祀ったのが起源らしい。大内茂村が創建したとも伝わる。明治の寺社整理で恒富八幡宮の境内に移転した。平成時代に火災で焼失したので、現在の社殿は再建物。
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日吉神社(山口市平井)
2023/11/30 神社
市内にいくつもある日吉神社のひとつ。近江国日吉社から勧請されたということ以外、何も伝わっていない。江戸時代に、火災によって現在地に移転、再建された。参道石段から右手のほうに、古墳時代の遺跡があり、「日吉神社横穴古墳群」と呼ばれている。
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中郷八幡宮(山口市小郡)
2023/11/29 神社
大内氏が宇佐八幡宮から勧請したのが起源。竹田番匠作とされる立派な社殿があったが、明治時代の火災によって失われてしまった。現在の社殿は再建物だが、境内には山口県指定史跡の中郷貝塚や、同じく県指定自然記念物となっている中郷樹林などもある。
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正八幡宮(山口市秋穂西)
2023/11/27 神社
嵯峨天皇の時代に宇佐八幡宮から勧請されたのが起源。応永年間の火災以来再建されなかったが、応仁元年に大内政弘が再建。元亀五年、大内義興が現在地に移転再建。現在の建物は江戸時代の再建物だが、国の重要文化財に指定されている。
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北方八幡宮(山口市阿知須)
2023/11/27 神社
奈良時代に厚東武綱が宇佐八幡宮を勧請したのが起源。大内弘貞が南北に分社。弘家代にもそれぞれを移転。弘家代の移転が現在地で、南のほうは、宇部市に南方神社として鎮座している。火災などによる再建が繰り返され、地元の方々に守られて現在に至る。