降松神社(下松市)

降松神社・基本情報

住所 〒744-0061 下松市河内1984番地
電話 0833-41-0544
御祭神 天之御中主尊
最寄り駅 下松駅から車5分

降松神社・歴史

北辰降臨伝説、すなわち大内氏先祖伝説にもかかわる神社。
先祖伝説が後世に創作されたものとしても、神社の創建年代がとても古いことは事実。

推古天皇3年(595) 、都濃郡鷲頭庄青柳浦の松の木に星が降臨。
星は七日七夜輝き、「我は天之御中主尊なり、今より三年ならずして百済国の王子来朝すべし。その擁護のため天降りしなり」との託宣があった。
推古天皇5年(597) 三月二日、百済国聖明王第三王子・琳聖太子が来朝。
青柳浦桂木山に御神霊を祀り、北辰妙見社とたたえ、鷲頭庄の氏神となる。
以来青柳浦は降松と改められる。
推古天皇11年(603)、高鹿垣に社殿を遷す
推古天皇17年(609) 鷲頭山に上宮、中宮を建立。

大内弘世は鷲頭山麓赤阪に若宮を建立。
大内義弘は中宮に五重塔と仁王門を建立。
歴代の当主たちは、分国内の各地に妙見社を勧請。
本家本元である、ここ鷲頭山の妙見社も、妙見本宮と称えられ、広い信仰を集めた。

大内氏滅亡後、毛利氏にも信仰された。
元和年中、赤阪の若宮は現在の地に遷された。
現在の若宮は明和4年(1767)毛利就馴に再建されたもの。

慶長13年(1608)二月六日、火災により焼失したが、中宮本殿のみ被害を免れた。現在の本殿は大永3年(1523)大内義興の再建とされる。山門は文化4年(1807) の氏子中に再建によるもの。

明治3年、降松神社と改称され、昭和3年、県社となる。
明治45年、「偕楽園」と名付けられ、春は桜とツツジ、秋は紅葉が美しい公園となった。
(参照:神社由緒看板)

※祭神が「天之御中主尊」であることに注意しよう。
神仏習合により、妙見「菩薩」は寺院でも神社でも祀られていた。
だから大内氏の氏「神」妙見が氏「寺」興隆寺におられたのである。
北極星の神である妙見は、天の中心である「天之御中主尊」と同一とされた。
「妙見=天之御中主尊」という考え方が広まったのは、わりと最近のことで、少なくとも聖徳太子の時代ではない。
廃仏毀釈のとき、神と仏が分かたれると、菩薩である妙見は寺院に移され、妙見を祀っていた神社には「天之御中主尊」が祀られることになった。
これらの経緯は妙見宮鷲頭寺の由緒に詳しい。二つの寺社をあわせて巡り、それぞれの由来を確認するとたいへん興味深い。
降松神社の由緒では、鼎の松に降臨したのも、北辰=妙見大菩薩ではなく、「天之御中主尊」と記されている。
※神社の由緒看板だと、推古三年に星が降臨したとなっており、『大内多々良氏符牒写』より十四年も早い。もっとも、この年代は政弘代に「決められた」ものである。伝説の出来事が起った年代など、正確にはいつであったか証明することなどできはしない。

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降松神社・みどころ

とにかく古くて、由緒ある神社。
1400年以上もの歴史があるという。看板の文字からもそれが明らか。
降松神社は、上宮、中宮、下宮があり、普通に降松神社とだけいうと、山麓の若宮でおしまいに。
敷地は広大で、すべて見て回るにはちょっとした登山。ただ、中宮・本殿が義興代の再建というから、麓だけで終らせては見たことにならない……。

地元の方にお尋ねしたところ、毎年、初詣でたいへんににぎわう、
とても信仰を集めている神社だそうである。
おそらく、若宮のことだと思われる。

石段

降松神社の長い石段
長い。覚悟が要りそうだ。
ところが実は、車だと、これを上る必要がない。

千四百年の証

降松神社立て看板
千四百年云々しているのは、これ由来。

拝殿

降松神社拝殿
見にくいが、賽銭箱に大内菱が書かれている。

降松神社写真集

中宮、上宮(鷲頭山)