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降松神社(下松市)

2020年10月8日

石段の写真
ミル

降松神社には、上宮、中宮、若宮がございます。今回は若宮しか参拝しておりません。

降松神社・基本情報

住所 〒744-0061 下松市河内1984番地
電話 0833-41-0544
祭神 主祭神:天之御中主尊、配祀神:大山祇神、大物主神、崇徳天皇、素盞嗚尊、御后神、御子神、菅原道真公 
通称 みょうけんさま
主な祭典 例祭(十月十日)、春祭(四月十三日) 
社殿 上宮本殿、中宮本殿、上拝殿、下拝殿、神饌所、手水舎、楼門、若宮本殿、幣殿、神饌所、拝殿、楼門、社務所、祭儀所
境内神社 竈神社(火産霊神・沖津彦神・沖津姫神)、住吉神社(住吉大神三柱)、降松神社(天之御中主大神) 
主な建物 鳥居、狛犬、灯籠、御大典石灯籠、社碑
最寄り駅 若宮:下松駅から車5分

※祭神が「天之御中主尊」であることに注意。北極星の神である妙見は、天の中心である「天之御中主尊」と同一とされた。「妙見=天之御中主尊」という考え方が広まったのは、わりと最近のことで、少なくとも聖徳太子の時代ではない。だから、松の木に降りてきた神様が「我は天之御中主尊なり」と自称するのはちょっと違和感。
神と仏が分かたれた時、妙見「菩薩」は寺院に移され、妙見を祀っていた神社には「天之御中主尊」が祀られることになった。これらの経緯は妙見宮鷲頭寺の由緒に詳しい。二つの寺社をあわせて巡り、それぞれの由来を確認するとたいへん興味深い。

妙見宮鷲頭寺(下松市)

妙見宮鷲頭寺。山口県下松市。大内氏先祖伝説ルーツ巡礼の一か所。神仏分離で降松神社が分離独立した後も、神仏混淆形態を維持している。先祖伝説の由来は降松神社と共通。

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でも、この神社の通称が「みょうけんさま」であることからも、人々の心の中では、元大内氏の分国だった地では、いつまでも妙見さまは妙見さまなのだな、と思った。
降松神社の由緒では、鼎の松に降臨したのも、北辰=妙見大菩薩ではなく、「天之御中主尊」と記されている。
※同じく由緒看板だと、星が降臨したのは推古三年となっていて、『大内多々良氏符牒写』より十四年も早い。もっとも、この年代は政弘代に「決められた」ものである。伝説の出来事が起った年代など、正確にはいつであったか証明することなどできはしない。

降松神社・歴史

大内氏先祖伝説に出てくる、異国の王子を守護するために北辰が降りてきたのが現在の下松の地。その星の神様をお祀りするために建てたのが北辰妙見社だった。その現在のお姿がこちら、降松神社である。つまり、琳聖来朝に先立って建てられたわけで、創建は推古天皇、聖徳太子の時代。元々は鷲頭山に建立されたから(現在もある)、市街地に近い麓にあるのは若宮。若宮が建てられたのも大内弘世代なので、やはりたいへんに歴史があるもの。ただし、場所は移転しているので、弘世時代とは変っている。

『山口県神社誌』に書いてあることを略年表式にまとめるとだいたいつぎのようなことが書いてある(『神社誌』と神社由緒看板の内容は同じ)。

古代・中世の降松神社 北辰妙見社

推古天皇三年(595) 、都濃郡鷲頭庄青柳浦の松の木に大星が降臨。星は七日七夜輝き、「我は天之御中主尊なり、今より三年ならずして百済国の王子来朝すべし。その擁護のため天降りしなり」との託宣があった。

推古天皇五年(597) 三月二日、百済国聖明王第三王子・琳聖太子が来朝。青柳浦桂木山に「北辰妙見社」として「大星」の御神霊が祀られ、妙見社は鷲頭庄の氏神となる。これ以後、青柳浦は「降松」と改められた。

推古天皇十一年(603)、社殿が高鹿垣に遷される。
推古天皇十七年(609) 、鷲頭山に上宮と中宮を建立。

大内弘世が、鷲頭山の麓・赤阪に若宮を建立。
明徳三年(1392)、大内義弘が、中宮に五重の塔や仁王門を建立。七ヶ国の守護領国(義弘当時)各地に北辰妙見社を勧請した。鷲頭山は、それらの妙見社の「本宮」として篤く信仰された。

大永三年(1523)、大内義興による修築。

近世~現代の降松神社

慶長十三年(1608)、火災により、中宮本殿を残して社殿を焼失。
元和年間(1615~)、赤阪の若宮を現在地に移す。
明和四年(1767)、毛利就馴が若宮を再建。
文化四年(1807)、氏子中が中宮楼門を再建。

明治三年(1870)、「降松神社」と改称。
昭和三年(1928) 県社に列する。
昭和二十三年(1948)、社務所が若宮の地に移される。
昭和三十一年(1956)、中宮・若宮の大改修が行なわれる。
平成八年(1996)、御鎮座一四〇〇年祭を行なう。

降松神社・みどころ

推古女帝や聖徳太子の頃から続いているのだから、とにかく歴史ある神社である。およそ1400以上前という。(若宮境内看板)
降松神社には、上宮、中宮、下宮があり、普通に降松神社とだけいうと、山麓の若宮でおしまいに。地元の方ならご存じのことでも、観光客にはわからないので、これがあの由緒ある北辰妙見社なのか? と、失望して帰りかねない。しかし、神様は参拝者の便宜をはかって麓に下りて来られたのだと思われ(多分)、先を急ぐ旅、毎日毎日参拝している地元の方々は入り口だけでいいけれど、星降る伝説に惹かれて来たのならば、中宮、上宮を忘れて帰ってしまってはならない。まして、中宮・本殿には義興代に再建された建物が今も残っているのだから、麓だけで終らせては来た甲斐がない。

メモ

中宮本殿(流造)が、大永三年(1523)、大内義興再建時代の姿を残している。

地元の人々による保管整備事業が絶えず行なわれており、明治四十五年(1912)に造られた公園は、「偕楽園」と名付けられ、春は桜とツツジ、秋は紅葉の名所となっている。(参照:由緒看板)

五郎

嘘だよな? ミルが若宮だけを見て、『降松神社はココだよ~』とか言うから、俺、ほかに中宮や上宮があることなんて知らなかった。先祖の氏神にしては規模が小さいとすら思った……。

ミル

ごめんね……。降松、じゃなくて下松にはほかにもたくさん見落としがあるから、絶対にもう一度来よう。

拝殿(若宮)

若宮拝殿の写真

見にくいが、賽銭箱に大内菱が書かれている。

千四百年の証

若宮立て看板の写真

若宮にあった立て看板。2021年が一四二五年祭というキリがいい年だった。これ以降も一年一年、歴史は積み重ねられていく。

降松神社写真集

アクセス

若宮までは下松駅からタクシーで行きました。車なら 5分程度ですので、歩くことも可能です。上宮、中宮はちょっとした登山となりそうです。

参照文献:山口県神社庁様『山口県神社誌』

五郎

ここだけの話だけど、山口大神宮に行った時も、ミルは神楽殿と多賀神社だけを見て、『山口大神宮はココだからね~』と帰ってしまったんだ。内宮と外宮を見ないで。おかげでもう一度山口に行くことができたから、俺的には満足してるけどね。

於児丸

事前にキチンと調べてから行かないとそうなるんだよ。旅に出るときは準備を怠りなく、ね。

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