ホンモノかニセモノか? 「始祖」琳聖太子

大内家の始祖とされる伝説上の人物。
伝説上の人物、としたが、実際紙に記された記録として、系図にも載っている。
だが、いかんせん、大内家の系図は謎めいたところが多く、信憑性が薄い。
それについては場を改める。

百済から来た大内家の先祖・琳聖太子

系図、伝承によればこうである。
琳聖太子は、百済の聖明王の王子。来朝して、周防国多々良浜にやってきた。
そして、聖徳太子に謁見し、周防国大内に領地をもらった。

彼の子孫が、代々その地に住み、やがて、多々良という姓をもらった。
一族は繁栄し、どんどん枝分かれして、大所帯となった。
鷲頭とか、宇野とか右田とか。
だが、本家本元は、大内にいたので、大内介と呼ばれ、これが通称みたいになった。
だが、あくまでも全員、氏名は多々良○○である。

さて、琳聖についてだが、遂には倭国に骨をうずめたらしく、その供養塔なるものが、乗福寺にある。

下松の星降る松

琳聖が多々良浜に流れ着く少し前。
下松市にある「鼎の松」に、北辰が舞い降りた。
それらの星々は、七日七晩に渡って光り輝いたので、地元の人々はこれを不審に思った。
そこで、巫女を招いて占ったところ、

近くこの付近に高貴な方がおいでになる。我は北辰=北極星であり、この高貴なお方をお守りするためにここへやって来た守護神である

というような「神託」が得られた。
現在とは違い、非科学的なことが受け入れられていた時代のこと。
この「神託」は人々にどれほどの驚きを与えたことか。

多々良浜に流れ着いた異国の王子

鼎の松に星が降って間もなく、多々良浜に現れたのが琳聖である。
身分は百済の王子。異国の人とはいえ、王子である。
まさしく「高貴なお方」に違いない。
人々は先の「神託」を思い出し、彼こそが、星に守られた高貴なお方である、と確信した。
「神託」はインチキなどではなかったのである。

光り輝く妙見社

北極星といえば、妙見様なので、以来この地では妙見信仰が盛んとなった。
何しろ、「神託」「高貴なお方の来朝」と立て続けに妙見様の仰る通りになったのだ。こんな有難い神様を信じない民はいない。
人々は社を建てて、妙見様をお祀りし、深く信仰した。
ところが、最初に建てた山頂の妙見社は、あまりにも光り輝いていたので、その眩しさで、船の運航が困難になった。
そこで、仕方なく妙見社の場所を別の所に移したという。

ここまでのまとめ
大内家の先祖は百済からきた琳聖太子だとされている。
これについては、下松市に星降る伝説が残されている。
民の間に、異国の貴人=琳聖を守護する妙見様の信仰が広まった。

伝説はやらせか? 真相は闇

琳聖太子は架空の人物で、実在しない
そもそも、大内家が百済の王族の末裔かどうかなど分からない
という意見がある。

それは、だいたい、大内義弘くらいの頃から始まったという「先祖伝説」創作説による。
大内家が、朝鮮や琉球、明との貿易で利益を得たことは知られている。
特に、当時倭寇の被害に悩んでいた朝鮮半島では、倭寇の討伐に力を貸してくれた大内家への信頼・親密度が非常に高かった。
そこへきて、大内家の使者が「われわれの先祖は元々朝鮮の王子なのです。互いに助け合うのは当然のこと」という。
真偽はともあれ、朝鮮側としても気分のいい話だ。これからも、大内家に力を貸してもらい、貿易でも儲けさせてもらうにはこの逸話の存在は有難い。
大内義弘は、自らが間違いなく朝鮮の血を引いていることの証明と、そうであるがゆえに、朝鮮国内に領土を頂戴したい、と要求した。
これに対して、朝鮮側は大論争になった。大内家との関係を大切にすることでは皆の意見は一致した。
しかし、領土など与えてしまったら、そのうち要求がエスカレートして、どうなるかわからない。
そこで、領地の件は拒絶したが、我らはもともと同じ朝鮮の血を分けたもの、という点では認めてやることにした。

このあたりから、大内家の「朝鮮のそれも身分ある人物の子孫である」ことの証明に対する要求はそれこそエスカレートしていく。
大内家が大国として、倭国のなかでその地位をますます高めていくにあたって、しっかりとした先祖伝説の確立、正確な系図の作成はなくてはならない重要事項となっていたからだ。

政弘の父・教弘の代には、「確かに貴殿らは琳聖太子の子孫である」とのお墨付きをもらった。ただし、それでもなお足りず、政弘は、朝鮮に使節を送り、「三国志」(中国ではなく、朝鮮の)のような書物から、一部分を抜粋してもらって、証拠の品として持ち帰った。
この時、朝鮮国王から頂戴した「書物」は、氏寺・興隆寺を勅願寺にするための運動で大いに威力を発揮する。
もはや、どこから来た何者かも分からない一族ではなく、朝鮮国王から、「百済の王族の末裔である」との証明書をもらっているから、身分の由来は明らかとなっているのだ。
興隆寺は無事に勅願寺となり、これらの先祖伝説の一部始終は「氷上山縁起」として、興隆寺の扁額に納められた。

つまり、実在したのかどうかすらわからなかった「琳聖太子」は朝鮮国王と大内家当主の共同制作により、ホンモノの大内家の始祖となったのである。

むろん、何もないところから嘘は生まれない。大内家との繋がりは不明だが、朝鮮の史書に琳聖の名はあったのだろう。むろん、史書とて万能ではない。そもそも、韓国では朝鮮王朝以前のことを記した信頼できる史料は乏しいのだそうである。

琳聖の供養塔は山口の乗福寺にある。
何もかもをやらせと片付けるより、信じるほうがずっと浪漫がある。
歴史の楽しみ方なんて、それでいいと思っている。

どころで、個人的な疑問をいくつか。

彼は何のために、倭国にやってきたのか?

 ただの訪日使節団
 なんらかの目的があった(文化や宗教を広めるため、など)
 亡命してきた
 遭難した

このことを、明確に書いてくれている書物が意外にない。

 あまりにも分かり切ったことだから書いていないのか?
 そもそも、実在しない人物なので、どうでもいいから、か?

気にし出すと、どこまでも気になる。
彼にとっては倭国は外国だ。祖国を捨てて、住み着くほどの魅力があったのだろうか。
朝鮮半島は、百済、新羅などの林立する三国時代。この三つ巴を統一したのが、後の高麗。
敗れた百済の王族とやらが、亡命してきた事例は、史実として本当にある。
とは言え、琳聖の年代はその必要はなかったはず。

周知のように、日本固有の優れた文化は多々あるが、それと同時に、大陸から伝えられたものを消化吸収して、独自のものに加工してきた歴史もまた、ある。

中国大陸の王朝は、デカい上に、一歩先を進んでいた感があったから、飛鳥だの奈良だのの時代、日本の朝廷もせっせとその制度を真似したりしていた。
より大陸と密接な関係にある朝鮮半島は、そうした文化伝来の中継地点。
その意味に限ると、日本より先を行っていたと言える。

そんなところからきて、倭国に住み着く意義が分からんのだ。
なんかパラダイス要素あったんですか?

ま、いつの時代に、誰が来ても、山口はパラダイスだよね!!

ここまでのまとめ
琳聖太子は実在しない人物で、先祖伝説は「作られたものである」とする通説が一般的。
しかし、史書は無視して浪漫を求めるのも、歴史の醍醐味の一つ。
山口は琳聖の目にもパラダイスにうつり、ここに骨をうずめることを決意させた。
乗福寺に彼の供養塔を訪ねつつ、パラダイスに住んでいる有難みを実感しましょう。

はい、ワタシ倭国が大好きで~す。
その子孫、みんなこの国に根付かせようと思いました。
こんなに強く、優れた子孫が繁栄して、とっても嬉しく思います~

ふふ。太子なくば、我らもないのですよ。
庭園を挙げて盛大におもてなし致します。
どうぞ、ごゆるりと。

おお、これはかたじけない。
では遠慮なくよばれるとしますかな。

嘘だろ、おい……