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鏡山城(広島県・東広島市)

2021年5月27日

鏡山公園入り口

大内氏安芸国直轄領・東西条にあった城。現在は公園となっている。
東西条は、南北朝時代以降、安芸国内における大内氏の領地であった。ここには、分郡守護代と呼ぶ研究者もいるような「郡代(代官)」が置かれた。郡代といえども、その重責は守護代に匹敵し、文字通り守護代クラスの重臣が宛てられた。かの陶興房までもその職に就いたことがあったくらい。ほかにもお歴々が綺羅星。
むろん、彼らが現地に赴任したままということはないので、配下の「小郡代(又代官)」が政務を執った。

大内氏では直轄領とした城に城督を置いて指揮を執らせていたが、鏡山城の城督は郡代が兼任した。前述の通り、郡代は常駐しないから、大内氏に従う中小武士団・東西条衆が交替で城番にあたり「鏡城衆」と呼ばれていた。

この城が舞台となった主な合戦として、応仁・文明の乱の際、郡代・仁保弘有が東軍に寝返った時。そして、出雲の謀聖・尼子経久が野心満々、電光石火でこの城を落とした時。
その後、東西条を回復した大内氏は杣山城に拠点を移した。使われなくなった山城は、廃れて元の山にかえる。公園として整備されたおかげで、城跡は大切に守られており、東広島市教育委員会製作のパンフレットも手厚い。第一から第五郭までの郭跡、畝状竪堀、出丸、井戸など分かり易い状態で残る。案内板も充実しており、迷うことはないだろう。それでも、足元は滑りやすく、道も急なところがあるので、それなりの準備は必要。
門山城ほどではないけれども。

鏡山城跡・基本情報

住所 東広島市鏡山二丁目(鏡山公園内)
最寄り駅 バス:西条駅から 徒歩:西条駅から45分
別名:鏡城
面積:山頂・335メートルから東西南北約300メートル四方
遺構:堅堀を伴う東西堀切、切岸、主郭、石垣、土塁、石段、井戸、基壇状遺構、畝状竪堀群、出丸

鏡山城跡・歴史

鏡山城看板

古文書による鏡山城の初見は、寛正六年(1465)の小早川家証文であるという(東広島市パンフレット)。

応仁文明の乱に際して、東西条の郡代は仁保弘有であった。文明二年(1470)に分国で大内道頓が政弘に叛旗を翻した時、弘有は道頓側についた。この時、弘有は摂津にいたが、翌年には東西条に帰ってしまった。あわよくば甥を追い落として大内氏の家督を手に入れようと企てた道頓だったが、留守を守る陶弘護に撃退されてしまう。
道頓に味方した弘有は孤立無援で、新たに赴任した東西条郡代・安富行房らに攻められて城は陥落した。

道頓らの野望は潰え、大乱が終わって帰国した政弘は「現存最古の城掟」(同上)とされる「安芸国東西条鏡城方式条々」を制定した(文明十年、1478)。

安芸国西条鏡城法式条々

法泉寺殿 御判
安芸国西条鏡城法式条々
一、当城衆当番以名代不可勤仕事、
一、当城普請、毎日不可有懈怠事、
一、仮雖為城衆知人、不可入城内事、
一、置兵糧無為之時、不可配当城衆事、
(一博奕堅固可停止事、イ)
以上
右於背此旨之輩者、可被致行殊御成敗之由、所被仰出也、仍壁書如件、
文明十年六月廿日

近藤清石先生の『大内氏実録』「大内氏壁書」から抜き出してみました。『群書類従』とか色々なところに原文出ていますね。
※なお、東広島市のパンフレットには書き下し文が載っています。

要するに、当番は本人がキチンと勤め、普請はサボらず、知り合いでも城に入れるな、何事もない時には兵糧を食うな、博奕は御法度だ、これらのルールに従わない者は成敗しちゃうからそう思えって感じ。真面目に働いていれば、何ら問題ありません。

その後、義興代には、陶興房も郡代をつとめた。大永二年(1522)のことである。興房が、義興政権トップの人物であることからも、この城、この地域の重要性がわかるというものである。
むろん、政務多忙の興房が安芸国に留まることはできないから、就任セレモニー的な入城のあとは帰国。そんなときに、尼子経久が襲いかかり、城を陥落させてしまった(大永三年、1523)。興房は安芸国に出陣し、大永五年までに安芸国の敵軍を駆逐したが、この時、新たに杣城が築かれ、以後は鏡山城から杣城が東西条の拠点となっていったのであった。

鏡山城跡・みどころ

かなりたくさんの遺構が残っており、山城マニアにはたまらないスポットであると思われる。しかし、残念ながら、集中豪雨の被害を受けてのち、長らく立ち入り禁止となっており、現在も入れない場所が多い。

畝状竪堀群

ミル

これが「畝状竪堀群」とやらにあたるのかどうか、イマイチ分らない。だけど、説明写真にそっくりだったので。

3郭・通称「馬のダバ」

石垣

石垣

井戸跡

鏡山城・井戸跡

さすがに「井戸の跡」は誰の目にも分りやすい(看板までついているし)。他にも何カ所かあり、中を覗くこともできる。当然、水はとうに涸れており、中は草で覆われていた。

東出丸

東出丸

「藤の丸」と「東出丸」という二つの出丸が残っています。

1郭(主郭)展望

御殿場

もっとも高いところにあるのが1郭で、「御殿場」と呼ばれている。2郭とあわせて主郭を構成し、高い切り岸で囲まれた堅固な造りになっているという。

関連記事:鏡山城写真集

参照 web サイト:東広島市様ホームページ(https://www.city.higashihiroshima.lg.jp/index.html)こちらより、「鏡山城」を検索してください。非常に懇切丁寧なご紹介とともに、歴史書レベルのパンフレットもダウンロード可能です。また、進入禁止箇所についてのご案内もありますので、訪問の際には、必ず目を通してください。

アクセス:広島大学へ行くバスを使うと便利なのですが、歩いても45分(これを長いと思う人にはおすすめしません)であり、西条駅からほぼ真っ直ぐな道なので、絶対に迷うことはありません。

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