鏡山城

鏡山公園

大内氏安芸国直轄領・東西条にあった城。
現在は公園となっている。

東西条には、分郡守護代と呼ぶ研究者もいるような「郡代」が置かれた。郡代といえども、その重責は守護代に匹敵し、文字通り守護代クラスの重臣が宛てられた。かの陶興房までもその職に就いたことがあったくらい。ほかにもお歴々が綺羅星。
むろん、彼らが現地に赴任したままということはないので、配下の「小郡代」が政務を執ったり。
この城が舞台となった主な合戦として、応仁・文明の乱の際、郡代・仁保弘有が東軍に寝返った時。そして、出雲の謀聖・尼子経久が野心満々、電光石火でこの城を落とした時。
その後、東西条を回復した大内氏は杣山城に拠点を移した。使われなくなった山城は、廃れて元の山にかえる。

公園として整備されたおかげで、城跡は大切に守られており、東広島市教育委員会製作のパンフレットも手厚い。第一から第五郭までの郭跡、畝状竪堀、出丸、井戸など分かり易い状態で残る。

案内板も充実しており、迷うことはないだろう。それでも、足元は滑りやすく、道も急なところがあるので、それなりの準備は必要。
門山城ほどではないけれども。

一緒に少しずつ、順番に見て行こうね

続く