山口県防府市の天徳寺とは?
右田毛利家の墓所がある寺院さまです。毛利元俱が寺院を再建し、父・元政の墓を移したのが起源です。寺号は元政の法名から来ています。明治期に脱隊兵士の反乱によって、寺伝は焼失してしまいました。元俱再建前は、常延庵主という源氏の一族が開基の寺院だったとか、いや、源頼朝が開基だったのだとか諸説あります。
天徳寺のイチョウで有名な寺院ですが、そのイチョウの脇に、頼朝公の墓と称する五輪塔があります。右田ヶ岳への登山コース入口の一つとしても知られています。
天徳寺・基本情報
住所 〒747-0063 防府市大字下右田 668
山号・寺号・本尊 萬年山・天徳寺・釈迦如来
宮野妙喜寺末
天徳寺・歴史
『右田村史』によれば、開基は常延庵主という人で、源家の一族という。常延は寺内慶宗庵(要持院の地)に住んでいたといわれ、開基の本像が現存する。『山口県寺院沿革史』では開基は源頼朝であるとしている。いずれにしても、「征夷大将軍源頼朝大禅門」という位牌と、頼朝公の墓と称する五輪塔が今に伝わっている。
毛利元俱がこの地に移った時、寺院を再建し、父・元政の墓を移した。元政の法名・天徳性真禅定門から天徳寺と名を改め菩提寺とした。以来、元政を開基とする毛利家代々の位牌所となった。
明治三年、脱隊兵士の反乱による兵火にかかって、寺伝も焼失してしまった。明治二十二年に永井大暁(『山口県寺院沿革史』では大驍和尚)が再建に取り組み、良光和尚の代にいっそう完備された。慶宗庵の本尊・地蔵菩薩(木像)は廃寺となった要持院に保存されていたが、脇立不動尊・毘沙門天の二像(三尊すべて伝教大師作と伝えられる)とともに、当寺の別殿に安置し、新たに、千躰地蔵尊を加えた。
毛利元俱の右田入り以前、宍戸氏の時代には、寺号を総受寺といい、鯖山禅昌寺の末寺であった。元俱による再建後、鳴滝・泰雲寺の末となった。その後、さらに真如寺の末となったが、真如寺末となった事情は明らかにされていない(泰雲寺の末であったことに関しては、典拠となる史料がのこる。なお、真如寺が現在、妙喜寺となっているため、『妙喜寺末寺』になっているのだと思う)。明治三年に寺号が総受寺に戻ったが、 二十四年三月に、再び天徳寺となった。(以上、参照:『山口県寺院沿革史』『右田村史』)
案内立て看板を見付けられなかったの。『右田村史』と『山口県寺院沿革史』という二冊のご本からまとめたけれど、記述に相違があるから、どちらが正しいかわからない。また、出版時期が古いものなので、記述内容が古い可能性があることをご了承ください。
天徳寺・みどころ
右田毛利氏の墓所――寺院東の山麓
天徳寺のイチョウ――樹齢800年といわれる大イチョウ。市指定天然記念物。
右田ヶ岳(標高426m)登山とハイキングコースの出発点。
山門
じつに立派な山門です。残念ながら、いつ頃のものかはわかりませんが。
本堂
山門からすでにご本堂がみえてしまっております。というか、普通に寺院さまはみんなそうですね。もう少し近付いた写真がないかな、と探しましたが、なんと、これ一枚だけでした……。
毛利家墓所
墓所の敷地は広大。古い石塔から、わりと新しいものまで墓碑が多数あります。現在もご子孫はこちらに墓所を造られているのでしょうかね。あまりに真新しいものは、プライバシーにかかわるため写真撮影などできませんでした。
墓所は本堂などからやや離れています。「右田家墓所」があると勘違いして必死に探してやっと見付けた感じですので、本堂脇がそうです、という配置ではないです。つまりは寺院さまの敷地もかなり広範囲に渡っていることになりますね。迷ったらナビ起動です。
天徳寺のイチョウ
説明看板によりますと、樹齢八百年といわれているそうです。幹約7.15メートル、根廻り約11.5メートル。幹高10メートルのところで刈られていますが、その上に四本の枝が分れ出て最長約19メートルあります。空洞となっているところがあるのに、秋には葉が黄色くなります。つまり、空洞になっても元気に生きている、ってことですね。
なお、イチョウの木に「公孫樹と頼朝塚」と書かれた札がついており、根元に見える五輪塔は頼朝の墓であるという言い伝えがあります(黄色枠)。
観音銅立像
『防長寺社沿革』に「天徳寺の名物」として「南に観音銅立像(三丈六尺)」がある、と紹介されていたのがこれではないかなぁ、と思ったんですが。違っていたらすみません。
付記・右田ヶ岳登山コース
右田ヶ岳は標高426メートル。「屹立する山容を花崗岩の露岩が覆う特異な山」で、山頂からは防府市内が一望できるそうです。岩に彫られた観音像や右田岳城跡などみどころです。
天徳寺はこの右田ヶ岳への登山コース出発点の一つです。
付記・観音堂
天徳寺後方片山。もとは右田ヶ岳中峯頂上にありました。周防国三十三番札所の二十五番です。永正年間、大内氏によって再建されたが、寛永年間に焼失。宝永年間、毛利就信によって再建されました。明治五年三月、前嶽南麓に移し、岩に四国三十三ヶ所の観音を彫り、遙拝の所としました。船山と呼ばれているそうです。頂上には、永平寺管長森田悟禅師書の般若心経が彫られているとか。(参照:『右田村史』)
天徳寺(防府市)の所在地・行き方について
所在地 & MAP
所在地 〒747-0063 防府市大字下右田 668
※Googlemap にあった住所です。
アクセス
最寄り駅は防府駅、塚原バス停から徒歩 8 分との公式アナウンスがありますので、防府駅からバスが出ているのでしょう。しかし、バス停からもそんなに歩くのならば、いっそタクシーのほうがマシと思われます。特に登山予定の方など体力温存のためにも。
地図を見ながら防府駅を探しましたが……ない。防府天満宮よりかなり奥に位置する(防府天満宮は歩けます)感じで、山陽新幹線の「線路」が最寄り駅といった雰囲気です。防府市内の地理に暗いため、駅から歩くことは無理と感じました。素直に公共交通機関を使うか、タクシーがよいと思います。
参照文献:『山口県寺院沿革史』、『右田村史』
天徳寺(防府市)について:まとめ & 感想
天徳寺(防府市)・まとめ
- 毛利元俱がこの地に移った時、父・元政の墓を移したのが起源
- 寺号は、元政の法名・天徳性真禅定門による
- 元政開基の右田毛利家菩提寺として、歴代の墓が厳かに並ぶ
- 元俱は元この地あった寺院を再建したのであるが、元寺院については、源一族の者が開基、とか、源頼朝が開基であったなど諸説ある
- 天徳寺のイチョウで有名な寺院であるが、そのオオイチョウの脇に源頼朝のものとされる五輪塔がひっそりとある
- 脱隊兵士の反乱の際、寺伝が焼失。そのためか、古い時代のことは曖昧らしい
- 右田ヶ岳への登山コース入口の一つ
右田という名前に郷愁を覚えるのはそれが、陶氏のご先祖さまであるゆえにか。しかし、世間一般には「右田毛利家」が連想される寺院さまです。じつは、どこかで、この寺院があった辺りが右田氏の屋敷跡であった云々の記述を見かけた気がしており、今その典拠がわからないため探しています(自宅にある本のどれかであることは確か)。屋敷跡地があり、古い寺院もあったとなれば、陶氏館跡(陶)と正護寺の関係を思い出すではないですか。○○毛利家がいくつあったかなど知ったことではないのですから、右田といったら陶の先祖の地でしかありません。
で、どこかで右田の墓所がある云々を聞いたため、防府についたら即行で……という気持ちでした(実際には、観光タクシーだったので、毛利庭園とか、予期せぬところが紛れ込んでタイムオーバーになってしまいましたが(泣))、着いたらとにかく墓所を探しました。でも、どこにもないのですよね。どうやら右田「毛利」家墓所を右田家と読み間違えたらしくて。いや、実際に付近にあったのかもしれないですが、どのみち見付けられていません。
せめてものこととして、右田ヶ岳城を見たいと思いましたが、観光タクシーでいきなり登山は無理。そもそも訪問時点では登山の経験値もゼロだったので、今から思えば無謀な考えでした。少し前に、廿日市の先生が右田ヶ岳行ってきたよとご連絡をくださったので、羨ましくて。あああ、どうして一緒に行ってくれずに先にお一人で……と思いましたが、先生曰く、城跡らしきものは何もなくて、ただただ岩ばかりの登山になったと。地元のハイキングを楽しむ会のような方々を引き連れての登山となり、皆さん文字通り楽しんでおいでの脇で、必死に城跡の痕跡を探されたらしい。
話を元に戻しますと、ココが本当に右田氏館跡があった場所であるとしたならば、痕跡はないにせよもう一度確認すべきであり、城跡にも行かねばならず、これだけでは終われない場所であります。
こんな方におすすめ
- 寺院巡りが好きな方
- 右田ヶ岳登山に行かれる方
オススメ度
(オススメ度の基準についてはコチラをご覧くださいませ)
何で俺は連れて行ってもらえなくて、アイツが外祖父さまと一緒に写ってるんだ?
アイツって誰? もしかしてあの小生意気な従弟のこと? あの子、妙に人生経験豊富で出来上がってるよね。というか、ここは現在の調査では、右田毛利家に関係ある寺院でしかないので、毛利家家臣の画像貼っ付けたんだよ。それに君、防府に行ってないじゃない?
あの野郎、毛利に仕官したのか!? ただの流れ者だったのに……。
……。
そなたの苦労は祖父にはよく分っておる。父の仇を討ち、陶の血筋を守ってくれたのだから。雑音は気にするでないぞ。
外祖父さま、俺の言葉を「雑音」扱いしてるよ。のほほんとしてるくせに、じつはちゃっかりした方だったということ、俺知ってるよ。いつの間にか右田から陶に姓戻してるし。よく分んない人だよ。
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五郎とミルの部屋
大内氏を紹介するサイト「周防山口館」で一番の人気キャラ(本人談)五郎とその世話係・ミルが、山口市内と広島県の大内氏ゆかりの場所を回った旅日記集大成。要するに、それぞれの関連記事へのリンク集、つまりは目次ページです。
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