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仁壁神社・周防三之宮

2020年10月9日

仁壁神社

仁壁神社・基本情報

住所 〒753-0023 山口市三の宮2-6-22
電話 083-923-0342
通称 さんのみやさま
主祭神 右殿:下照姫命、中殿:表筒男命、中筒男命、底筒男命、左殿:味鉏高彦根命
配祀神 瑞珠殿:神産日神、高御神産日神、玉積産日神、生産日神、足産日神、大宮売神、御食津神、事代主神、 七房人麿・七房疫神社・金古曾恵比須神社・桜畠御森殿・ 麻森大明神(天保十四年までに配祀) 、宮野上大迫末社大年神社:大年神、宮野上石丸末社綿津見神社:豊玉彦命、豊玉姫命、須佐男命、宮野金山末社須賀神社:須佐男命、 宮野上大山路末社岡原神社:菅原道真、天穂日命 (以上四社明治四十一年、神社整理令により配祀) 、上金古曽末社須賀神社:須佐男命(大正七年、火災により配祀)
主な祭典 例祭、春祭、新嘗祭、敬老祭、風鎮祭、織機神事
社殿 本殿、宝物館、社務所
境内神社 稲荷神社、具明神社、綿津見神社、江良神社、河内社
主な建造物 一ノ鳥居、二ノ鳥居、大灯籠、灯籠、石橋、手水舎、揚提灯、碑
社宝 棟札、獅子頭、発句二、社号額、額、大刀、短刀、刀、連歌懐紙、古文書
最寄り駅 宮野駅から徒歩15分

於児丸

配祀の数がものすごく多くて、混乱するね……。

ミル

社宝は発句二つのうち、一つが大内義弘のもの(もう一つは毛利輝元)である以外、ほとんどが毛利時代のもの。古文書に期待できるんだろうか……。

仁壁神社・歴史

「社伝によると、大和時代の崇神天皇の御代7年(91)までさかのぼることが出来る。
しかし文献 「文徳実録」には社格として平安時代の嘉祥3年(850) 従五位に、貞観9年 (867)従四位下に昇叙された記録を見ることが出来る。
「延喜式神名帳」(927)にも、式内社として「周防國吉敷郡の小一社」と記載されている。鎌倉時代の建久六年(1195)の「周防国宮野荘立券文」に、宮野庄仁戸の社(仁壁) に神領のあった事がうかがえる。
明治6年に県社に列せられる。当神社は衣・食・住に関係する神様をお祀りしており、家内安全、交通安全など生活全般に至る御加護を戴ける神社である」(由緒看板)

永禄十二年(1565)、大内輝弘が侵攻してきた際、社殿は燃えてしまった。天正十二年(1584)、毛利輝元が再建。瑞珠殿は江戸時代に建てられた境内神社だった。その後、再び火災に遭い焼失。さらに再建されるなど、毛利氏歴代当主に大切にされてきた(神紋も毛利家の家紋)。ところが、平成九年(1997)、不審火によって本殿、幣殿、拝殿が焼けてしまったという。木造家屋にとって、火災は致命的である。文化財を守り伝えることの難しさを痛感する。

神社の由緒看板などを見る限りでは、大内氏との関連性は特に強調されていないが、これだけ古くから鎮座していた三之宮なのでゆかりがないはずはあるまい。陶の政変の直前、大内義隆が仁壁神社への例祭出席をとりやめた話が出てくるから、彼らの日常の中に普通に存在する重要な神社であったのだと思う。

三之宮ともなると規模が大きいからなのか、配祀神や境内神社がとても多い。興味深いのは由緒看板から始まって、いろいろなところに、〇〇の神、と神様のご利益について明記されていること。

下照姫命 ⇒ 織物・衣類の神
表筒男命、中筒男命、底筒男命 ⇒ 国家安泰、家内安全、交通・海上安全の神
味鉏高彦根命 ⇒ 五穀豊穣の神
神産日神 ⇒ 五穀豊穣の神

仁壁神社・みどころ

鳥居

二ノ鳥居

拝殿

本殿はのぞくことができないが、脇から見ると拝殿 ⇒ 幣殿 ⇒ 本殿とつながっている様子がわかって興味深い。

宝物館

神楽殿

具明社

境内神社。祭神は稲背脛命と弁財天。赤い旗に「健康の神様」とある。
延徳二年鎮座なので、義興の治世から続くものだ。
右下の「御神威」と書いてあるのは、「おかげ」と読む。この上に乗っかっている玉(神玉)には霊魂がやどっており、玉をさすれば神様のおかげを戴くことができるという。

綿津見神社

境内神社。祭神は豊玉彦命。水神様、子育ての守護神との説明が書かれている。永正年間鎮座というから、これまた義興治世から続く由緒あるものである。上二つの写真はいずれも綿津見神社。参道を挟んで左右向かい合っている。

稲荷神社

珍しく説明板がないけれども、狐がいることから類推。祭神は倉稲魂命で、これも永正年間鎮座。

河内社

境内神社。残念ながら、神社庁様のご本にも名前しか載っていなかったため、ゆかりについては分からなかった。

江良神社

この社にも説明板がないため、江良神社であるのか自信はない。あるはずの境内神社はこれですべてなので、最後に残った身元不明社になってしまったこれがそうではないかと推論。この神社についても、由緒の説明などはなく、ただ「招魂社」とあった。写真の社と紐づけられていないので意味をなさないものの、下のような石碑も確認済。

 

参照箇所:仁壁神社様由緒看板、山口県神社庁様『山口県神社誌』

仁壁神社写真集

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