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仁壁神社(山口市宮野)

2020年10月9日

仁壁神社入り口にて
仁壁神社入り口にて

山口県山口市の仁壁神社とは?

仁壁神社は、山口市宮野にある周防国三の宮です。社伝によれば、崇神天皇の七年(91)に創建されたとされますが、あまりにも古すぎて詳細はわかりません。「延喜式神名帳」(927)に式内社として記述があることなどから、かなり古くから存在していたことは事実と考えられます。

大内義興の「五社詣」にあたり、一の宮・玉祖神社、二の宮・出雲神社についで、三番目に参詣されたことで知られており、周防国で三番目に格式が高い神社である証です。

大内輝弘の反乱(1565)により焼失したのをはじめ、その後も火災による再建事業が行なわれました。重要文化財となっていた本殿が平成九年の火災で焼失したことが惜しまれますが、現在も「さんのみやさま」として地元の人々から篤く信仰されている神社さまとなります。

仁壁神社・基本情報

住所 〒753-0023 山口市三の宮2-6-22
主祭神 右殿:下照姫命、中殿:表筒男命、中筒男命、底筒男命、左殿:味鉏高彦根命
配祀神 瑞珠殿:神産日神、高御神産日神、玉積産日神、生産日神、足産日神、大宮売神、御食津神、事代主神。 七房人麿社・七房疫神・金古曾恵比須神社・桜畠御森殿・ 麻森大明神(天保十四年までに配祀) 、宮野上大迫末社大年神社:大年神、宮野上石丸末社綿津見神社:豊玉彦命、豊玉姫命、須佐男命、宮野金山末社須賀神社:須佐男命、 宮野上大山路末社岡原神社:菅原道真、天穂日命 (以上四社明治四十一年、神社整理令により配祀) 、上金古曽末社須賀神社:須佐男命(大正七年、火災により配祀)
主な祭典 例祭、春祭、新嘗祭、敬老祭、風鎮祭、織機神事
社殿 本殿
境内神社 稲荷神社、具明神社、綿津見神社、江良神社、河内社
主な建造物 鳥居、鳥居、灯籠、石橋、手水舎、揚提灯、碑、宝物館、社務所
社宝 棟札、獅子頭、発句二、社号額、額、大刀、短刀、刀、連歌懐紙、古文書
(参照:神社由緒看板、案内看板、『山口県神社誌』)

五郎不機嫌イメージ画像
五郎

配祀の数がものすごく多くて、混乱する。社宝も大量にあるね。

ミル涙イメージ画像
ミル

社宝は発句二つのうち、一つが義弘公のもの(もう一つは毛利輝元)である以外、ほとんどが毛利時代のものです。

仁壁神社・歴史

古社はどこでもそうだけれど、こちら仁壁神社もいったいいつ創建されたのか、正確な年代はわからないという。だいたい 1100年くらい前、というのがおおよその推定として定着している模様。宮野地区の氏神として、地元の方々から深く崇敬されている神社で、各種お祭り行事は多くの人が参加するとても賑やかなものとなっている(実際に節分の賑わいを例に、地元の方にお話をうかがいました)。

なお、「宮野」の地名は宮島の宮内などと同様、この三の宮・仁壁神社があることに由来するものと思われ、そもそも三の宮鎮座地の住所は「三の宮」2丁目である。三の宮があるから付近の地名が宮野であることを通り越して、さらに「三の宮」も地名となっているのだ。

「社伝によると、大和時代の崇神天皇の御代七年(91)までさかのぼることが出来る。
しかし文献 『文徳実録』には社格として平安時代の嘉祥三年(850) 従五位に、貞観九年 (867)従四位下に昇叙された記録を見ることが出来る。
『延喜式神名帳』(927)にも、式内社として「周防國吉敷郡の小一社」と記載されている。鎌倉時代の建久六年(1195)の『周防国宮野荘立券』』に、宮野庄仁戸の社(仁壁) に神領のあった事がうかがえる。
明治六年に県社に列せられる。当神社は衣・食・住に関係する神様をお祀りしており、家内安全、交通安全など生活全般に至る御加護を戴ける神社である」(参照:由緒看板)

『大内文化探訪ガイド No.1』によれば、もともとは現在地よりもやや東北にあり、長治元年(1104)に遷座してきたという。もとの鎮座地には祠があって、「住吉神社として地元の人々の崇敬を集めている」(同書)という。

永禄十二年(1565)、大内輝弘が侵攻してきた際、社殿は燃えてしまった。天正十二年(1584)、毛利輝元が再建。瑞珠殿は江戸時代に建てられた境内神社だった。その後、再び火災に遭い焼失(正徳二年、1712)。さらに再建されるなど、毛利氏歴代当主に大切にされてきた(神紋も毛利家の家紋)。ところが、平成九年(1997)、不審火によって本殿、幣殿、拝殿が焼けてしまったという。木造家屋にとって、火災は致命的である。文化財を守り伝えることの難しさを痛感する。

神社の由緒看板などを見る限りでは、大内氏との関連性は特に強調されていないが、これだけ古くから鎮座していた三の宮なのでゆかりがないはずはあるまい。陶の政変直前、大内義隆が仁壁神社への例祭出席をとりやめた話が出てくるから、彼らの日常の中に普通に存在する重要な神社であったのだと思う。

三の宮ともなると規模が大きいからなのか、配祀神や境内神社がとても多い。興味深いのは由緒看板から始まって、いろいろなところに、〇〇の神、と神様のご利益について明記されていること。

下照姫命 ⇒ 織物・衣類の神
表筒男命、中筒男命、底筒男命 ⇒ 国家安泰、家内安全、交通・海上安全の神
味鉏高彦根命 ⇒ 五穀豊穣の神
神産日神 ⇒ 五穀豊穣の神

日本の神様は数も多くていらっしゃるので、お名前を覚えることすらたいへん。それぞれの神様にどのようなご利益があるかなどなかなか覚えられない。ゆえに、これらのご説明がとてもありがたく思われました。

仁壁神社・みどころ

由緒正しい三の宮だけれど、平成時代に火災に遭って本殿、幣殿、拝殿を焼失する不運に見舞われた。それゆえに、建築物には重要文化財指定のものがない。惜しいことである。

広い神社の森は心地良く、再建された建物も悠久の歴史があるものに見える。信仰の対象は建物ではないので、新しくても古くても、そんなことは関係ない。

目に見える建物ではなく、素人に理解できるものではないけれども、宝物館には大内氏時代の文書が多数伝えられているという。

鳥居

仁壁神社・鳥居

二の鳥居。ここに至るまでは長い参道が続いており、一の鳥居はその参道入り口にある。

拝殿 & 本殿

仁壁神社・拝殿

拝殿から本殿を見ることはできないが、脇から見ると拝殿 ⇒ 幣殿 ⇒ 本殿とつながっている様子がわかって興味深い。

仁壁神社・本殿

本殿は焼失前と同じように再建されているので、かつての規模を偲ぶことは十分に可能。しかし、再建の際に、屋根の造りは改められている(檜皮葺 ⇒ 銅板葺)。

宝物館

仁壁神社・宝物館

宝物館というのは、一般の観光客がスルーしてしまう場所となる。神社によっては中を公開してくださっていることもあるけれど有料となるし、目に見えるかたちの宝物(太刀、鎧など)以外は研究者以外に需要は少ないかも。重要文化財となっている獅子頭なども、恐らくはこの中だと思われるけれど、内部を見せていただけるのかどうかは未確認です(特に公式アナウンス未確認です)。

重要文化財となっている「獅子頭」のほか、大内氏時代の文書(義弘、盛見、義興、義隆)などもこの中に保存されている(参照:『大内文化探訪ガイド No.1』)

神楽殿

仁壁神社・神楽殿

具明社

仁壁神社・具明社

境内神社。祭神は稲背脛命と弁財天。赤い旗に「健康の神様」とある。
延徳二年鎮座なので、義興の治世から続くものだ。
右下の「御神威」と書いてあるのは、「おかげ」と読む。この上に乗っかっている玉(神玉)には霊魂がやどっており、玉をさすれば神様のおかげを戴くことができるという。

綿津見神社

仁壁神社境内神社・綿津見神社

仁壁神社境内神社・綿津見神社(2)

境内神社。祭神は豊玉彦命。水神様、子育ての守護神との説明が書かれている。永正年間鎮座というから、これまた義興治世から続く由緒あるものである。上二つの写真はいずれも綿津見神社だが、同一のお社ではない。二つの同名境内神社が、参道を挟んで左右向かい合っている。

稲荷神社

仁壁神社境内神社・稲荷神社

珍しく説明板がないけれども、狐がいることから類推。祭神は倉稲魂命で、これも永正年間鎮座。

河内社

仁壁神社境内神社・河内社

境内神社。残念ながら、神社庁様のご本にも名前しか載っていなかったため、ゆかりについては分からなかった。

江良神社

仁壁神社境内神社・江良神社

この社にも説明板がないため、江良神社であるのか自信はない。あるはずの境内神社はこれですべてなので、最後に残った身元不明社になってしまったこれがそうではないかと推論。この神社についても、由緒の説明などはなく、ただ「招魂社」とあった。写真の社と紐づけられていないので意味をなさないものの、下のような石碑も確認済。

仁壁神社「江良神社御鎮座記念」碑

狛犬

仁壁神社・狛犬

宝物館の前にあった狛犬です。

ガイドさんが教えてくださったのですが、狛犬の口のなかにある玉、これ動くのです。口に手を入れて触れてみると、動かすことができます。今まで数え切れないほどの狛犬を見て来ましたが、まるで気がつかなかった。

すべての狛犬が同じような仕様になっているわけではありません。玉が固定されている場合もあります。さらにさらに、これも知らなかったのですが、狛犬には雌雄の区別があるのです!(これもすべてがそうなのかはわからないけど)。

仁壁神社(山口市宮野)の所在地・行き方について

ご鎮座地 & MAP

ご鎮座地 〒753-0023 山口市三の宮2-6-22
最寄り駅 宮野駅から徒歩15分

アクセス

宮野駅から徒歩15分とあるので、じゅうぶんに歩ける距離かと思います。ただし、地図を見るとじつはサビエル記念公園付近から歩けそうにも見えますので、かなりの強行軍になりそうですが、山口駅からも行けそうに感じます。宿泊地が山口であった場合、町歩きをしながらサビエル記念公園までは普通に行けてしまいますので。

宮野駅から

県道204号宮野大歳線に渡り、駅を背に左手の方角にひたすら真っ直ぐ上山口駅方向に行くと、参道が接続しています。あくまで地図上から見た感じですが、参道入り口は細い道であるため、ナビゲーションを使ったほうがよいと思います。15分かかるということはそれなりに距離があるので、万が一道を誤っているとたいへんなことになります。

山口駅から

毎回タクシーを使ってしまうため、徒歩で訪問したことがないです。ただし、じつは山口駅からサビエル記念公園までは歩くことができ、宮野駅から仁壁神社までとサビエル記念公園から仁壁神社までとは、(地図上)似たような距離感です。ただし、山口駅からサビエル記念公園まで歩いたらかなりある(そもそも最寄り駅は隣の『上山口駅』)ことから、それなりの覚悟がいります。次回試してみてから、再度ご案内いたします。

参照文献:山口県神社庁様『山口県神社誌』、仁壁神社様由緒看板、『大内文化探訪ガイド No.1』

仁壁神社(山口市宮野)について:まとめ & 感想

仁壁神社(山口市宮野)・まとめ

  1. 延喜式神名帳に式内社として名前が載っているたいへんに古い神社。古すぎてはっきりとした創建年代がわからないのは、ほかの格式高い神社と同様
  2. 周防国三の宮として、当地を治めていた大内、毛利氏に大切にされた
  3. 大内輝弘の反乱から、平成時代まで何度かの火災で古い社殿は焼失。平成の火災以前、重要文化財指定であった本殿は、元の規模に再建されている
  4. 現在も地元宮野地区はじめ、多くの人々に慕われる神社である
  5. 宝物館には、大内、毛利氏にかかわる文書やそのほかの宝物がある

神社には格式というものがあり、延喜式神名帳に載っている式内社である(あった)かどうか、ということが、それをはかる重要な物差しの一つとなっています。「○○国一の宮」「○○国二の宮」といったような名称をもつ神社は、たいてい格式が高い神社であることが普通です。この「一の宮」「二の宮」……ですが、全部でいくつあるのかは、その国によって違います。周防国は五の宮までありますが、長門国は二の宮までしかありません。

「三の宮」として篤く信仰されている仁壁神社は、非常に格式が高いってことになるわけです。それは、大内氏関係の書物にその名が出てくることからもわかります。歴代当主が宝物を寄進したり、式典に赴いたり、あれこれ祈願したりする対象の神社さまである、ということです。なんといっても義興代の「五社詣」が有名ですが、義隆代に、陶の反乱直前、義隆が例祭出席を取りやめた、という逸話の印象も強烈です。

江戸時代に再建された本殿は重要文化財指定となっていたのに、平成時代に火災で焼失してしまったというのがたいへんにショッキングです。もはやかつての面影は何一つないんだろうか? と考えてしまいますが、建物が再建物であろうとも、そんなことは信仰するにあたり、さして重要なことではないのですよね。史跡マニアが陥りがちな大きな勘違いです。

アクセスのところでも書きましたが、仁壁神社さまは(山口駅からは)歩いて行くのが微妙で、つねにタクシーを使うことになっています。宮野地区にはほかにもみどころがたくさんありますので、まとめてしまえばタクシー貸切りが一番ラクであるためです。常榮寺なども駅から歩くのはかなり微妙な場所ですが(というか普通は『歩けません』と言われてしまいます)、それらの観光資源といっしょにタクシーということにすればお得です。そういうことを繰り返しているゆえにか、仁壁神社さま周辺の町歩きができておらず、今ひとつ具体的な趣をお伝えできません。これがとってももったいないので、次回こそは歩いて向かおうと考えています。

ただし、歩いて行き、歩いて帰るとなると、それだけでかなりの時間をとられますから、一度にたくさんの観光資源を見て回りたい方にはおすすめできません。基本、ミルたちは山口市滞在型の旅行をしておりますので、同じ四泊五日でも、山口県全体のいいところ全部見る! と、今日は下関、明日は萩……という宿泊になっており、山口市内も一泊だけ、という方には向きません(というか、ほかのところが見られなくなってしまいます……)。

こんな方におすすめ

  • とにかく「古式ゆかしい歴史のある神社」が好き。延喜式神名帳式内社とかあったら必ず行く!
  • 周防五社詣を極めたい(ここを抜かしたら当然、極められません)

オススメ度


山口市内からちょい遠いことが難点です(要交通費)。あとは火災のせいで、目に見える建築物に重要文化財がないこと。とても残念です。文化財指定かどうかなんて、究極どうでもいいのですが、やはり凌雲寺さま五社詣の時から続く建物をお参りしたかった(藩政期に修繕改築されてたとしても)。
(オススメ度の基準等についてはコチラをご覧くださいませ)

五郎不機嫌イメージ画像
五郎

狛犬のメスとオスと、どこがどう違うんだ?

ミル涙イメージ画像
ミル

ええと……。それは、その、ちょっと恥ずかしいから、あとで自分で調べてね。

瑠璃光寺五重塔記念撮影
五郎とミルの防芸旅日記

大内氏を紹介するサイト「周防山口館」で一番の人気キャラ(本人談)五郎とその世話係・ミルが、山口市内と広島県の大内氏ゆかりの場所を回った旅日記集大成。要するに、それぞれの関連記事へのリンク集、つまりは目次ページです。

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  • この記事を書いた人
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ミル@周防山口館

大内氏を愛してやまないミルが、ゆかりの地と当主さまたちの魅力をお届けします

【取得資格】
全国通訳案内士、旅行業務取扱管理者
ともに観光庁が認定する国家試験で以下を証明
1.日本の文化、歴史について外国からのお客さまにご案内できる基礎知識と語学力
2.旅行業を営むのに必要な法律、約款、観光地理の知識や実務能力

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