関連史跡案内

玄済寺(山口市吉敷)

2020年10月14日

玄済寺入り口にて
玄済寺入り口にて

山口県山口市吉敷の玄済寺とは?

玄済寺は山口市吉敷にある曹洞宗寺院です。開基は毛利元就の第十一子・秀包で、のちに吉敷毛利家の菩提寺となりました。毛利氏ゆかりの寺院として、毛利家位牌所となっているほか、家老を務めた・福原弘俊のお墓もあり、福原家の位牌所とも鳴っています。かつて凌雲寺に安置されていたと思われる大内義興の位牌、念持仏・毘沙門天が伝えられている寺院でもあり、毘沙門堂にはそれらゆかりの品が祀られています。

玄済寺・基本情報

住所 〒753-0816 山口市吉敷佐畑4丁目ー10ー20
最寄り駅 湯田温泉駅から車で10分
山号・寺号・本尊 黄龍山・玄済寺・釈迦如来
宗派 曹洞宗
公式サイト http://gensaiji.net/

境内案内図

玄済寺・境内案内図看板

※入り口案内看板です。

玄済寺・歴史

毛利元就の第十一子・秀包が開基で、豊浦郡豊北町阿川に創建されました。開山は長門湯本大寧寺十八世鉄村玄さく和尚で、当初は江見寺といいました。毛利秀包は、小早川隆景の養子となり、豊臣秀吉の九州平定などで功績をあげます。秀吉の覚えめでたく、「秀」の字を賜ったほか、九州に知行地を得て久留米城主となりました。関ヶ原の合戦に際しても、豊臣方として参戦。西軍敗北ののち、帰国途中に下関で病没したそうです(三十五歳)。寛永二年(1625)、秀包の孫・元包の時、領地替に際して当寺を現在地に移し、玄済寺と名を改めました。

秀包の子孫は「吉敷毛利家」となり、玄済寺がその菩提寺です。境内裏手に吉敷毛利家歴代の墓所があり、初代から十七代にいたる一族の人々がまつられています。

玄済寺・みどころ

吉敷毛利家墓所、毘沙門堂、福原広俊墓、吉敷願かけ地蔵菩薩、宣徳社(天神山公園内)など。
凌雲寺さま(義興公)の念持仏だったと伝えられる毘沙門天像、およびご位牌が毘沙門堂内に安置されています。いずれも、元は菩提寺・凌雲寺にあったものと考えられています。

山門

玄済寺・山門

吉敷願かけ地蔵菩薩

玄済寺「吉敷願かけ地蔵」

縁起説明板によれば、こちらのお地蔵様は、元々橋本様という方の守護仏でした。九州福岡に移住される際に、玄済寺さまに寄贈されたのです。のちに、橋本様のご発願ご寄進によって「吉敷願かけ地蔵さま」としてお祀りされることとなり、人々が参詣できるようになりました。

本堂

玄済寺・本堂

毛利家と福原家の位牌所。本堂左手奥が毛利家墓所となっており、毛利家の家老を務めた福原広俊さんのお墓もこの寺院にあります。

鐘楼堂

玄済寺・鐘楼堂

聖観音像

玄済寺・聖観音像

天神山公園 & 宣徳社

玄済寺・宣徳社弘化二年(1845)、吉敷毛利家十三代当主・元潔公が建立したもの。祭神は保食之命と毛利歴代祖公。毛利家ならびに領内の守護神として祀られました。

縁起説明看板によると、昭和六十二年に天神山を公園化した際に再建された、とあります。天神山にはほかにも墓や慰霊碑、顕彰碑などの史跡があるそうです(未見)。

毘沙門堂

玄済寺・毘沙門堂

凌雲寺さま菩提寺・凌雲寺は廃寺となり、跡地は史跡として発掘調査が行なわれていますが、伽藍や仏像などの目に見えるかたちとしての遺物は現地には残っていません。元々凌雲寺にあったとされる毘沙門天像は、中尾高源院などで保管されていました。高源院は昭和十九年(1944)に玄済寺さまと合併したので、凌雲寺さまゆかりの品も玄済寺さまに移ったのです。

この毘沙門堂は、昭和三十一年(1956年)に、毘沙門天像ほかの位牌や仏像を安置するために建立されました。建物は鎌倉時代の建築様式を模したもので、平成時代、本堂改修時に改築を行い、陳列棚が設置されます。

堂内には凌雲寺さまゆかりの品として、毘沙門天立像二躰と位牌が安置されており、ほかにも吉祥天立像(平安時代の作)、釈迦如来坐像(室町時代の作)があります。

玄済寺・毘沙門堂(2)

山口県教育委員会が実施した調査報告書によれば、毘沙門天像は鎌倉時代の作品であるそうです。毘沙門天は凌雲寺さまの念持仏であるとされており、大内氏の信仰の対象になっていたと考えられています。また、毘沙門天像とともに、玄済寺に伝えられたご位牌は 札板に「凌雲寺殿三品兼七州太守傑叟義秀大禅神儀」と書かれており、牌は雲首型位牌(雲袖型位牌)と呼ばれるものですが、作成年代まではわかっていないそうです。(以上、参照:毘沙門堂内説明文)

玄済寺(山口市吉敷)の所在地・行き方について

所在地 & MAP

所在地 〒753-0816 山口市吉敷佐畑4丁目ー10ー20

アクセス

寺院様HPによれば、湯田温泉駅から車で10分。タクシーを利用して訪問したので、現時点で歩いていく行き方をお伝えできません。車で10分ということは、歩けばかなりかかると思われる上、道も複雑で徒歩ではかなりキツいと思わます。公共交通機関を利用しての行き方については調査中です。

参照文献:玄済寺様HP、同説明看板、毘沙門堂内説明書き

玄済寺(山口市吉敷)について:まとめ & 感想

玄済寺(山口市吉敷)・まとめ

  1. 開基は毛利秀包で、吉敷毛利家の菩提寺
  2. 毛利家歴代のご先祖を祭神とした宣徳社がある
  3. 大内義興の念持仏とされる毘沙門天像、および位牌が伝えられている
  4. 吉敷願かけ地蔵がある

MAP をかなり拡大しないと出て来ないのですが、寺院さまの手前(湯田温泉駅から向かったとして)に天神山公園、その向かいに天神池などがございます。天神山公園には宣徳社をはじめ、ほかにもいくつかの史跡があります。公園内にあるはずの宣徳社にお参りしているということは、公園内に入ったわけですが、まったく気が付きませんでした(公園について説明してある看板まで撮影していたのに)。

ほとんど凌雲寺さま位牌と念持仏のためにご訪問した感じでした。申し訳ございません。凌雲寺は廃寺となってしまい、現在発掘調査対象になっているわけですが、位牌や念持仏がほかの寺院さまに伝えられ、その寺院さまがこちらの玄済寺さまと合併したというご縁です。凌雲寺が廃寺になってしまったことが、何より惜しまれる大問題ですが、こうしてご位牌を伝えてくださっておられる寺院さまの存在は本当にありがたいことです。

それにつけても、法泉寺さまのほうは、何一つ伝えられていないわけで、それと比較したらご子息はどれだけ恵まれていることか。位牌と念持仏に感動すると同時に、またしても嫌なことを思い出してしまいました……。

吉敷は山口市街よりやや離れておりますので、歩いて行くのは辛いことが残念です。じつは凌雲寺ですら公共交通機関を使って行くことができるので、それより手前のこの寺院さまに行けないはずはないのですが、凌雲寺も四の宮赤田神社の、ほかにもあれやこれや吉敷の史跡をまとめてと思うと、やはりタクシーやレンタカーが便利だと考えてしまいます。タクシーを貸切りにして、付近の史跡を総ナメにするのがいいかと。なお、自転車を自在に乗りこなせる方であれば、凌雲寺も含めてかなり遠そうで歩くのは無理と思われるところでも普通に回ることができ、高額なタクシー代金を気にせずに多くの場所を回ることができる模様です(観光協会の方にお伺いすると、たいてい「自転車に乗れるかどうか」ということをお尋ねになります)。

こんな方におすすめ

  • 毛利家ゆかりの場所を回っている方(菩提寺です)。
  • 凌雲寺さまの菩提寺跡地を見に行ったら、わずかに石垣なかったことにショックを受けた方(当然お墓にお参りはなさったと思いますが、位牌はこっちです!)

オススメ度


(オススメ度の基準についてはコチラをご覧くださいませ)

五郎涙イメージ画像
五郎

なんで先々代の菩提寺はなくなってしまったんだろうね……。

ミル通常イメージ画像
ミル

しつこい子ですね、君は。こうやって、位牌や念持仏を大切にしてくださっているのだから、いいじゃない(そりゃ本心を言えば悲しすぎて辛いけど)。

  • この記事を書いた人
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ミル@周防山口館

大内氏を愛してやまないミルが、ゆかりの地と当主さまたちの魅力をお届けします

【取得資格】
全国通訳案内士、旅行業務取扱管理者
ともに観光庁が認定する国家試験で以下を証明
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