玄済寺・大内義興公霊牌所、念持仏毘沙門天像所蔵

吉敷毛利家菩提寺。なぜか毛利家菩提寺にある義興様の念持仏

戦国武将の念持仏マニアという方々は存在する。
その浪漫はとても理解できる。
となると、義興様のそれが毘沙門天とか、上杉謙信か!?

毘沙門天が安置されている毘沙門堂に、この念持仏のいわれが詳細に書かれている。
県教育委員会の調査報告書の引用文によれば、どうやら大内氏で毘沙門天が信仰の対象となっていた模様(下記ご参照ください)。
これは新たな発見であった。

のどかな場所にあるが、見所は満載だ。
まだまだ紹介しきれていないので、続編をお楽しみに。

山門


滅ぼした毛利、滅ぼされた大内が仲良く並ぶ。
平和だなぁ……。

毘沙門堂

この中に、義興様の念持仏が……。
寺院様による、とても詳しい解説文が添えられている。写真が小さくて見えない方のために、引用させていただいた。

玄済寺に伝わる毘沙門天像:もとは凌雲寺に安置されていましたが、高源院を経た後に、玄済寺に置かれました。二躰の毘沙門天像は鎌倉時代の作品です。この二躰の毘沙門天像は大内義興の念持仏と伝わっており、大内氏の信仰の対象となっていたと考えられます。
玄済寺に伝わる大内義興位牌:二躰の毘沙門天像と同じく現在玄済寺(山口市佐畑)に安置されています。 札板には「凌雲寺殿三品兼七州太守傑叟義秀大禅神儀」と書かれています。 義興位牌は雲首型位牌(雲袖型位牌とも)と呼ばれるものですが、作成年代は不明です。位牌の底面に管理記号と考えられる墨書銘があります。
玄済寺毘沙門天立像等:山口県教育委員会作成 令和元年7月5日
【調査報告書】山口市玄済寺(毘沙門堂)より抜粋

因みに大内義興氏により中尾凌雲寺が建立されたのが永正5年(1507)義興歿(1529)大内氏滅亡・凌雲寺焼失(1551)その後中尾高源院等に保管されていたのが、当寺との合併(1944、昭和19年)に伴い、玄済寺に移行され1956年(昭和31年)毘沙門天その他の像を安置する為鎌倉様式により堂宇を建立したものである。更に2007年(平成19年)本堂改修の際、併せて大改築を行い、この度の令和元年山口市文化財指定に伴い、防犯を兼ねた強固な陳列棚を設けたものである。毘沙門天立像。鎌倉時代(十三世紀)中期、毘沙門天立像。鎌倉時代(十三世紀)後半、吉祥天立像(平安時代)、釈迦如来坐像。室町時代(十四~十五世紀)

玄済寺毘沙門堂内説明文

肝心の毘沙門天の写真が見当たらぬではないか。

「写真はこれだけではないけど、管理しきれないので写真館に行ってください。ただし、現在工事中でございます」だそうです……。

吉敷願かけ地蔵菩薩


説明板によれば、こちらのお地蔵様は、元々橋本様という方の守護仏。九州に移住される際に、こちらに寄贈なさったとのこと。

宣徳社


毛利家のご先祖様が祭神。社は1845年に、十三代目の当主様が建てたもの。
そもそもこのお寺は、毛利元就氏の十一番目の御子・秀包さんが開基。
最初は、豊浦郡にあったものが、孫・元包さんの代にここに移ったのだ。

どこをどうみても毛利家の菩提寺。
ただし、念持仏だけは大内家関連の寺。
大切に保管してくださってありがとうございます💖

〒753-0816 山口県山口市吉敷佐畑4丁目9−1