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防府天満宮

2020年10月8日

防府天満宮・基本情報

住所 山口県防府市松崎町14-1
電話 0835-23-7700
祭神 主祭神:管原道真公、配祀神:天穂日命、野見宿祢、武夷鳥命
主な祭典 
歳旦祭(一月一日)、御正祭(三月三十一日)、金鮎祭(五月十五日)、御田植祭(六月三十日)、名越神事(六月三十日)、 御誕辰祭(八月五日)、御分霊式(九月下旬)、花神子社参式 (十月十日)、御神幸祭(裸坊祭]、旧暦十月十五日に近い土曜日)、例祭(十二月五日)
社殿 本殿、幣殿、拝殿、楼門、回廊
境内神社 愛宕社、老松社・若松社、須賀社、貞宮 (明治天皇皇女貞宮多喜子内親王の遥拝所)
主な建物 参集殿、客殿(祈願受付所)、春風楼、大専坊、歴史館(宝物殿)、茶室(芳松庵)、文化財収蔵庫、太鼓堂、演舞場、紅梅殿、御神庫、手水舎、 おみくじ堂、暁天楼、 花神子調度館、東屋、灯明台、宮司職舎、社宅、倉庫、旧手水舎、水道ポンプ小屋、国旗掲揚塔、鳥居、注連柱、灯籠、狛犬、神牛、神馬、石碑(扶桑菅廟最初)外多数、瑞垣、社名標、十三重石造塔、紅梅塔、竜口手水鉢、白壁塀、忠魂碑ほか
特殊神事 釿始式
(一月五日)、弓始式(一月五日)、牛替神事(二月三日)、御籤上げ(九月中旬)
最寄り駅 防府駅から徒歩15分、防府天満宮バス停から徒歩5分
公式サイト https://www.hofutenmangu.com/

防府天満宮・歴史

延喜四年(904)創建。天神様=菅原道真を祀る神社。

宇多天皇の御代は寛平の治と呼ばれ、後世理想とされる時代であった。天皇は菅原道真を蔵人頭に抜擢するなど、藤原氏の専横によらない天皇親政を行なう。道真は天皇に重用され、右大臣の地位にまで上る。しかし、これに危機感を抱いた藤原時平の陰謀により、讒言に騙された醍醐天皇は、道長を大宰府に左遷してしまった。教科書に昌泰の変と書いてある事件がこれ。道長は大宰府の地で失意のうちに亡くなったが、その後、時平が若くして亡くなるなど不可思議なことが続き、人々はこれを、無実の罪で都を追われた道真の怨霊がなせるわざと考えた。いわゆる御霊信仰が起った頃で、道真は天神様として神格化され、人々は天満宮を建てて手厚く弔った。というようなことが、日本史の授業で教わる大まかな内容。各地の天神縁起などでは、より詳細に様々な逸話を載せる。

『山口県神社誌』、防府天満宮HP、防府市自治体様HPなどによれば、防府天満宮の縁起として、およそつぎのような話が紹介されている。

大宰府に左遷されることになった道真公は、九州へ向かう途中、勝間の浦というところに船を着けた。この時、周防国司だった土師信貞は、道真公と同族であった。身内ゆえということもあってか、信貞は道真公を歓迎してくれた。信貞の歓待とこの地が風光明媚であったことで、菅公の心も和んだ。そこで、「たとえ、九州の地で命を落とすことになっても、魂魄は必ずやこの地に帰るだろう」と、家宝の金鮎十二尾を信貞に託して旅立って行った。

延喜三年(903)、勝間の浦に神光が現れ、酒垂山には瑞雲がたなびいた。驚いた信貞が、九州に使いをやって尋ねると、菅公がその日に薨去されていたことがわかった。人々は道真の霊魂が生前の願いどおり、この地に戻って来たのだと思った。信貞は菅公の御霊を祀り、 翌延喜四年(904)八月に、松崎の地に社殿を建てた。この松崎の社が防府天満宮の起源である。

周知のように、今ある全国の天満宮の類は、彼が怨霊となってしまったゆえにその霊を慰めるためのものである。だから、それらの天満宮と違い、道真公が亡くなっていち早く造られたこの社は、全国にある道真公ゆかりの神社の中で最も古いもの、とされている。北野天満宮・太宰府天満宮と並び、日本三天神といわれている。

人々の天神様に対する崇敬の念はとても広く深いもので、それは現代も変らない(受験の時、いきなり神頼みに行く人々まで含めて)。なので、古来より、じつに多くの人々がこの天満宮を信仰してきた。歴史上名高い人、時の為政者などもこぞって神社を崇拝した。多くの貴重な品々が寄進され、手厚い保護を受けてきた。

承安元年(1185)、周防目代・藤原前筑後守季助が金銅舎利塔を寄進。
文治元年(1185)、壇ノ浦で平家を滅ぼした源義経が凱旋の帰途、甲冑を寄進。
応長元年(1311)、国司・土師信定が松崎天神縁起を寄進。
建久六年(1195)、 俊乗坊重源が、本殿・楼門・廻楼を平安風に建て替える。
元徳二年(1330)、火災により炎上。旧記等も焼失。
正平十九年(1364)、大内弘世・義弘が本殿・拝殿・楼門・廻廊を重建(1364に本殿再建開始。1365年6月3日上棟、6月11日遷宮。天授元年(1375)8月10日拝殿再建、1378年、楼門、東西廻廊等再建)。
応永八年(1401)、大内盛見、三重塔、太鼓楼造営
 大内盛見は防府天満宮のために朝鮮から大蔵経を取り寄せた。
大永六年(1526)、火災により社殿のすべてを焼失。
享禄三年(1530)、大内義隆が造営釿始式を行い、十月に遷宮。
弘治三年(1557)、毛利元就は社坊・大専坊に「防長経略」の本陣を置いた。
 毛利隆元修築。
寛政元年(1789)、毛利重就が全社殿を重修造営。
文政五年(1822)、毛利斎煕が五重塔造建を発願し釿始式を行う。
天保二年(1831)、五重塔造建を断念(HPには『不慮の支障のため』とある)。
明治元年(1868)、 五重塔は一重塔として完成。
慶応三年(1867)、野村望東尼が参籠。七夜七種の祈願和歌を奉納。
 木島又兵衛が社内に駐屯所を置き、維新の志士たちが出入りした。
明治二年(1869)、社坊九寺が廃寺となる。
明治六年(1873)、松崎神社と改称(旧県社)。
昭和二十七年(1952)、火災により社殿・楼門を焼失。
昭和二十八年(1953)、防府天満宮と改称する。
昭和三十八年(1963)、本殿、拝殿、楼門修繕完了。

昭和、平成時代になっても、補修事業や記念祭などは絶えず行なわれている。参拝する人は引きも切らず、昔と変らぬ賑わいを見せている。

 防府天満宮・みどころ

現在見ることができる社殿は昭和に入ってから再建された建物である。神社の歴史そのものが最大のみどころなのであって、それは数え切れないほどの社宝からも明らか。多くが指定文化財となっている。

国指定文化財:紙本著色松崎天神縁起写本・六巻(応長元年)、金剛宝塔(承安二年)、鎧唐櫃 (源平時代)、浅黄糸威鎧、 紫韋威鎧ほか一領(ともに源平時代)、大日如来座像(藤原時代初期)、梵鐘(文応元年)、松藤蒔絵文台硯箱(室町時代)、獅子頭(正平十年頃)、鼻高面(正平十年)
山口県指定文化財:紙本著色松崎天神縁起写本・六巻(文亀三年)、永仁年間以降の防府天満宮文書多数、元徳二年から明治初年までの大小行司職等差定文書・五一四点、石大鳥居(寛永六年)
防府市指定文化財:天神宮塔勧進帳軸(正元元年)、紙本墨書源氏物語 ・五十四帖(元和四年)、銅造鉢(文亀元年)

広い境内の中には、じつに様々な記念碑、石塔類がある。すべてを確認し由来を調べるのは困難に近いと思われる。半日かそこらでは無理であろう。樹木が多いことも特徴で、梅をはじめ数々の花がある。満開の季節に訪問すれば、梅園などを楽しめる。

社殿

本殿 (流造銅板葺)、拝殿(入母屋造銅板葺)。創建以来、何度も火災に遭い、修築を繰り返して来た。現在の本殿も、昭和に入って火災によって焼失し、再建されたものである。

楼門

銅板葺。

春風楼

文政五年(1822)、毛利斎煕は、五重塔の造建を発願し、大専坊で釿始式を行った。しかしながら、資金調達の途中、「不慮の支障」によって、工事を中断せざるを得なくなった。明治に入ってから、五重塔ではなく、楼閣様式に変更して建てられ、明治六年(1873)に完成した。五重塔建立の願いは叶わなかったが、楼の床下には、文政年間に使うはずだった「組物」が使われていて、その当時の面影もしのべる。また、この楼からの展望は「春風」のような絶景だという。(参照:説明看板)

神聖なる使いとしての牛。複数体目撃。牛だけではなく、馬も、さらには人も。銅像が至る所にあった。維新の志士やその関係者が多かった。

毛利重就公像

長州藩七代藩主。「中興の英主」と呼ばれているお殿様。ご功績は多々あるが、産業振興につとめられたことが大きい。山口のガイドさんがおっしゃっていた、長州藩はあれこれと力を尽して産業を振興させ、明治維新の頃までに財政的に豊かになっていった云々のお話は、まさにこの方のことでは? 隠居されたあとは、三田尻に住んだといい、れいの御茶屋がその隠居所。そこで亡くなられたという。寛政元年(1789)には、松崎神社の全社殿を重修造営したというのだから、神社にとっても大恩人みたいな方である。

野村望東尼

維新で活躍したのはなにも、男性だけではなかった。女流歌人・野村望東尼は「勤王の歌人」で、倒幕の軍が出航するにあたって防府天満宮に七日七晩通って歌を詠んだという。となりには、その歌碑がある。高杉晋作が病になった時、彼を助けたために望東尼は流罪になってしまった。のちに、晋作に助けられた。

高杉晋作が下関で亡くなったとき、望東尼はたびたびその病床を見舞い、二人で詠んだ歌も歌碑に刻まれている。
 面白きこともなき世をおもしろく(晋作)
 すみなすものは心なりけり(望東尼)
「面白くない世の中を面白く生きるにはどうしたらいいのだろうか
そのように生きていくのは心の持ち方次第です」(参照:説明看板)

 

梅園

いつ来ても、何の花を見ても美しいが、やはり梅がいい。16種類、1000本の梅が植えられているというので、満開の時は素晴らしいと思う。見頃は二月上旬から三月初旬。三月に訪問しました。

愛宕社

境内社。祭神は軻遇突智。ほか九柱を祀る。

老松社・若松社

境内社。「子宝の神」という。HPにはなんと、祭神不詳、とあった。

須賀社

境内社。祭神は素戔鳴命。こちらは「子育ての神」。

 

貞宮遥拝所

筆塚

ほかにも、茶筅塚、鮎塚、針塚……と、供養してもらえるもの多数。

紫雲石

願い事をすると必ず叶うという不思議な石。この石のお陰で富を築いた豪商・松原屋さんの子孫が参拝の人々にもご利益を戴いてもらうために境内に移したという。(参照:説明看板)

太鼓楼

大内盛見が建てたという三重塔や太鼓楼は、もう跡形もない。これは信者の方から寄進されたもの。とても大きくて立派だ。

防府天満宮写真集

ミル

キリがないほどたくさんのものがある神社です。残りは写真だけのページでご紹介します。

アクセス

防府駅からタクシーを使いました。歩いても15分ということなので、町歩きしながら歩くのがいいと思います。なお、車で参拝する方は、駐車場から入ることになるので、そのまま上には上がらず、必ず参道を戻ってください。鳥居や大専坊を見落とすことになります。

参照文献:山口県神社庁様『山口県神社誌』、防府天満宮様HP、防府市ほか自治体様HP、説明看板

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