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築山神社(山口市上竪小路)

2021年6月12日

築山神社・鳥居と拝殿

山口県山口市上竪小路の築山神社とは?

毛利輝元が、多賀神社の宮司・高橋言延に建立させた神社「宝現霊社」が前身です。大内義隆、その息子・義尊はじめ、家臣らの政変で命を落とした人々の霊を慰めるためということです。のちに、龍福寺境内、後原、現在地と移転したようです。現在地に移ったのは明治時代のことで、その際に、名称が築山神社となりました。現在の社殿は、江戸時代に氷上山興隆寺に建てられた、徳川家康を祀る東照宮だったものを使っています。

元々「宝現霊社」に祀られていた大内義隆父子、そのた大内家先祖一族に加え、現在地近くに墓がある市川少輔七郎、社殿を転用したことから徳川家康までも合祀されています。

築山神社・基本情報

住所 山口市上竪小路101番地
最寄り駅 山口駅
祭神 主祭神:大内義隆卿、配祀神:従一位二條前関白尹房公外二十三座、徳川家康公、 大内氏祖先霊、市川少輔七郎霊
主な祭典 例祭(十一月十五日)
社殿 本殿、幣殿、拝殿
主な建築物 市川少輔七郎墓、修大内義興墳墓碑、月見松跡碑、宗祇句碑、箏曲組歌発祥の地碑、鳥居、灯籠 
社宝 棟札(天保三年)
※主な建築物の中に記されているものは、鳥居と灯籠以外すべて、「築山館跡」で説明しています。ついでに、鳥居と灯籠ですが、同じ敷地内にある八坂神社と渾然一体化しているため、判別が難しく、神社関係と思われるもの(灯籠、手水舎など)はすべて、八坂神社の項目に分類しています。⇒ 関連記事:築山館跡八坂神社

築山館神社・歴史

大量に合祀された「神々」

これほどご由緒等が複雑な神社さまも稀と思います。いかにも、築山館跡にあり、築山神社さまなどとお呼び申し上げておりますが、このお社は元の築山大明神さまとは、まったくの別物です。けれども、「大内氏祖先霊」というのが合祀されているため、そこには当然、教弘公(= 築山大明神さま)も入っているといえます。そこまでは、とても有り難い神社さまとして崇拝の対象となるのですが、何やらほかにもあれこれと合祀されており、その結果、とてつもない大所帯となっています。

合祀された神々がまったく縁もゆかりもない方々の集合体のようになっていて、そのラインナップには驚かされます。近代になって、寺社の整理が行なわれた際、そこらじゅうの小さな祠まで含めて一つにした、なんて例は多々あります。なので、大所帯となっていることも、雑多な神々が集まっていることも、取り立てて不思議なことではないのですが……。でもなんか、こういうのを築山大明神さまと一緒にしてほしくない、って思いもあり……。

祭神

  1. 大内義隆、配祀神としてその息子・義尊
  2. 「政変」で死んだ公家と殉死した忠臣など合計二十八柱
  3. 大内氏祖先霊
  4. 毛利家臣・市川元教
  5. 徳川家康

1~3 までは、まあ、問題ないのかな、と思います(公家はどうでもいい気がするものの、ほかは歴代当主様方や忠義のご家臣なわけですので)。でも、4はともかくとして、5は要りません。毛利家代々のお殿様は、大内氏祖先霊をお祀りし、守り伝えて来てくださったので、その家臣の方が入るのはとにかくとして……5の人、マジ完全に無関係です。

神様なので、粗略にはできませんし、建物お借りしているので仕方ないですね。

創建からこの地に遷るまで

江戸時代の慶長十年(1605)、毛利輝元は多賀宮司・高橋民部丞言延に命じて、多賀神社境内に宝現霊社を創建させました。祭神は従二位兵部卿大内義隆、配神は嫡男・周防介義尊以下、家臣らが起こした政変の際、遭難・殉死・忠死した諸公卿諸士合わせて二十八人、相殿には大内氏世々霊を祀ったものです。

のちに、この宝現霊社は龍福寺の境内に移され、社領は没収されてしまいました。言延の孫・延実はこのことを嘆き、遷座を訴えて許されたので、文政十一年(1828)、後河原(『趣味の山口』後河原、『山口県神社誌』字片岡)に社殿を造って移転しました。

明治三年(1870)、現在の地に移築され、築山神社と名を改められました。この時、氷上山興隆寺内にあった東照宮を移して神殿とします。ゆえに、東照宮に祀られていた徳川家康が築山神社に合祀されました。翌明治四年(1871)には市川少輔七郎の霊も合祀され、現在に至ります。(以上、参照:『趣味の山口』、『山口県神社誌』)

鎮座地の変遷

多賀神社境内 ⇒ 龍福寺 ⇒ 後河原 ⇒ 築山館跡(現在地)
名称:宝現霊社 ⇒ 築山神社

なお、現在龍福寺境内には宝現霊社という神社が鎮座しており、江戸時代創建の社であるとのことです。⇒ 関連記事:龍福寺

築山神社・みどころ

拝殿と本殿が山口県指定有形文化財となっています。境内には市川少輔七郎の墓や各種の石碑類がありますが、それらはかつての大内氏築山館、いわゆる「築山跡」の文化財と共通になるので、築山跡の項目で説明します。なお、それ以外にも、鳥居や燈籠といった明らかに神社所属の建築物も存在します。けれども、八坂神社と同じ敷地内にあるため、額がかかっていない鳥居や燈籠などは、どちらに属するものなのか、わからなくなることがあります。⇒ 築山館跡八坂神社

拝殿・本殿

築山神社・拝殿

元・興隆寺にあった氷上山東照宮の社殿を移築したもの。本殿、拝殿は寛保二年(1742)に興隆寺境内に建てられていた創立当初のまま。幣殿は移築時に新築されたものです。本殿は平成二十九年に山口県指定有形文化財(建造物) となりました。

入母屋造、鉄板葺
本殿:桁行三間、梁間二間
拝殿:桁行三間、梁間二間、入母屋造、向拝一間、向唐破風造、鉄板葺
十八世紀中期の特徴を備えたもので、釣屋(建物をつなぐ廊下)跡も残っています。
(参照:興隆寺HP、山口市文化財保護課報道資料)

老朽化が激しいため、しばらくの間、屋根をシートで覆うなど応急的な処置がとられていました。現在は修築作業が完了しています。以下は修理前の姿です。

築山神社拝殿(修理前)

築山神社(山口市上竪小路)の所在地・行き方について

ご鎮座地 & MAP

ご鎮座地 山口市上竪小路101番地

アクセス

山口駅から徒歩圏。八坂神社境内にある、という扱いのようですが、八坂神社も含めて、元・大内氏築山館跡に存在しています。ゆえに、築山跡を訪問すると、館跡の見学と二つの神社の参拝が同時に行えます。

参照文献:興隆寺様HP、山口市文化財保護課報道資料 R20827 PDF、『趣味のやまぐち』マツノ書店

築山神社(山口市上竪小路)について:まとめ & 感想

築山神社(山口市上竪小路)・まとめ

  1. 江戸時代に毛利輝元が造らせた神社
  2. 築山跡地にあるが、築山大明神とは無関係
  3. 大内家代々のほかに、毛利家家臣や、なんと徳川家康まで合祀されている。
  4. 徳川家康が合祀されたのは、現在この神社の社殿となっているのが、元々家康を祀っていた東照宮を移築したものだったため。むろん、日光東照宮ではなく、氷上山興隆寺の中に東照宮があった。
  5. 移築されたもので、いきなり徳川家康などが祀られているけれども、社殿は江戸時代からのものとなるから、そこそこ歴史があるため、県指定文化財となっている

築山神社は「大内氏祖先霊」として、大内氏先祖代々をまるっとお祀りしてくださっている、とても有り難い神社さまです。でも、合祀されている人々についてはかなりの違和感があり、素直に受け入れがたい思いもあります。

きわめて個人的な好みの問題となってしまいますので、違うだろ、って思われる方が多いかと思いますが。タ×キはお祀りするに値しないであろう、というのが素直な感想です。本文中にもチラと書いた通り、本殿として使われているのが、それをお祀りしていた神社であった建物、ということなので、逆に言えばこの「神様」にほかの神様が合祀されたというのが正しいかたちとも言え、その辺りなんともですが。

けれども、毛利家が広島から山口に移され、毛利家代々のお墓が広島に置き去りとか。故郷の地を離れざるを得なかったことで、明治維新で倍返しできるまでの間、どれだけ嫌な思いをなさったことか。そう思うと、その元凶が町のど真ん中にこうして祀られていること、ものすごく違和感。

まあ、この場所に移築され、その際に東照宮の建物を移したのも、すべては明治時代のお話。もうそれらのあれこれ、無関係な時代となっていますし、心優しい地元の方々が建物そのもの、建物を移した場所に関係する人々を含めすべてを大切にお祀りくださったのだと思います。

ひとつだけよくわからないのは、現在龍福寺の中にも「宝現霊社」があって、同様に、大内氏代々の霊をお祀りくださっているのですが、この築山神社が輝元さんの命によって創建され、その後場所を転々としつつ、最終的に現在地という説明を見るたび、龍福寺にもきちんと存在するあちらと、あれこれ変遷してきたらしきこちらとの関連性は何なんだろう? 二つは同じものなのだろうか? ということです。今後の宿題とさせてください。

こんな方におすすめ

  • 神社巡りが好きで、特に重要文化財になっているような社殿にお参りしたい方(県指定です)
  • 東照大権現好きな人(なんでこんなところに!?)

オススメ度


修理が終わった社殿はとても立派です。賽銭箱に大内菱ついてます。
タ×キの霊が祀られていたので、+α できませんでした。個人的な理由すぎてごめんなさい。あとは、建物が江戸時代創建で、大内氏時代の遺産でもなんでもない、という点も、残念でした。
(オススメ度の基準についてはコチラをご覧くださいませ)

新介通常イメージ画像
新介

ここに来れば、僕たちの一族すべてにお参りくださっていることになります。大内氏に感心を持ってくださっている方々の思いはきちんと受け止めています。

ミル不機嫌イメージ画像
ミル

新介さまにお参りするたびに、タ×キにもお参りしていることになると思うと、心中フクザツです。大嫌いなので。

畠山義豊イメージ画像
次郎

このお賽銭はアンタとは無関係。アンタのことはお参りしてない、っていちいち断ればいいだけじゃん。

五郎不機嫌イメージ画像
五郎

ホントだな。お参りの度に、その台詞を忘れたらだめだ。でも、祟られたりしないかな……。美女はとにかく、タ×キの霊が尋ねてくるとか、気色悪い。

於児丸笑顔イメージ画像
於児丸

(↑ 無視)新介さま、築山神社のあるところが、綺麗な公園になったよ。早く見に行こう!

新介笑顔イメージ画像
新介

本当だね。ご先祖さまたちも喜んでるよ♪

  • この記事を書いた人
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ミル@周防山口館

大内氏を愛してやまないミルが、ゆかりの地と当主さまたちの魅力をお届けします

【取得資格】
全国通訳案内士、旅行業務取扱管理者
ともに観光庁が認定する国家試験で以下を証明
1.日本の文化、歴史について外国からのお客さまにご案内できる基礎知識と語学力
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