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築山神社(山口市)

2021年6月12日

拝殿の写真

築山神社・基本情報

住所 山口市上竪小路101番地
電話 083ー921ー1566
最寄り駅 山口駅
祭神 主祭神:大内義隆卿、配祀神:従一位二條前関白尹房公外二十三座、徳川家康公、 大内氏祖先霊、市川少輔七郎霊
主な祭典 例祭(十一月十五日)
社殿 本殿(入母屋造・四坪五)、幣殿(切妻造・八坪)、拝殿(入母屋造・七坪)
主な建築物 市川少輔七郎墓(石造)、修大内義興墳墓碑(石造・明治二十三年)、月見松跡碑(石造)、宗祇句碑(石造・昭和二十八年)、箏曲組歌発祥の地碑(石造・昭和四十年)、鳥居(石造)、灯籠一対(石造) 
社宝 棟札(天保三年)

築山館神社・歴史

江戸時代の慶長十年(1605)、毛利輝元は多賀宮司・高橋民部丞言延に命じて、多賀神社境内に宝現霊社を創建させた。祭神は従二位兵部卿大内義隆卿、配神は嫡男・周防介義尊以下、陶らが起こした政変の際、遭難・殉死・忠死した諸公卿諸士合わせて二十八人、相殿には大内氏世々霊を祀ったものであった。

のちに、この宝現霊社は龍福寺の境内に移され、社領は没収された。言延の孫・延実はこのことを嘆き、遷座を訴えて許されたので、文政十一年(1828)、後河原(『趣味の山口』後河原、『山口県神社誌』字片岡)に社殿を造って移した。

明治三年(1870)、現在の地に移築され、築山神社と名を改めた。この時、氷上山興隆寺内にあった東照宮を移して神殿とした。東照宮に祀られていた徳川家康は築山神社に合祀された。翌明治四年(1871)には市川少輔七郎の霊も合祀され、現在に至る。(以上、参照:『趣味の山口』、『山口県神社誌』)

鎮座地の変遷

多賀神社境内 ⇒ 龍福寺 ⇒ 後河原 ⇒ 築山館跡(現在地)
名称:宝現霊社 ⇒ 築山神社

なお、現在龍福寺境内には宝現霊社という神社が鎮座している。江戸時代創建の社であるという。

築山神社・みどころ

拝殿と本殿が山口県指定有形文化財となっている。境内には市川少輔七郎の墓や各種の石碑類があるが、それらはかつての大内氏築山館、いわゆる「築山跡」の文化財と共通になるので、築山跡の項目で説明する。なお、それ以外にも、鳥居や燈籠といった明らかに神社所属の建築物もある。八坂神社と同じ敷地内にあるため、額がかかっていない鳥居や燈籠などは、どちらに属するものなのか、わからなくなることがある。

拝殿・本殿

拝殿の写真

元・興隆寺にあった氷上山東照宮の社殿を移築したもの。本殿、拝殿は寛保2年(1742)に興隆寺境内に建てられていた創立当初のまま。幣殿は移築時に新築されたものである。本殿は平成29年に山口県指定有形文化財(建造物) となった。

入母屋造、鉄板葺
本殿:桁行三間、梁間二間
拝殿:桁行三間、梁間二間、入母屋造、向拝一間、向唐破風造、鉄板葺
18 世紀中期の特徴を備えたもの。釣屋(建物をつなぐ廊下)跡も残る。
老朽化が激しいため、屋根をシートで覆うなど応急的な処置がとられていたが、現在は修築作業が完了している。以下は修理前の姿。

修理中の築山神社の写真

(参照:興隆寺HP、山口市文化財保護課報道資料)

築山神社写真集

アクセス

山口駅から徒歩圏。八坂神社境内にある、という扱いのようだが、八坂神社も含めて、元・大内氏築山館跡に存在している。ゆえに、築山跡を訪問すると、館跡の見学と二つの神社の参拝が同時に行える。

参照文献:興隆寺ホームページ https://koryujimyokensha.web.fc2.com/、山口市文化財保護課報道資料 R20827 PDF、『趣味のやまぐち』マツノ書店

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