築山神社(山口市)

築山神社 (2)

築山神社・基本情報

住所 山口市上竪小路101番地
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築山館神社・歴史

この神社は、明治時代に氷上山真光院境内にあった東照宮が移築されてきたものである。
氷上山といえば、大内氏氏寺・興隆寺があったところのはず。
そこになにゆえ、東照宮が建てられ、この地に移されたのだろうか?

大内氏の氏寺であったとき、興隆寺は非常に栄えていた。滅亡後、毛利氏によって保護されたものの当時ほどの勢いはなくなってしまった。やがては困窮し、廃れていくことになる。

江戸幕府を開いた徳川家康は大東照大権現として神格化され、各地に東照宮が建てられ信仰された。幕府は諸大名に対して東照宮の造営を進言。各地に多くの東照宮が造られた。萩藩も例外ではなかった。

中興僧・行海僧正は氷上山を復興させようと尽力する。結果、氷上山真光院と名称を定め、多くの脇坊が整備され、また、東照宮・観音堂・山王社・護摩堂などが建てられたという。
しかし、明治時代になると、神仏分離によって寺領は失われ、焼失した真光院が本坊として使用していた宝乗坊以外の坊は廃れ、釈迦堂は龍福寺本堂、東照宮は築山神社、観音堂は山根観音堂、山王社は御堀神社として移築されていった。

享保20年(1735)、日光東照宮御神影を氷上山護摩堂に安置
寛保元年(1741)、氷上山に東照宮を新築遷宮
寛保2年(1742)、本殿・拝殿建立。
明治3年(1870)、氷上山東照宮を山口宝現霊社※に合祀。大内地区から現在地に移される。

こうして、氷上山東照宮の社殿であった建物は、現在地に移され築山神社となった。本殿、拝殿は寛保2年(1742)に興隆寺境内に建てられていた創立当初のまま。幣殿は移築時に新築されたものである。

本殿は平成29年に山口県指定有形文化財(建造物) となった。

※宝現霊社については、龍福寺に江戸時代創建の社が鎮座しており、説明板もあった。看板の解説はやや簡易すぎたので、以下『趣味のやまぐち』より「築山神社」の項目を引用。築山神社、宝現霊社、東照宮の関係がとても分かりやすい。

上竪小路築山大明神旧址鎮座の県社。祭神は従二位兵部卿大内義隆卿、配神は嫡男周防介義尊以下天文国難の際の遭難・殉死・忠死諸公卿諸士合わせて二十八人、相殿には大内氏世々霊・徳川家康霊・市川式部少輔元教霊を祭る。社殿に慶長十年毛利輝元、多賀宮司高橋民部丞言延に命じて、彼社内に創建せしめ、宝現霊社と号し、後に龍福寺の境内に移し、社領は没収せられた。文政十一年言延が遠孫延實哀訴して後河原に遷座の許可を得、社殿造営を遂げ遷宮せられた。
明治二年氷上山興隆寺内、東照宮を今の土地に移して神殿となし復、遷宮せられた。此時配祭及び相殿の諸霊を合祀せられたので、徳川家康の霊の混流したのも、古殿の関係ありしに因るのである。
『趣味のやまぐち』マツノ書店
旧漢字は一部新字体に改めた

築山神社・みどころ

拝殿、本殿
入母屋造、鉄板葺
本殿:桁行三間、梁間二間
拝殿:桁行三間、梁間二間、入母屋造、向拝一間、向唐破風造、鉄板葺
18 世紀中期の特徴を備えたもの。釣屋(建物をつなぐ廊下)跡も残る。
老朽化が激しいため、屋根をシートで覆うなど応急的な処置がとられている。

参照:興隆寺ホームページ https://koryujimyokensha.web.fc2.com/、山口市文化財保護課報道資料 R20827 PDF、『趣味のやまぐち』マツノ書店