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八坂神社(山口市)

2021年6月12日

鳥居の写真

八坂神社・基本情報

住所 〒753-0035 山口市上竪小路100
電話 083-921-1566
問い合わせ 八坂神社社務所:山口市八幡馬場22・083-922-0083
最寄り駅 県庁前バス停から徒歩10分
御祭神 素盞鳴尊、稲田姫命、手名槌命、足名槌命
通称 ぎおんさま
主な祭典 例祭(七月二十日)
境内神社 稲荷神社
奉納芸能 鷺の舞(山口県指定文化財)
棟札 (永正十七年・元和三年・国指定文化財)

八坂神社・基本歴史

八坂神社は元「祇園社」といい、応安三年(1370)に大内弘世が京都祇園社より勧請したと伝えられている。最初の鎮座地は、竪小路とされるが確証はない。社殿は長禄三年(1459)、 大内教弘によって上宇野向水の上(香積寺門前とされる) に移されていたが、大内義興が高嶺大神宮を創建した際、祇園社も高嶺の地に移した。永正十七年(1520)に社殿が新築されている(高嶺両太神宮御鎮坐伝記)。

江戸末期の元治元年(1864)、毛利敬親が藩庁を山口に移した時、祇園社は再び場所を移された。移築先は、かつての大内氏築山館の跡地で、当時は畑地となっていた現在地である。山口の藩庁が建てられたのは、今の藩庁門がある付近だったから、山口大神宮(=高嶺太神宮)からほど近い。時は敬親や幕末の志士たちが活躍した明治維新の頃。敵対する勢力の関係者が神社に身を潜めて情報収集などを行なう可能性は十分にあった。そのような事態を防ぐために、祇園社の場所を藩庁から遠ざけたのである(ガイドさん談)。移築に際して、本殿は永正年間に建立されたままの姿を残したから、貴重な文化財として現在まで伝えられることになった。

鎮座地の変遷

(竪小路)⇒ 水の上 ⇒ 高嶺 ⇒ 築山跡
※史実未確認の竪小路を数えず、八坂神社は三回移転した、といわれる。

室町幕府に従った大内氏は、在京守護として京都に駐在したから、京にも館が建てられ「大内屋形」と呼ばれた。在京期間は当主によって異なり、教弘以降は在京をやめた。
大内屋形は他の守護たちの京屋形と比しても、たいへん豪勢なものだったが、火災によって焼失してしまった。在京守護としてではなく、応仁の乱で在陣した政弘、将軍・義稙の復職を助けて十年あまり京に滞在した義興は、ともに、下京に居所を構えた。消失した大内屋形も含め、歴代当主の在京拠点はすべて下京中心であった。
京都の祇園祭で神輿や山鉾はこの下京を通る。研究者の先生方は、祇園社が勧請されたのはこのことと無縁ではないと指摘しておられる。大内氏歴代当主たちにとって、祇園祭の鷺舞や鉾がとても親しみ深いものであったことは想像に難くない。かくして祇園祭の鷺舞や鉾は山口にも伝播した。

八坂神社・みどころ

鷺舞

八坂神社の祭礼は、七月二十日から二十七日までの七日間に渡って催され、古来山口の祇園祭として有名。「山口祇園会」ともいい、京都の祇園会を移したものとされる。延徳四年(1492)の大内家壁書は、祇園会の時築山に上って見物することを禁止している。その当時すでに、かなり盛大な祭だったと思われ、多くの見物人でごった返す、にぎやかな光景が目に浮かぶ。

鷺舞は祇園祭のときに奉納される神事で、祭礼初日に神社の社頭、神幸の途中、御旅所で行われる。山口県指定無形文化財となっている。弥栄神社(島根県津和野町)や京都の八坂神社など、鷺舞は各地で行われているが、多くは近年再興されたもの。山口の鷺舞のみが途絶えることなく現在まで続けられていることがたいへんに貴重。

祇園社建立や神事について記された「高嶺両太神宮御鎮坐伝記」(永正十七年)には、鷺舞についての記録がまったくないため、鷺舞は祇園社勧請時ではなく、高嶺移転後に始められたと考えられている。山口に導入したのは、義興だったかも知れない。

祇園会地下道アートの写真
鷺舞地下道アートの写真

ミル

じつはまだ、鷺舞をこの目でみたことがないの。雰囲気を伝えるために、地下道アートからちょこっとお借りしました。

本殿

本殿の写真

三間社流造りで屋根は檜皮葺。永正年間に建立された当時のままで、室町時代の特色を今に伝える。 13個の蟇股があり、その形の優美さ、珍しい図柄、花や果物、雲などの彫刻が注目されている。

祇園稲荷

祇園稲荷の写真

八坂神社の境内神社である。

扇の芝

扇の芝の写真

きわめて見づらい写真だけれども、祇園祭の時、鷺舞が舞われる場所です。

神徳碑

神徳碑の写真

八坂神社写真集

アクセス

山口駅から県庁前バス停、徒歩圏。ただし、山口駅からも普通に歩ける。八坂神社が築山館跡に移築されている関係上、築山神社、築山館跡とセットになっている。一度に三つも見ることができてお得だが、築山神社と八坂神社の建物は混在しており、野田神社&豊栄神社同様、境目がわかりにくい(わからない人には)。

参照文献:山口県様HP、山口市様HP、山口県神社庁様『山口県神社誌』、大内氏歴史分家研究会様『室町戦国日本の覇者・大内氏の文化をさぐる』

五重塔記念撮影の写真
五郎とミルの防長芸旅日記

山口市内と広島県の大内氏ゆかりの場所を回った旅日記。ついでに本拠地・周南の宣伝もしちゃう。

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