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禅昌寺(山口市小鯖)

2022年9月12日

寺号石碑の写真

禅昌寺・基本情報

住所 山口市下小鯖1170
電話 083-927-0142
最寄り駅 山口駅 ⇒ 禅昌寺前バス停から徒歩圏
山号・寺号・本尊 法幢山・禅昌寺・釈迦如来
宗派 曹洞宗

禅昌寺・歴史

応永三年(1396)、大内義弘が建立。開基は慶屋定紹。創建当時は「禅昌寺を約八十の末寺小庵が取り巻き、千人近い修行僧が居て、西の本山 西の高野と呼ばれ」るほどだったという。

大内義弘は当寺に三千石の知行を寄進しようとしたが、慶屋定紹は「安定は堕落のもと」とこれを断り、かわりに防長の地で修行僧が托鉢をする許可をもらった。以来、幕末に至るまで五百年間、この寺院は防長の人々とのつながりによって支えられ、維持されてきた。

毎年、開山忌には多くの参詣者で賑わう。(以上、参照:説明看板)

禅昌寺・みどころ

とにかく広い。ご案内の方が、広いと仰っていたので間違いない。寺院というのは広いところはどこも広いのだが、山門から見渡せる範囲の敷地が広いな、と感じる。見えていない後方にも賽の河原以下、いくつかの参詣地があるのだが、広すぎて一度にすべてを見ることはできなかった。重要な建築物としては、山門と本堂があげられるが、ほかにも数多くの建物がある。

「下馬」石碑の写真

山門の手前には「下馬」と彫られた石があった。参詣者はここで馬から下りたとのこと。昔の人は馬に乗っていたから、貴人にお目通りしたり、寺社に参詣したりする際には馬から下りる必要があった。今も「下馬」という地名が残っている場所があったりするけれど、このような石は初めて見た。

山門

山門の写真

応永三年創建当時のものを、江戸時代に修繕した。説明看板には、「壮大かつ簡素 全国でも珍らしい様式」とある。この写真からは見にくいのだが、山門上の扁額には「亀岳林」と書かれており、明の高僧心越禅師(徳川光圀公が師事した人)の手になるもの。亀岳林とは、山門から向かって左の山を亀尾山といい、この叢林を亀岳林とよんでいることからきている。
山門丸柱の書には「竹密にして 流水の過ぐるを妨げず 山高うして 豈白雲の飛ぶを礙げんや」と書いてある。意味は、「自己への執着を断ちきれば 天地間にさまたげるものは何もないということ」。(参照:説明看板)

本堂

本堂の写真

本堂の写真

江戸時代、天保年間の再建。本尊は釈迦牟尼如来。扁額は金沢の大乗寺無学禅師によって書かれた本寺院の山号。

本堂内手前の書は 「諸悪莫作 衆善奉行 自浄其意 是諸仏教(悪はなさず善は進んで行い常にその心を浄くたもつ これ諸仏の教えである)」※写真からはみえません。
本堂内奥の丸柱の書は「渓声便是広長舌 山色豈非清浄身(谷のひびきが そのまま仏の説法であり、山のたたずまいがそのまま仏のお姿とうつる。心をよく澄ましてみよ)」(以上、参照:説明看板)

禅昌寺様はあれこれの書について、看板などで丁寧にその意味を解説してくださっておられます。漢字だらけの文章が意味不明のイマドキの参拝者にとって、これほどありがたいことはありません。

五郎

大内菱がついているね!

ミル

まあ、山口市内、至る所についてるけどね。

観音堂

観音堂の写真

「大慈殿」という。中には聖観音さまがおられる。

地蔵堂

地蔵堂の写真

「小動物が荒らします。お菓子、玩具等、お供物はご遠慮下さい」との貼り紙があった。

韋駄尊天

 

韋駄尊天像の写真

この韋駄天さま、じつは食堂におられた。韋駄天といえば、足が速い神様というようなことしか知らなかったが、禅寺ではお台所の神様なのだそうである。この韋駄天像は江戸時代初期のもので、かなり傷んでいた。台所の守護神であることから、婦人会の方々にお力添えを求めたところ、快く応じてくださり、みごとに復元された(参照:説明板)。

開山堂

開山堂の写真

「奥の院」の看板には、開山禅師が中央の禅定台で「座禅をして涅槃にいられた。そのまま台下にまつられているという」と書かれていた。涅槃という言葉が難しいのだけれど、調べると悟りを開くこと、とある。ただし、亡くなる意味でもあるので、開山禅師さまはここでお亡くなりになって、埋葬されているということだろう。左右にも墓があって、歴代住職のものだという。中を覗くと台の上に供養塔が見え、花が手向けられていた。

澄心池

澄心池の写真

本堂の後方にある池。ご覧のように緑豊かな初秋に赴いたのだが、季節はずれの菖蒲が咲いていた。

ミル

ひとりぼっちの菖蒲さん画像は「写真館」に入れたよ。今回ほとんどの写真をこっちで紹介してしまっているけども。

禅昌寺写真集

アクセス

山口駅から防府行きバスに乗り、「禅昌寺前」バス停で降ります。

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