車塚妙見社(天御中主神社)&車塚古墳

車塚妙見社 (3)

車塚妙見社(天御中主神社)・基本情報

住所 〒747-0811 防府市車塚町5
電話 0835-22-0796(妙見神社宮司さん宅)
最寄り駅 防府駅から徒歩10分

車塚妙見社(天御中主神社)・歴史

天御中主神社
推古天皇24年(625)創建とされる。
永禄四年(1561)三月五日付で、毛利元就が大祭に神社料を奉献したとの書状が納められており、信仰されていたことが分かる。
御祭神:天御中主大神、大国主命、宇迦能魂大神、猿田彦命
境内に前方後円の古墳、与三郎稲荷がある。
(説明看板より抜粋)
車塚古墳
防府市指定史跡
妙見社は、大内氏創建の多々良宮に由来する神社と考えられており、近年の発掘調査では、古墳以来の信仰の場所であったことが明らかになりつつある。
昔の車の形に似ていることから「車塚」と呼ばれる。
神社の社殿を建設した際に、古墳の一部が削られと思われ、築造当初は60メートルほどの規模であったと考えられる。
後円部と前方部のそれぞれに横穴式石室があり、その構造から四国や九州との関係が指摘されている。
佐波川流域では現存する最も大きな前方後円墳で、規模や構造などから、下流域を統率した首長の墓であると考えられる。
(説明看板より抜粋)

大内義弘が応永の乱で敗死したのち、弟の盛見と弘茂との間で家督相続の争いが起こった。盛見はこの内訌に勝利し、幕府からも家督を承認されたものの、相続争い
は家中の分裂を招き、領国支配の安定が望まれた。
大内氏では代替わりのたびにこうした内訌が起こるのが常だったので、当主となった者は、一門、家臣らを一つにまとめ、自らの正統性をアピールをする必要に迫られていた。
いわゆる先祖伝説はそのような歴史的背景の中で、意図的に創作され整備されていったものだというのが、研究者の見解。
大内盛見は先祖伝説の中に、「琳聖太子」という人物を書き加えた最初の当主とされ、仏教の信仰篤かった盛見が、琳聖と聖徳太子、それに妙見菩薩という三つの要素を組み込んだ先祖伝説の原型を完成させた。
そのような工作の一つとして、盛見は防府にあった古代の古墳を整備し、「多々良宮」という社をつくり、琳聖、聖徳太子、妙見菩薩をその祭神とした。周囲を削って堀を作り、松の木を植えるなど、かなり大掛かりな作業だったとされる。
琳聖が先祖である以上、それにまつわるこの古墳は、一族の先祖の墳墓として神聖なものとなったのである。
この古墳には、琳聖の車を納めたという伝説があったため、のちに「車塚古墳」と呼ばれるようになった。
(参照:『大内氏の文化を探る』)

車塚妙見社(天御中主神社)・みどころ

拝殿

「天御中主神社」

力石


妙見社は相撲がさかんな神社であり、昔から若者たちが、この石を持ち上げて力比べをした、とある。

与三郎稲荷

車塚古墳


古墳は崩壊寸前なので、観察時は要注意。
車塚妙見社写真集