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凌雲寺跡(山口市)

2020年11月2日

入り口の写真

凌雲寺・基本情報

所在地 〒753-0811 山口市吉敷中尾(西の浴)
最寄り駅 湯田温泉駅から車で15分

凌雲寺・歴史

「大内氏遺跡・凌雲寺跡」とは

名称は「史跡 大内氏遺跡 附凌雲寺跡」。ほかにも、大内氏館跡や築山館跡、高嶺城跡などに、写真のような棒状の案内版がついている。

大内氏遺跡看板の写真

市街の北西、吉敷川上流の山間部にある、大内義興の菩提寺・凌雲寺の跡地。最も興隆していた時期の当主ゆえ、その菩提寺の規模や荘厳さも群を抜いていたと想像される。寺院は大内氏の滅亡とともに衰頽、やがて廃絶してしまった。跡地は、農業用地などとして使われていたらしい。現在は史跡として保護されている。
地道な発掘調査が続けられているが、その全貌が明らかとなるまでには、まだまだ時間がかかることだろう。自治体による手厚い保存事業の推進により、今後の成果が大いに期待される。

説明板の写真

案内版(地図)の写真

史跡説明看板にある、跡地の全体図。復元済の「惣門跡」の場所が記されている。凌雲寺の敷地が非常に広大であったことが分かる。
現状、明らかになっているのは、説明看板にある通り。

凌雲寺は、大内氏三十代義興を開基、了庵桂悟を開山として、永正4年(1507)頃この地に創建されたと伝えられています。廃寺の年月は不明ですが、おそらく大内氏滅亡の後、いつの時代にか廃されたものと思われます。 寺は舌状をなして南に延びる台地上に営まれたもので、注目すべきは大地の南端を東西に横切る長い石垣です。これはこの寺の惣門の遺構と伝えられ、長さ約六十メートル、高さ三メート余りで、幅は二メートル余りあります。 巨岩をもって築かれた豪壮な石垣であり、寺の位置、地形等から考え、有事に備えての城塞の役を兼ねたものかと思われます。 指定区域内には凌雲寺開山塔、大内義興及びその婦人の墓と称する石塔三基が残っています。
(説明看板)

「大内氏遺跡・凌雲寺跡」としてのこの地は、「三つの要素が複合した状態で形成」されている。
つまり、
一、もともとの自然地形
一、凌雲寺を建設するにあたり改変されたであろう地形(その後寺が存在していた時の姿を含むだろう)
一、寺がなくなったことにより改変された地形

寺がなくなってからも数百年。すべては発掘調査によってひとつひとつ明らかにしていくほかない。
発見された遺構、遺物は16世紀初め~中頃で、大内義興、義隆期にあたることから、大内氏の滅亡とだいたい時を同じくして寺院も廃絶したものと考えられている。
惣門跡として復元されている以外にも、当時の石垣は見つかっている。
そのほか、瓦なども見つかっていることから、建造物の存在が確認できる。

発掘調査中

発掘調査の写真

大内氏滅亡後、凌雲寺跡地には棚田が築かれ、耕作されていた。
現在も、棚田期の石垣が残っており、これらを寺院の一部と誤解するケースがあるが、最近のものなので要注意。

現在、遺跡一帯はすべて公有化されたが、なおも利用されている水路があり、水の流れによって遺跡の石垣に影響を与えることが懸念されている。

於児丸

これって水路? それとも谷川?

水流の写真

凌雲寺・みどころ

凌雲寺期の石垣
積石遺構
石塔(伝大内義興墓、開山塔、伝夫人墓)

伝大内義興墓

大内義興墓の写真

石塔はほかにも二つあって、夫人の墓と開山供養塔だと伝えられる。どちらが夫人のものなのかはわからない。

夫人の墓もしくは開山塔

惣門跡

石垣

惣門跡と考えられている石垣。発掘調査の成果によって復元されたもの。

大内義興卿顕彰碑・「400年祭記念碑」

顕彰碑

謎の祠

老朽化し倒壊寸前。とても危険なので、遺跡保存事業でも懸案事項となっているようだ。
いったい、なんの祠で、遺跡とどのようなかかわりがあるのかは公表されていなかった。位置(顕彰碑裏手)的にみて、なんらかの関連がありそうではある。

新介

参考までに、明治時代の有名な先生が書かれた一文。

『大内家実録』には凌雲寺について、だいたいつぎのようなことが書かれていた。

創建及び廃頽の年月は不明。地元の言い伝えによれば、天文十七(1548)年焼失。あるいは、天文二十(1551)年八月二十八日の夜、義隆が法泉寺より本寺に逃れてきた際、寺の僧侶は山門を閉ざして寺内に入れなかった。ゆえに、「天火の災ありて」焼失したという説もある。これらの言い伝えがいずれも間違っていることは、故・高橋右文氏がお書きになったものの中に詳しく論じられている。
旧跡に壊れ残っている石垣が二ヵ所あり、外の方は高さ九尺、幅六尺あまりで、山門の跡。残された石垣からややのぼって石をくみあつめたものが、御子様方の墓、或は火屋の跡だという。この場所から左に行った所に五輪墓が三つあり、一つは義興、一つは北の方、一つは開山のものだと伝えられる。その下に谷川があり、鬼が原という。
寺跡よりおよそ三町ほど東方の山腰に荒神社があり、本寺の鎮守社。また西北の山麓に小堂があり、弥勒が安置されており、この弥勒が凌雲寺の本尊であるといわれる。弥勒の側に開山の木像と位牌がある。また鎮守の神名を彫った位牌があって、凌雲寺が廃れた後、仮にここに移し置いたそうだ。

凌雲寺写真集

アクセス

最寄り駅から「車で」15分なので、歩いて行くのは無理かも知れません。最寄り駅は湯田温泉駅となりますが、バスなどの公共交通機関で近くまで行くことはできないので、マイカー、レンタカーです。徒歩の方はここはタクシー利用。発掘調査の方々なども来訪されるため、駐車場は完備されています。思い入れが強く、ひたすらその場の空気に触れていたいなどの理由がなければ、遺構はお墓と惣門跡だけですので、30分もかからずすべて見ることができます(かなり余裕をもった時間配分にしています)

参照:凌雲寺文化財説明看板、山口市教育委員会「史跡大内氏遺跡保存活用計画」2019年 PDF、近藤清石先生『大内家実録』マツノ書店

マムシに注意!

初秋の頃、ここら辺はマムシ出没地帯らしくて、ガイドさんにご案内をお願いすることができませんでした。個人で気軽に歩いて行かれる距離ではないため、何らかのかたちで地元の方々に助けていただくことになるはずです。なので、危険な時期にそうとは知らず入ることはまずないと思われます。でも、一人旅で平然と向かうつもりの人は、事前に観光協会さんなどに必ず問い合わせをしてください。

ミル

ミルたちが再調査をして、於児丸たちの適当な記事を改編する予定だった。専門家のご教授をお願いしたいと思っていたのだけど、マムシのせいで入ることができなかったよ。

五郎

タクシーの運転手さんに教えてもらったんだけど、秋の頃は子ども連れだから警戒心が強くて、とても危険なんだってさ。マムシごときに行く手を阻まれるなんて、ガッカリ。

なお、これもガイドさんから教えていただいたのですが、町歩き中に日が暮れても特に問題はないですが、凌雲寺跡で日が暮れてしまったら、かなりたいへんなことになりそうです……。

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