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住吉神社・長門国一之宮

2020年10月8日

鳥居の写真

住吉神社・基本情報

住所 〒751-0805 下関市一の宮住吉1-11-1
最寄り駅 一の宮バス停から徒歩5分
祭神 主祭神:住吉大神(表筒男命・中筒男命・底筒男命)の荒魂、配祀神:応神天皇、武内宿禰命、神功皇后、建御名方命
主な祭典 御斎祭(例祭、十二月八日~十五日)、和布刈祭(旧元旦)、お田植祭(五月第三日曜日)、秋祭(秋分の日)
社殿 本殿 、唐門、拝殿、儀式殿(入母屋造・銅板葺)
境内神社 恵比須社、田尻社、七社、検非違使社(火須勢理命)、采女社(大宮司家祖神)、厳島社(市杵島姫命)、稲荷社、打下社(伊弉諾命外六柱)、高元社、若宮社
主な建造物 鳥居、燈籠、狛犬、楼門、廻廊、手水舎、社務所、宝物館、収蔵庫、神庫
拝観料その他 宝物館:大人300円、小人150円
社宝 国指定文化財:住吉社法楽百首和歌短冊(明応四年)、金銅牡丹唐草透唐鞍 (朝鮮鐘)
県指定文化財:住吉神社文書(住吉神社文書・117点、大内政弘奥書写本・七冊、回、檪木家旧蔵文書179点、板絵着色繋馬図(絵馬二面・雲溪筆)、予譲裂衣図(絵馬一面・狩野芳崖筆)、住吉神社社叢
市指定文化財:萌葱絲縅肩白胴丸(江戸初期)

住吉神社・歴史

これほど大規模な由緒ある神社であるにもかかわらず、大切なご由緒看板を確認する作業を怠ってしまった。残念だが、山口県神社庁の『山口県神社誌』だけをたよりに調べた(なお、当然ながら、神社庁さまの由緒解説と神社の由緒看板は内容はまったく同じである)。

住吉神社は平安時代の「延喜式」に記載がある格式高い神社であり、長門国一宮となっている。

数多くある、仲哀天皇神・神功皇后ゆかりの神社の一つではあるけれど、主祭神は住吉大神で、仲哀天皇神・神功皇后は配祀神となっている。この神社を「創祀」したは神功皇后であるといわれている。神話の内容は難しくてよくわからないので、ご本の内容をそのまま引用します。

仲哀天皇の崩御は、天皇が住吉の神を信じられなかった為めであり、天皇の后であった神功皇后三韓出兵は神の教えに従われた結果であった。「我和魂は王身服いて寿命を守り、荒魂は先鋒となりて師船を導かん」との教を守り、皇后は軍を進められた。御神助の下、目的を達成して凱旋の時、 再び神から「吾荒魂を穴門の山田村に祀れ」との神誨 をうけられた。そこで、神恩奉謝のために、此の地に祠を立てて三神の荒魂を祀られた。この時、穴門直で祖である践立を神主として奉仕させられた。これが当社の起源である。
『山口県神社誌』

住吉神社は大阪の住吉大社を総本社とし、全国に2000社ほどある。神功皇后の三韓征伐ゆかりの神社であり、底筒男命、中筒男命、表筒男命の住吉三伸を祭神としていることが共通。

下関は九州に近く、朝鮮半島、大陸への本州側の玄関口というロケーション。ゆえに、仲哀天皇と神功皇后は長門の地に滞在し、そこを九州遠征の拠点とした。天皇ご夫妻、ことに三韓遠征から凱旋した神功皇后の帰途にある、ということから、たいへんにゆかりの深い神社とされている。大阪の総本社、福岡の住吉神社とならんで、特に三大住吉と呼ばれる所以である。

長門国総鎮守として重要視されてきた住吉神社は当然、同国を支配する為政者にとっても重んじられるべき対象であった。海の神であり、航海の安全などを祈願する神でもあり、瀬戸内の要衝にあたる赤間関に鎮座することからも、広く人々の信仰を集めた。大内氏、その後の毛利氏歴代当主にも手厚く保護されてきた。

南北朝時代の十四世紀後半、惣領の座を巡り争って来た鷲頭家、長門を支配していた厚東氏との争いに勝ち、大内弘世が防長の地の支配者となった。正平十二年(1357)、住吉社に「凶徒退治願文」を奉納しており、この時既に、長門国瀬戸内沿海部を掌中に収めていたとされる。やがて正式に長門国守護となった弘世は、応安三年(1370年)に一宮遷宮を行い、1378年には楼門を再建している。

大内政弘の後援で「新撰菟玖波集」を編纂した宗祇は、「長門一宮住吉神社御法楽和歌」を奉納しているし、後伏見天皇の宸筆と伝えられる「玉津島明神・住吉大明神・天満大自在天神の和歌三神号」一幅が社蔵されているなど、住吉神社は和歌や連歌との関連も深い。

住吉神社・みどころ

拝殿、本殿が重要文化財である。本殿は弘世の時代から続くもので、国宝に指定されている。拝殿は毛利元就の創建になるもの。※本殿は国宝である。

楼門

楼門の写真

明治時代(1901年)に建立されたもの。三間一戸楼門、入母屋造檜皮葺。登録有形文化財(建造物)。

随身像の写真

随身像。左右に配置されている。

拝殿

拝殿の写真

国指定文化財。天文八年(1539)、毛利元就の奉建という。桁行三間、梁間一間、一重、切妻造妻入、檜皮葺。「舞殿風の簡素な桧皮葺の建物で、切破風及び懸魚等に見るべきものがある」(『山口県神社誌』)。天文八年という年代に注意して欲しい。この時、長門国の支配者はまだ大内氏で、毛利元就はまだ、安芸の国人としての身分である。

本殿

本殿の写真

国指定国宝。応安三年(1370)、大内弘世が寄進したものである。長い歴史の中で、多くの修繕を繰り返されたものの、なおも創建当時の姿を留めているとして、高く評価されている。この写真だとわかりにくいのだが、屋根のように見えている部分(写真だと二つ見える)が五つ連なっている。構造をご紹介するために、神社の案内看板を載せると、つぎのような感じです。

説明看板の写真つまり、本殿は五つに仕切られていて、横に長い建物です。建築学的にどうなっているのか専門的なことは理解できませんが、一つ一つのお部屋みたいに見えるところは「玉殿」といいまして、御神体はここに安定されているそうです。本殿とともに、この玉殿も国宝です。

建築用語がわからないまままとめると、特徴は以下のようになります。

住吉神社「国宝」本殿

九間社流造、正面五ヶ所に千鳥破風附桧皮葺で、玉殿が五基附属。玉殿はそれぞれ一間の入母屋造で妻入桧皮葺。本殿は五座に仕切られ、相(合)の間で接続している。「流造り」と「春日造り」を折衷した建築様式だが、正面から眺めると、春日造りを並べたように見える。(参照:『山口県神社誌』)

境内神社

境内神社鳥居の写真

大きな神社ゆえ、境内神社の数も多い。時間の関係で境内をぐるっと回ることができなかったため、半数は見落としている。参拝できたほうのエリアでは、境内神社がコンパクトにまとめられていた。コチラの鳥居には「蛭子神」と書かれている。背後に社が見えているが、ここ一ヶ所に五つの境内神社が鎮座している。

向かって左の社が高元社。右の社は三つに仕切られていて、恵比須社、田尻社、若宮社、七社が鎮座(順不同。どれか二社は一区画の中に一緒に並んでいる。写真が不鮮明でいずれがどこかはわからない)。なので、この鳥居エリアだけで、なんと十三柱もの神様にお参りできてしまう。

高元社(須佐之男命)、恵比須社(事代主神、蛭子神)、田尻社(山田大宮司家祖神)、若宮社(穴門直祖践立命、大歳神)、七社(伊勢・八幡・加茂・春日・松尾・平野・稲荷の大社)

稲荷神社

稲荷神社の写真

天保十年(1839)に伏見稲荷大社より勧請され、昭和六年(1931)に住吉神社境内に移築されてきた。祭神は宇迦逎御魂、猿田彦命、大宮乃売命。

住吉神社写真集

ミル

ミルの山口廻り出発点はココ。何一つわからなかったから、ほとんど何も見ないで終わってしまった。今から思うとあれもこれも、すごい神社だったのに。もう一度行きたいな。

アクセス

下関駅からタクシーを使いました。バスを使えば、その名も「一の宮」という停留所があり、徒歩五分です。

参照文献:山口県神社庁様『山口県神社誌』

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