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山口懸護國神社(山口市平野)

護国神社(山口県)・境内

山口県山口市平野の護国神社とは?

各都道府県にある護国神社の山口県のもの。正式には山口懸護國神社と旧字体で書かれています。護国神社は、元々招魂社とよばれており、各地にありました。その時は明治維新とその後の外国との戦争などで犠牲になった方々をお祀りする場所でした。

その後、名前を護国神社と改め、各府県の名前を冠するようになりました。つまり、山口県護国神社には、県内ゆかりの維新と戦争の犠牲者がお祀りされているということになります。戦後は占領軍統治下で名前を変えられるなどの時代もありましたが、現在は護国神社として定着しています。

維新県山口の護国神社にはもちろん、吉田松陰、高杉晋作といった維新の英雄も祀られています。また、第二次世界大戦の犠牲者、戦後は殉職自衛官の方々なども祭神となっております。

山口県護国神社・基本情報

ご鎮座地 〒753-0015 山口市平野2丁目2−1
御祭神 主祭神:福島男也命ほか県内殉国の五万二一二八柱(令和元年現在)
社殿 本殿、拝殿、祝詞殿、 神饌殿、祭器庫
主な建物 権殿、社務所、いさお殿、手水舎、大灯籠、大鳥居、慰霊碑、社号標ほか
主な祭典 例祭、祈念祭、新嘗祭、献灯みたままつり
ホームページ http://yamaguchi-gokoku.jp/
(参照:神社さまホームページ、『山口県神社誌』)

山口県護国神社・歴史

そもそも護国神社とは?

護国神社は全国にたくさんあります。そんなことを言えば、日吉神社だって、厳島神社だって同じくたくさんございますが。ただし、それらはお祀りされている神さまが同一。それゆえに神社の名前も同一だったりしますよね。その意味では、護国神社はちょっとだけ、普通の神社とは違うところがあると言えます。

『日本史広事典』に護国神社について載っておりましたので、下手な説明はやめて権威の解説を拝読いたしましょう。

護国神社
招魂社の後身で、国に殉じた者や戦死者を合祀した神社。一九三九年(昭和一四)に招魂社が護国神社と改称され、府県単位の指定護国神社と指定外護国神社の二種類となった。指定護国神社は府県内一円を崇敬範囲とし、それぞれの府県名を社名にいれた。指定外護国神社は一般神社の村社に相当し、合祀できるのはその神社のそれまでの崇敬範囲のものとされた。第二次大戦後は神社本庁に属して宗教法人となった。
出典:山川出版社『日本史広事典』

ここで、またしても疑問が。だったら、護国神社の前身だという招魂社って何なんですか? と。これまた詳細な解説が『日本史広事典』に載っております。

招魂社
幕末・維新期の国事殉難者とその後の戦没者を祭った神社。護国神社の旧称。維新のために殉死した死者を慰霊する目的で一八六四~六七年(元治元~慶応三)に設けられた招魂墳墓・招魂場に由来する。六八年(明治元)に太政官布告で国事のために死んだ藩士や一般人と戊辰戦争の死者を祭る祠が京都東山につくられ、この頃から諸藩にも招魂場が設けられるようになった。六九年に東京九段に招魂社をつくり、鳥羽・伏見の戦から箱館戦争の戦死者を加えて社領を一万石とし、七二年に社殿が竣工した。七九年に東京招魂社は靖国神社と改称して別格官幣社に列した。地方の招魂社は一九三九年(昭和一四)にそれぞれ地名を冠して護国神社と改称した。
出典:山川出版社『日本史広事典』

まとめるとこんな感じです。

護国神社とは?

  1. 幕末・維新期に殉死した方々、戦死者の方々を祀る神社
  2. その前身は招魂社と呼ばれ、全国にあった
  3. 現在はそれぞれの府県の名前をつけて「○○県護国神社」のように呼ばれている

護国神社は全国にあり、その中の山口県の護国神社がこの、山口県護国神社さまであるということが上掲の引用からお分かりになったかと思います。「指定」と「指定外」って具体的に? などあれこれと疑問は湧くと思いますが、それぞれでお調べください(引用は『府県』となっており、『都道府県』ではないことが謎ですが、調べてません。すべての都道府県にあるのかも不明です。フリー百科事典をチラ見していたら詳しく載っておりましたので、ご参照くださいませ)。ここではあくまでも、山口県護国神社さまをご紹介しているにすぎません。

山口県護国神社の歴史

山口県護国神社さまには、公式ホームページがございます。また、『山口県神社誌』にも詳細が記載されております。ですので、ホームページを見ていただくのが、もっとも最新かつ正確です。だったら、こんなページ必要ないではないのか、ということになってしまいますが。自らが足を運んだすべての神社さまについてその記録を残しておきたいという思いからやっております。どう頑張っても公式さまに叶うはずはないですので、文字を読むのが面倒な方々のために、年表にしました。

明治三十六年(1903) 防長靖献会設立――現在地南の桜畠練兵場で招魂祭を行なう(毎年)
昭和十三年(1938) 招魂社制度整備により、招魂社の建立に着手
昭和十六年(1941) 招魂社竣工。内務大臣から山口県護国神社の指定を受ける。靖国神社に祀られていた県内出身の御霊七一五八柱を奉斎。その後亡くなった県内の殉国者を合祀
昭和二十二年(1947) 占領軍の圧力により、社名を御霊神社と改称
昭和二十七年(1952) 講和条約成立により、社名が山口県護国神社に戻る
(参照:『山口県神社誌』)

なお、現在も、殉職自衛官の方々が合祀されたりしているため、御祭神の数は増えています。

県内には、桜山神社のところにあった桜山招魂社を含め多くの招魂社が建立され、合計なんと二十二社あるそうです。うち、一社は合祀されましたが、残りは現在もそれぞれの場所に残され、祭祀が続けられているそうです。(参照:ホームページ)

山口県護国神社・みどころ

広くて立派な神社さまです。とても閑静で厳かな雰囲気です。

大鳥居

護国神社・大鳥居

とても立派です。そして、この鳥居の柱には以下のような署名が……。

護国神社・大鳥居(2)

旧藩主のお身内の方でしょうか。ガイドさんとタクシーの運転手さんがあれこれお話しておられましたが、忘れてしまいました。

拝殿

護国神社・拝殿

拝殿はとても厳かで立派でした。

拓魂碑

護国神社・拓魂碑

社務所と集衆殿

護国神社・社務所と集衆殿

「ああ特攻」

護国神社・受付と集衆館

山口県護国神社(山口市平野)の所在地・行き方について

ご鎮座地 & MAP 

ご鎮座地 〒753-0015 山口市平野2丁目2−1

アクセス

地図を見る限り、宮野の駅からほど近いという印象です。

参考文献:『日本史広事典』、『山口県神社誌』、山口県護国神社さま HP

山口県護国神社(山口市平野)について:まとめ & 感想

山口県護国神社(山口市平野)・まとめ

  1. 明治維新やその後の戦争などで命を落とした人々をお祀りした神社を護国神社といい、各都道府県にある
  2. 元は招魂社と呼ばれていたものを、のちに護国神社と改称し、名前の前に府県名を付けた
  3. 東京都にある護国神社は靖国神社である
  4. 第二次世界大戦後は殉職自衛官の方々なども合祀されている

正直なところ、他県の者にとっては無関係な神社さまとなります。なぜかなら、お祀りされているのは山口県ゆかりの方々であるためです。明治維新、その後の戦争などで命を落とした先祖をお持ちの方々は全国に大量におられるはずです。身内に確認したことはないものの、いた可能性もあります。何しろ、第二次世界大戦すら、すでに遠い過去のものとなりつつあるからです。明治維新にいたってはさらにでしょう。もしも、そのような身内の方々がおられた場合、お参りすべきはその方がお祀りされている護国神社となるはずです。先祖代々同じ土地に住んでいないとすれば、現住所とは違う場所にある可能性も。

そのように考えると、山口県護国神社にお参りする意味はないということになってしまいます。しかしです。ご存じの通り、山口県は維新県ですので、明治維新で活躍した方々もお祀りされています。つまり、一般の戦争犠牲者ではなく、それらの維新の英雄にお参りしたいという意味では、どなたでもお参り可能です。さらには、国のために犠牲になった方々に敬意を払っておられるのであれば、それが何県の方であれ、関係はないでしょう。

東京の護国神社について、あれこれと政治関連のニュースになって煩わしいので、巻き込まれることを避けるため、さらりと終了させていただきます。自らの文字ではなく、事典の引用ですませた理由もそこにあります。個人的な意見を書くことは控えます。お参りした時、拝殿に深々と礼を捧げる紳士がおられたのが、非常に印象に残っております。

こんな方におすすめ

  • 国のために命を捧げた親族がおられる県内の方
  • 明治維新のために殉死した方々に敬意を抱いている方

オススメ度


(オススメ度の基準についてはコチラをご覧くださいませ)

五郎涙イメージ画像
五郎

国のために命を捧げたってすごいことだよね。なんでそれが政治的問題とやらになるの?

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ミル

あああ、だからさ、個人的意見はここには書かないでね。上のは現代の政治のあれこれがわからない中世の童の意見です。サイトを代表しているわけではございません。

五郎涙イメージ画像
五郎

現代政治って難しすぎるね……。

ミル涙イメージ画像
ミル

今更だけど、分ってくれて嬉しいよ。

瑠璃光寺五重塔記念撮影
五郎とミルの防芸旅日記

大内氏を紹介するサイト「周防山口館」で一番の人気キャラ(本人談)五郎とその世話係・ミルが、山口市内と広島県の大内氏ゆかりの場所を回った旅日記集大成。要するに、それぞれの関連記事へのリンク集、つまりは目次ページです。

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藩政期・明治維新・現代の観光資源

大内氏について語るというメインテーマとは外れる県内の主要観光資源についてご紹介している記事の目次ページです。当然のことながら、毛利氏に関するところが多いので、広島県内の訪問済み箇所も混じっています。

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ミル@周防山口館

大内氏を愛してやまないミルが、ゆかりの地と当主さまたちの魅力をお届けします

【取得資格】
全国通訳案内士、旅行業務取扱管理者
ともに観光庁が認定する国家試験で以下を証明
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2.旅行業を営むのに必要な法律、約款、観光地理の知識や実務能力

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