三田尻(防府市)

港

三田尻・基本情報

御船蔵

住所 〒747-0814 防府市三田尻3-3−13
最寄り駅 自力東町バス停下車徒歩10分

御茶屋

住所 〒747-0819 防府市お茶屋町10−21
電話 0835-23-7276
最寄り駅 三田尻病院前バス停下車
営業時間 9:30~16:30
休館日 12月29日~1月3日、月曜定休(祝日の場合は翌日)
入館料 高校生以上310円(団体250円)、小中学生150円(団体120円)
※団体=20名以上

三田尻・歴史

江戸時代、毛利家は「防長三関」と呼ばれた海の要衝、上関、中関、下関に番所を置いて重要拠点としていた。ことに三田尻は古くから天然の良港として栄えていた場所だったので、水軍の本拠地とされた。
御舟蔵が作られ、参勤交代のスタート地点となったことからもそれが分かる。

徳山港のところで見たように、毛利家は米・塩・紙の三つの産業を奨励していた(『三白』。蝋も加えて『四白』)。新田開発、塩田開発が進められると同時に、生産された物資を運ぶための港も整備される。
三田尻もそのようにして整備された港の一つだった。そして、その役割は現代にも引き継がれ、「三田尻中関港」として重要港湾に指定されている。

三田尻・みどころ

御茶屋、御船倉跡、塩田跡などの毛利家時代の史跡が残る。

御船蔵跡

御舟倉というのは、「毛利水軍の根拠地」。やや詳しくすると「毛利水軍御船手組の根拠地」とのことで、つまりは毛利家ご当主様の船を入れておくところといった感じか。造船や修理のための施設も置かれていたらしい。
慶長16年(1611)、元々の御舟倉が下松からここに移った。

萩往還

参勤交代の時に通る道として開かれたルートを「萩往還」と言って、萩から三田尻までを結んでいたという。江戸まではまだまだ遠いが、萩往還のゴールはここということに。ここから乗船して海路東を目指したのだろう。
江戸時代半ばからは陸路を使うようになったというから、御座船もお役御免になったんだろうか。
しかし、のちに高杉晋作が決起した際、この場所から軍艦を奪ったという。海路を使わなくなっても御舟倉の整備は怠りなく続いていたわけである。
もっとも、この時には、「御船倉」は「海軍局」と名前が変わっていた。軍艦というからには、西洋式のすごい船だったんだろう(根拠なし)。意外なところに維新の足跡が残っている。

この「萩往還」のプレートはほかの場所にもあるので、実際にお殿様になった気分で、同じ道を歩きながらフルコンプを目指しても楽しいかも。

御茶屋

正式名称が目茶苦茶長い。
⇒「英雲荘(国指定史跡萩往還関連遺跡三田尻御茶屋)」
承応3年(1654)、毛利綱広建設の藩公館。
毛利重就が隠居所としたことから、その法名より英雲荘となった。

平成8年~23年の保存修理工事により、明治・大正期の建築様式に整備された。

リニューアル前公開日: 2021年2月14日 15:17

御舟蔵跡

御茶屋構内