神社マニュアル04:神社の「格式」

ミルちびキャラ

神社の格式 もちっと詳しく

出家してお坊さんになるためには国の許可が必要だった。神職に就くためにも同様に、様々なしきたり、法律があった。

延喜式

神社のマニュアル本に、「延喜式」とかあるけど何?
「延喜式」とは……10世紀初め、醍醐天皇の時、藤原時平がつくった50巻の書物(?)。延喜は醍醐天皇時代、901~923年の年号。「式」は律令の施行細則。つまり、延喜年間に書かれた律令の施行細則のことです。
じゃ、律令ってのは何?
そうなると思い、律令制のいろはまで遡ります。

大化の改新後、天皇を中心とする統一国家づくりが進められました。その基礎となったのが「律令」です。

唐の制度をマネて作られましたが、あれもこれも取り入れたわけではなく、適宜改変されてました。

律は……刑罰のルール(イマドキの刑法、刑事訴訟法)
令は……官制、税制、田制、兵制、学制とかのルール(イマドキの行政法、民法)

なお、イマドキの法律も作るのはたいへん。さらに成立した後も、改正されますね? 改正○○法みたいに。

律令も制定事業が延々と続き、編纂しては施行を繰り返しました。

近江令⇒飛鳥浄御原令⇒大宝律令

大宝律令でいちおう律令制定事業は完成したようです。

大宝律令に修正を加えたものが、養老律令。

じつは、大宝律令以前の律令は現存しません。養老令の注釈書から、養老律令のだいたいの内容が伝わり、ちょこっと修正しただけだと思われることから大宝律令もこんな感じだろう、と分るわけです。

ここでやっと「式」の説明に入れます。

律令には補足修正された「格」、施行細則をにあたる「式」というものがあります。

いずれも、どんどん増えてしまったので、分類整理しなくてはならなくなりました。
格式分類整理事業もなんどか行われ、編集実施された年代をとって、

弘仁格・弘仁式(まとめて弘仁格式)⇒貞観格式⇒延喜格式

まとめて「三代格式」と呼びます。

於児丸吹き出し
覚えなくていいよ~

三代格は現存しないけど、弘仁式と貞観式の集大成みたいな延喜式は現存。

以上、安藤達朗先生著『いっきに学び直す日本史』第2章:2.律令国家の成立と展開東洋経済新報社(電子書籍もあり)より於児丸まとめでした。

ミル吹き出し怒り
こんなテキトーな説明で理解できたかどうか分らないけど、つぎに進むよ。

要は法律の細かいルールを整理した本である「延喜式」に、神社にかかわるあれこれの約束事も書かれている。

式内社と式外社

『延喜式』には、国の祭祀を司る神祇官という役所についての決まり事が全50巻中、10巻にも渡って書かれていた。うち、9巻と10巻が「神名帳(じんみょうちょう)」という神社のお名前一覧表。ここに名前が載っているか否か、は神社の格式を語る上で非常に重要だった。

「神名帳」に記載されている神社⇒「式内社」=「官社」
記載されていない神社⇒「式外社」

当然、格が高いのは「式内社」のほう。どこそこ神社縁起や由来看板にデカデカと式内社だったと書いてあるのは、うちは朝廷の名簿にもお名前載っています(した)~というアピール。

官弊社と国弊社

式内社はさらに、官弊大社、官弊小社、国弊大社、国弊小社に分類されてた。
むろん、これら4種類にも格式がある。

式内社=官社では、祭祀の時、神祇官が奉幣した。
※奉幣というのは、神様に幣帛(へいはく、神様への供え物)をささげること。

でも、都にいる神祇官が地方の神社とかわざわざ行くのメンドーってことで、代わりに国司に奉幣してもらうよってところもあった。というか、あらかじめ「延喜式」で、直接行くところ、国司が代わりにやるところを決めておいた。

神祇官が直接奉幣する⇒官弊社
国司が奉幣する⇒国弊社

さらに、それぞれを大小で分類したんだね。

二十二社

特に選ばれて特別待遇された二十二の神社。
マニュアル本だと、式内社内の中心的な神社が選ばれていると書かれているのだけど、地方神社庁の公式ページだと、石清水八幡宮は式外社だけど含まれている、となっている。

諸国「一の宮」

それぞれの国に、一の宮、二の宮、三の宮……という呼び名の神社がある。社格国内第一位が一の宮、第二位が二の宮……。

長門一の宮は住吉神社、二の宮は忌宮神社だったよね。
周防国のほうは、防府の玉祖神社(一の宮)、徳地の出雲神社(二の宮)、 宮野の仁壁神社(三の宮)、吉敷の赤田神社(四の宮)、大歳の朝田神社(五の宮)だよ~。

ちなみに……。この「(漢数字)の宮」は、長門のように二つしかないところも、周防のように五の宮まであるところも、場所によってそれぞれ。のみならず、どこが一の宮なのか(むろんそれ以下についても)意見が割れているところもある。
我こそは一の宮である、と主張している神社が二種類あったり、というわけ。

ミル吹き出し涙
周防二の宮については自信ない……

朝田神社さんの看板に書かれていたから正しいと思うんだけど、たいていホームページがあったり自治体サイト内に載っているのに、ここ見つけられなかったから……。

一から五までの順番付けだけど、その国で一番デカい(規模もさることながら、格式なども含めた意味で)ところから順番。イメージ的には国(現在だと都道府県にあたるけど)規模のデカさだと一、市町村規模だとそれ以下……と番号が大きくなるごとに、より身近な町内の神社みたいになっていく。

なお、国司が奉幣に回るときの順番がこれらの名前の由来とする説もあり。
道なりではなく、大きい順番に回っているのかもなので、その場合は上とまったく同じことだね。

総社

やがて参拝して回るのがメンドーになった国司は、国府の近くにまとめて祀り(合祀)、「総社」と呼んで一箇所ですませるようになる。

ミル吹き出し
これはなにも、怠け者の国司が手抜きしたわけじゃなくて、制度的にそうなったんだよ。

総社は諸国総社だけじゃなく、寺院の中の総社、有力氏族邸宅内の総社、国の下、郡や郷の総社もあった。

神仏習合の話・入り口

土着の神様たちと大陸から伝来した仏様たちとが習合した
習合:(宗教、哲学)異なる教義や学説が融合する
特に、中世では盛んだった。
やがて、明治時代に神仏分離、廃仏毀釈のようなことになり、現在は一般に、神社と寺院は別れている。
仏教が盛んになると、諸国の神社に「神宮寺」という付属寺院が造られるようになった。
伊勢神宮⇒大神宮寺
最初のうちはまだ、神が「主」仏が「従」だったが、やがて立場は逆転。
神社の祭祀をお坊さんが執り行うという謎なこともフツーになった。

僧形八幡神⇒お坊さんの姿をした八幡神の像
なにゆえ神様がお坊さんの格好をしているかといえば、「修行中」だから。
神様は仏教の修行中なんだ。
八幡神は、仏教と引っ付いて「八幡大菩薩」と呼ばれるようになるけど、神様でもあり、仏様でもあり。さらに、応神天皇まで習合したから、皇室の祖先神ナンバー2として、神道でも極めて重要な神様とされた。

神身離脱説⇒
本地垂迹説⇒仏=本地、神=垂迹(仏教優位)

神社と寺が共存?
何で一緒にあるのかちょっとだけ分った。

石清水八幡宮
二十二社制度で伊勢神宮に次ぐ地位。「二所宗廟」と呼ばれる朝廷の祭祀の場。
ところが、この神社を造ったのは大安寺の行教というお坊さんだった。宇佐で八幡神の託宣を受け、男山に勧請。石清水寺が「神宮寺」となったが、やがて護国寺と改名し、八幡宮と一体化。石清水四十八坊という僧坊が建ち並んでいた。

続く