忌宮神社・長門国二之宮は貴重な宝物殿

長門国二宮・忌宮神社

大内家歴代当主も
度々祈願に訪れていたところ長門国二宮 軍記物ではお決まり先ずはここに戦勝祈願 謎
いみのみやじんじゃと読む。
長門国二之宮として、古くから敬われてきた由緒ある神社。
特筆に値するのは、建物群そのものが見所であるだけではなく、数多くの資料が残されている点。
様々な歴史書に、当神社文書であったり、当神社所蔵であったりする史料が添付されていることからもお世話になっている研究者の方々が多数おられることが分かる。
文書以外にも、文物も含め、400点にもおよぶ貴重な資料が所蔵されているとか。
有料にはなるが、ここはぜひ、時間をかけて、じっくりと博物館にも足を運ぶべきである。一般人にはあまり意味がないかな?

拝殿


説明看板にあった由来を抜粋しておく。

忌宮神社は、第十四代仲哀天皇が九州の熊襲を平定のため御西下この地に皇居豊浦宮を興して七年間政治を行われた旧址で、天皇が筑紫の香稚で崩御せられたのち御神霊を鎮祭す。その後聖武天皇の御代に神功皇后を奉斎して忌宮と称し、さらに応神天皇をお祀りして豊明宮と称す三殿別立の古社(延喜式内社)であったが、中世における火災の際中殿忌宮に合祀して一段となり、忌宮をもって総称するようになった忌とは斎と同義語で、特に清浄にして神霊を奉斎する意味である。現在の社殿は明治十年の造営で、昭和五十六年に改修す。古来、文武の神として歴朝の尊崇武将の崇敬篤く、安産の神とし て庶民の信仰を受け、長門の国二ノ宮として広く親しまれている。 忌宮神社「由緒」・神社看板より

さか松


神功皇后様手ずからお植えになった松。

鬼石

荒熊稲荷神社

〒752-0967 山口県下関市長府宮の内町1−18