関連史跡案内

清水寺(山口市宮野下)

2020年10月8日

説明看板の写真

清水寺・基本情報

住所 〒753-0011 山口県山口市宮野下1127
電話 083ー924ー3380 ※
最寄り駅 山口駅から車で15分
山号・寺号・本尊 花瀧山・清水寺・千手観音菩薩
宗派 真言宗
※連絡先電話番号は「神福寺」

清水寺・歴史

大同元年(806)創建と伝えられている。史料として残る最初は、建久六年(1195)の国衙文書なので、鎌倉時代にはすでに存在していたことが明らか。元は天台宗。室町時代に改宗された。山口市内の寺院はその多くが、大内氏時代以降に建てられたものであることから、山口盆地最古の寺院とされる。

室町時代にはかなり痛んできたので、応永年間に大内盛見によって修繕、復興された。(以上、参照:説明看板)

現在、寺院は無住となっていて、山門入り口の所に、「清水寺 寺務所」として、神福寺の住所と電話番号が記載された看板が立っている。御朱印希望の人の受付先もこちらになる。

清水寺・みどころ

県指定文化財が三つもある。清水寺観音堂・清水寺山王社本殿・木造金剛力士像である。いずれも見ることができる。また、山口十境詩のひとつ、「清水晩鐘」が詠まれたところでもあり、詩碑が立っている。

山門

山門の写真

奥ゆかしく、高貴な佇まい。苔生した長い石段が背後に見えている。

木造金剛力士像

木造金剛力士像の写真木造金剛力士像の写真

説明看板によると、今から約六百年前の南北朝時代の作という。「山門に向かって右に口の開いた阿形、左側に吽形が安置され、ともに榧材の一木造り」である。それぞれ、昭和時代に解体修理が行なわれた。

「金剛力士像は、偉大な力をもつ金剛杵を手にし、左右にならんで門の入口を守る像で、上半身裸体で、頭髪は鬘を結び、金剛杵をふりあげた忿怒の相を示している」。

清水の晩鐘

清水の晩鐘詩碑の写真

「暮雲疎雨欲消魂 獨立西風半掩門 大内峰頭清水寺 鐘聲驚客幾黄昏(暮雲疎雨、魂消えんと欲す 独り西風に立てば、半ば門を掩ざす 大内峰頭、清水寺 鐘音、客を驚かす幾黄昏)」

鐘の写真

この鐘が十境詩が詠まれた大内氏時代のものであるならば、文化財指定を受けており、その旨解説があるはずである。何もないから違うと思われるが、かなり古そうには見える。

清水寺観音堂

観音堂の写真

明応二年(1493)、大内義興代創建と伝えられている。当時は禅宗様式の大伽藍であったと考えられているが、江戸時代に修繕が繰り返され、現在は規模も縮小された。それでも、残された細部に室町時代の様式を見ることができる貴重な建物である。(参照:説明看板)

ミル

看板にそう書いてあるから、そうなんだね、って思うけど、正直、室町時代の様式とかわからないよね……。

五郎

……(わからない)。

『山口市史 史料編 大内文化』を参照して補足すると、この観音堂は大同元年(806)、平城天皇によって建てられたものだが、大内盛見によって修築され、政弘代に天台宗から真言宗に改宗されたという。なので、大内義興が創建した、というよりも再建したのである。教育委員会の看板説明文と微妙に違うけれども、出典は寺伝なので、事実かどうかは分からないそうである。

清水寺山王社本殿

山王社覆屋の写真

本殿はこの中。ガラスが一枚外れているのは、中をご覧くださいという配慮なのだろうか? ちなみに、貴重な本殿を守っている外側の建物、「覆屋」(おおいや)というらしい。

山王社の写真

この山王社は大内弘世代に、清水寺の鎮守として建立されたといわれている。本殿内部にある木碑に応安七年(1374)と書かれていたため、創建年代が明らかとなった。現在の建物は、永禄年間に改築されたもの。昭和時代に解体修理を行なった時に、前述の「応安七年」と記した墨書が見付かり、創建年代がわかったのである。(参照:説明看板)

当山世代塔

当山世代塔の写真

歴代住持様方の供養塔。奥まったところにある。

庫裏

庫裏の写真

庫裏とは、お坊様方が生活なさる建物。唯一なにものかわからない建物がこれで、境内案内図には載っていたから、おそらくそうだろう。無住ゆえにか荒廃していた。

清水寺写真集

アクセス

歩いて行くには難しい場所にあります。山口駅から車で行きます。

参照文献:『山口市史 史料編 大内文化』

※この記事は 20220915 に加筆修正されました。

五重塔記念撮影の写真
五郎とミルの防長芸旅日記

山口市内と広島県の大内氏ゆかりの場所を回った旅日記。ついでに本拠地・周南の宣伝もしちゃう。

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