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出雲神社・周防国二之宮(山口市徳地)

2022年9月16日

拝殿の写真

出雲神社・基本情報

住所 〒747-0231 山口県山口市徳地堀 3572 番地
主祭神 大己貴命、事代主命
主な祭典 元旦祭、節分祭、春祭、大祓(六月三十日小晦日)、夏祭、秋祭、新嘗祭(十一月二十三日)、大祓(十二月三十一日大晦日)
社殿 本殿・寛延三年(1750)毛利宗廣再建、流造り、弊殿、拝殿、向拝
境内神社 宇佐八幡宮(応神天皇・神功皇后) 、若宮八幡宮 (誉田天皇・仁徳天皇)
社宝 神社側近の御物、大内義隆寄進状、毛利輝元禁制札、毛利宗廣社殿奉建棟札
最寄り駅 山口駅から 20㎞、防府駅から 16㎞、徳地インターから 4㎞

出雲神社・歴史

周防国二之宮。縁結び、開運、農耕、商工業、医薬などのご利益がある。

たいへん長い歴史を持っている神社。起源がとても古いということは確かだが、正確な史実はわからない。説明看板によれば、「大古出雲種族の佐波川流域への膨張発展に伴い、その祖神を鎮祭したものと考えられ」、 「鎮座は元正天皇の霊亀元年(715)と伝えられ」ている。

聖武天皇の天平九年(737) に、周防国二之宮として勅許を受けた。奈良時代の周防国正税帳には、 神戸・神田の奉納の記述が、また、平安時代初期の延喜式神名帳(927)には、周防国内十社の中に、出雲神社二座として記載がある。つまり、この時代には格式ある神社としてすでに存在し、朝廷や摂政藤原氏等に崇敬されていたことが確実である。

中世以降になると、大内氏や毛利氏等歴代の領主、藩主の祈願所として崇拝された。享禄二年(1529)、大内義隆が神馬を寄進。永禄十年(1567)には、毛利輝元が禁制札を掲げた。ほかにも、修築、祭祀、祈禱などに関する文書が多数残されており、藩政時代に手厚く保護を受けていたことがわかる。

権力者のみならず、徳地地方の総氏神として今に至るまで地元の人々に深く崇敬されている。(以上、参照:由緒説明看板、『山口県神社誌』)

出雲神社・みどころ

二つの天然記念物がある。
ツルマンリョウ自生地(出雲神社社叢、国指定天然記念物)、大杉 (御神木、市指定天然記念物)

拝殿

拝殿の写真

本殿は寛延三年(1750)、毛利宗廣によって再建されたものである。

若宮八幡宮

若宮八幡宮の写真

式内末社。ご祭神は誉田天皇と仁徳天皇。

宇佐八幡宮

宇佐八幡宮の写真

同じく式内末社。ご祭神は応神天皇と神功皇后。

末社はこのほかにも境外末社として二十数社があるという。

二の宮の大杉

二の宮大杉の写真

山口市指定の天然記念物。根元の周囲12.5メートル、高さは43メートルもあるという。とても古いが、幹の中に空洞はなく、今も元気に伸びている。出雲神社の御神木。(参照:説明看板)

出雲神社ツルマンリョウ自生地

ツルマンリョウ説明看板の写真

調べたところ、ツルマンリョウは絶滅危惧種だそう。ゆえに、生息地は非常に限られ、検索するとここ、出雲神社のツルマンリョウが必ずヒットする。国指定の天然記念物である。しかし、残念ながら、具体的にどれがツルマンリョウなのか、見付けられなかった。「社殿の西にある小高い丘の北側急斜面に数か所」「小群落」がある、ということなので、この説明看板周辺ではなく、丘の急斜面を探さねばならなかったものと思われる。

五郎

何やってるんだよ! 看板しか見ないで帰ってくるなんて。

ミル

ごめんなさい……。

参道

参道の写真

ガイドさんからのワンポイント

長く続く参道を見たら、かつてそこで流鏑馬神事のようなものが行なわれいた可能性を考えてみること。

近現代の町づくりで、昔からの参道は分断されたり、縮小されたりしてしまった可能性もありますが、それでも参道は様々な神事の際に使われていた(現在も使われている)はずです。ただ漫然と長いと思うだけではなく、ちょっとしたことに色々な気付きがあります。今後はもう少し意識して参拝するようにしなくては、ですね。

出雲神社写真集

アクセス

山口駅からタクシー利用。むろん、自家用車、レンタカー可。歩くことは難しいと思います。

参照文献:山口県神社庁様『山口県神社誌』、由緒案内看板、天然記念物案内看板

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