高嶺城跡

幻となった詰めの城 高嶺城跡

涙なくして登れない。
滅亡までのカウントダウン
後手後手になり過ぎた感が否めない築城
あれもこれも厳島から始まっている……。
そして、遡れば大寧寺。

毛利家の防長経略の際、大内側が山口の守護館の詰めの城として建築を急いだ。
傀儡当主の大内義長は結局、ここを棄てて逃亡。名門は滅亡の憂き目に遭った。

頂上を目指すには、車でショートカットすることもできるが、途中までしか行けない。
車で行ける最終地点に、看板と石碑があり、頂上にある看板と石碑と内容が全く同じ。そのため、通りすがりに「行って来た証拠」立て看板を集める分には、車だけで終了してもかまわない。ただし、看板の背後の景色は微妙に違うので、頂上で撮影していないことは分かる。
頂上まで行かないと拝めない絶景もあるため、できれば頂上を目指したいところ。
わずかに500メートルながら、道は険しく、石段も途切れている箇所があるため、登山の装備が必須。
徒歩で山頂を目指して上って来た人と違って、車で楽をして来た人の場合、軽装備であると思われるので、無理はしないほうがいい。

登山道入り口


リフレッシュロードとある通り、ゆっくり景色を楽しみながら一日かけて登っていくコース。普通に登山レベル。軽装では登れない。
通りすがりの観光客には向かない。
(できないことはないが、相当の強行軍となる)

史跡大内氏遺跡


山口市指定の「史跡大内氏遺跡」の一つとなっている。
山頂の看板もこれとまったく同じ。

近くて遠い道


しつこいようだが、観光客スタイルの人は、これ以上あがるのはあきらめたほうがいい。
革靴にひらひらスカート女子には絶対におススメ出来ない。
未知は険しく、途中石段が途切れている所もあるので、四つん這いになって恥をさらしたくない人はやめるべき。
なお、頂上には素晴らしいお宝があるので、途中であきらめるのもまた悲しい。
よって、ここを目指すためには、最初から登山装備でゆっくりと来るのがベスト。

山頂からの展望


かなり分かりづらいが、山頂からは、遥かに大内氏館跡と築山館跡を望むことができる。
ここが大内氏の詰めの城であったことがはっきりと分かるのである。
願わくは、もっと早く堅固な城を建て、さらに、国人風情に倒されるような末路を迎えないよう、きちんと富国強兵に励んで欲しかった。
(ちなみに、毛利元就さんがそこらの国人風情ではなかったことも悲劇の一因)
そう思うと、美しいが何やらもの悲しい山頂の風景であった。