高嶺城跡(山口市)

高嶺城・基本情報

住所 〒753-0091 山口市上宇野令
最寄り駅 山口駅から車で10分
形態 山城
遺構 郭、礎石、石垣、井戸、堀切、本丸跡
場所 鴻ノ峰頂上(山口市街北西、標高338m)
ルート・登山道 山口大神宮から
築城時期 弘治3年(1557)
利用者等 大内氏、毛利氏

高嶺城・歴史

史跡。大内氏遺跡の一つ。
弘治2年(1556)、大内義長が毛利家の防長経略に備えて築城。
弘治3年(1557)、義長が長門へ逃れ落城。
大内氏滅亡後も、毛利氏が城番を置くなどして利用。
元和元年(1615)、廃城。
※廃城としたのは、江戸幕府の一国一城令によるもので、実際に破却されたのは寛永15年(1638)ともされる

高嶺城・みどころ

発掘、測量調査などの成果から推測される当時の城のすがた。

頂上部や稜線上に階段状に連ねた郭。
最奥部、最高所に本丸。
本丸や郭の各所に石垣。
山頂部などから中世末~近世初頭の瓦が出土⇒瓦葺の建造物の存在が推定される。
居館側の東側山麓部から頂上にかけての郭、登城路の遺構⇒居館との連続性を意識させる。
主郭北西平坦面縄張⇒凌雲寺方面を意識させる。

頂上からは山口周辺が一望でき、鴻ノ峰を全体的に利用した壮大な山城であったと考えられる。

頂上を目指すには、車でショートカットすることもできるが、途中までしか行けない。
車で行ける最終地点に、看板と石碑があり、頂上にある看板と石碑と内容が全く同じ。そのため、通りすがりに「行って来た証拠」立て看板を集める分には、車だけで終了してもかまわない。ただし、看板の背後の景色は微妙に違うので、頂上で撮影していないことは分かる。
頂上まで行かないと拝めない絶景もあるため、できれば頂上を目指したいところ。
わずかに500メートルながら、道は険しく、石段も途切れている箇所があるため、登山の装備が必須。
徒歩で山頂を目指して上って来た人と違って、車で楽をして来た人の場合、軽装備であると思われるので、無理はしないほうがいい。

登山道入り口


リフレッシュロードとある通り、ゆっくり景色を楽しみながら一日かけて登っていくコース。普通に登山レベル。

史跡大内氏遺跡・看板


地形図

説明板

縄張り図

近くて遠い道


しつこいようだが、観光客スタイルの人は、これ以上あがるのはあきらめたほうがいい。
革靴にひらひらスカート女子には絶対におススメ出来ない。
未知は険しく、途中石段が途切れている所もあるので、四つん這いになって恥をさらしたくない人はやめるべき。
なお、頂上には素晴らしいお宝があるので、途中であきらめるのもまた悲しい。

山頂からの展望


かなり分かりづらいが、山頂からは、遥かに大内氏館跡と築山館跡を望むことができる。
ここが大内氏の詰めの城であったことがはっきりと分かるのである。

参照:山口市教育委員会「史跡大内氏遺跡保存活用計画」2019年 PDF
高嶺城跡写真集