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龍蔵寺(山口市吉敷)

2020年10月8日

龍蔵寺・基本情報

住所 〒753-0811 山口市吉敷1750
電話 0839-24-1357
最寄り駅
山号・寺号・本尊 瀧塔山・龍蔵寺・阿弥陀如来
宗派 真言宗御室派
拝観料 大人200円・中高生100円・小学生50円
開門時間 8:00~1700
公式サイト http://www.ryuzouji.org/

龍蔵寺・歴史

文武2年(698)、役小角が、紀州熊野権現を勧請したのが始まりとされる。
天平13年(741)に、行基がこの地に留まって寺院を建立し「龍蔵寺」と名付けた。

大内弘世が山口に拠点を移す際、山口の町を守護するために東西南北に寺院を建て、それぞれの守り本尊を安置した。龍蔵寺は西方にあたるため、西方浄土の仏=阿弥陀如来が置かれたとされる。

その後も、大内氏・毛利氏には守護寺として保護され、一般庶民からも深い信仰を集めた。

役小角と行基

推古天皇九年(601)年、役小角が九州の彦山より北方を望むと、遙かに瑞雲がたなびき、光り輝いているところが見えた。小角がその場所を尋ねて行くと、そこにはひとつの岩窟があって、「瀧の蔵」と呼ばれていた。小角はこの岩窟の中で、護摩の秘法を修練し、天下泰平仏法興隆の祈禱を行なった。文武2年(698)、熊野三社権現を勧請し十三社を建立したという。のちに、聖武天皇の御宇、天平十三年(741)、行基菩薩もまたこの霊峯に登って草堂を建立した。千手観音を彫刻して安置し、寺名を龍蔵と号した。その後何宗に属していたのか、真言宗となったのはいつの時代のことなのかは詳しくはわからない。しかしながら、創立由緒によれば、文明十八年以前の創立であることは明らかである。役小角より昭和八年まで千三百三十三年、行基菩薩より同年まで千百九十三年を経て現代に至る。(参照:『山口県寺院沿革史』、※年代はこのご本が書かれた時のものです)

大日如来の伝説

『平家物語』巻九「宇治川の先陣」の主人公・佐々木髙綱。源平の合戦で活躍した宇多源氏。『山口県寺院沿革史』によれば、この作者年代未詳の文化財・木造大日如来坐像は、この人物にゆかりのものであるという由来が書かれていた。あくまで伝承の一つではあるが、とても興味深いので紹介しておく。なお、文化財説明看板や寺院様HPにこの話は載っていないので、信憑性は薄いかも知れない。
宇治川先陣で大功を立てた佐々木高綱は、のちに、吉敷の荘を与えられた。くだんの合戦での活躍も、すべては大日如来を念じていたゆえにであった。そこで、大日如来の加護に感謝して、吉敷の地に妙法寺という寺院を建立し、その尊像祀ったという。妙法寺はもと吉敷村字木崎村というところにあったが、後に火災にあって、旧記も含めすべて焼失してしまった。唯一本尊の大日如来だけが残った。小さなお堂を建ててそこに安置し、明治維新の頃まで、龍蔵寺の受持だった。往時、高綱は七堂の伽鑑を建立したといわれており、妙法寺の跡地を見ると、その伽藍がいかに広大であったかがわかるという。

『平家物語』の語釈にも、備前、安芸国ほか六ヶ国の守護となったとあり、建久六年(1195)には出家したというので、領国を巡礼し周防国に寺院を建てたことも十分にあり得る話だと思った。

霊験あらたかな修行の地

境内の西に皷の滝という上中下三層からなる滝がある。その風景の美しさから古くより文人たちがその景色を楽しみ、一首詠んだりした場所。それと同時に、この滝の奥、「奥の院」といわれている場所は、役小角ゆかりの古跡でもある。山の上にある大岩窟は役小角が修行をした場所であるといわれている。中には十六羅漢の石造があり、岩窟の前には小角が彫ったとおもわれる窟崖仏もある(参照:『山口県神社誌』、大岩窟と十六羅漢は現在もあるけれど、大仏については未確認)。

龍蔵寺・みどころ

見るべきものが山ほどある寺院。指定文化財だけでも以下の通り。

木造大日如来坐像(国指定重要文化財)
四天王図鎗金扉(国指定重要文化財)
木造千手観音菩薩坐像(山口県指定文化財)
木造毘沙門天立像(山口市指定文化財)
木造不動明王立像(山口市指定文化財)

そのほかのみどころについても、ホームページにすべて詳細な説明がある。写真も載っているから、どれが何の建物なのかわからなくなったりすることがなく、とても親切。加えて現地にもいちいち、説明看板が立っている。入り口の案内図をスマホに入れて歩けば見落としはないだろう。

楼門

山口市の寺院ではわりと珍しいことなのだが、ここで拝観料をお支払いする。そもそも、ほぼすべての寺院で拝観料をとられる観光地もあるので、無料で入れる寺院のほうが不思議に思えます。寺院内はみどころだらけなので、拝観料など安いものです。

本堂

本尊の阿弥陀如来は、龍蔵寺で最も古い仏像だと言われている。大内弘世が山口に拠点を移した時、山口を守る為に東西南北に寺院を建て、それぞれの守り本尊を安置した。この寺院は西に建てられた寺院なので、西方浄土の阿弥陀如来を置いたという。仏像はバラバラになって保管されていたのを、完全に修復した。楠の木の一本造り。

毛利秀鉋公の祈祷寺だった縁から、昭和時代に、毛利家念持仏であった釈迦如来像が伝えられて安置された。作者不明ながら、製作年代は厨子共に1600年後半と考えられている。(参照:説明看板、龍蔵寺HP)

観音堂

当寺院は百八観音霊場(中国観音霊場、四国三十三観音霊場、九州西国霊場)にして、周防国三十三観音霊場の第十七番札所。本尊は国指定文化財の千手観音菩薩。写真に見えているのは馬頭観音。

護摩堂

護摩堂は瀧の不動明王をお祀りしていたが、江戸時代に火災で焼失してしまった。現在は再建されて、中を見学することができる。大きな不動明王さまが立っておられる。

皷の瀧

吉敷の瀧ともいわれる。上段16メートル、中段3メートル、下段18メートル。奥の院までに九九九の滝がある。千の滝のうち、ひとつをお不動さまが隠してしまわれた。人の世が乱れたとき、隠していた滝を出した。千の滝は大蛇(龍)になって、洪水を起こした。世を乱すようなことをしたら、洪水で流してしまうぞ、という戒め。かくして、龍を隠していることから、この寺院を龍蔵寺という。(参照:説明看板)

下の写真は大岩。この岩が洪水を防いでいる。滝の奥、奥の院には、大岩窟、十六羅漢などがあって、古くから修行の場。現在もここにこもる人がいるという。(参照:説明看板)

 

ペット供養

ご案内はしていただかなかったが、地元のガイドさんから「ペット供養」で有名な寺院さんであるという話をうかがった。ご覧の通り、のぼり旗がすごい。

龍蔵寺写真集

ミル

龍蔵寺さまには、このほかにもあれやこれや数え切れないほどのみどころがあります。全部は紹介しきれないので、写真だけのページを見てください。

アクセス

山口駅からタクシーを使いました。吉敷にはほかにもみどころがあるので、まとめて車でご案内いただくのもいいと思います。

参照文献:『山口県神社誌』、龍蔵寺様HP、説明看板、『平家物語』全訳本

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