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光円寺(大内矢田)

光円寺山門前記念撮影
光円寺山門前にて

光円寺・基本情報

住所 〒753-0222 山口市大内矢田南3丁目11
電話 083ー927ー1148
山号・寺号・本尊 明応山・光円寺・阿弥陀如来
宗派 浄土真宗本願寺派

光円寺・歴史

『大内村誌』でも解説されている、大内の地において由緒ある寺院のひとつ。

開基は小川新右衛門通常(『寺院沿革史』では新左衛門)という人である。小川家は、鎮守府将軍・藤原秀郷十四世の孫・小川左衛門尉時村の子孫で、毛利元就に仕えて長門国豊田郡内に領地をもっていたという。通常の子は孫右衛門尉通長(同、孫左衛門)、通長の子は長蔵通春といった。通長は朝鮮出兵に参軍し、戦功をあげたが、文禄五年正月十五日に蔚山で戦死した。通常と孫・通春は通長の菩提を弔うため出家したいと願い出て許され、通常は早速僧侶となって順念と改名した。

慶長九年春、通春は氷上山別当・光裕法印の弟子となった。智淵房慶乗と名乗り、法印権大僧都となる。のちに、清光院(毛利輝元夫人)の意見で、順念は氷上山から慶乗を呼び戻し、京都西本願寺に行かせた。慶乗は天台宗から浄土真宗に改宗したのである。寛永七年三月、矢田村の地に寺院を建立し、慶乗を開山とした(『寺院沿革史』では、寛永十八年八月二十六日に寺号を光円寺と改め、一宇を建立した、となっており、出典は『光円寺旧記』)。

寺院の建立は輝元夫人の援助によるところが大きかったので、しばらくは萩の清光寺に勤番したという。

中興・六世教端の時、寛政六年四月十五日、本堂が改築上棟された。

寺宝:通常が清光院から拝領した阿弥陀如来(『寺院沿革史』だと、恵心僧都の作であると伝わる阿弥陀如来、清光院の念持仏である阿弥陀仏)、藤原秀郷から伝えられた釈迦如来仏舎利三粒、ほかに尊朝親王の真筆一幅、 蓮如上人寂如上人の御真筆等。ただし、阿弥陀如来と釈迦如来仏舎利は現存しない。(以上参照:『大内村誌』、『山口県寺院沿革史』)

まとめ

江戸時代に毛利家臣の人が建立した寺院。最初は氷上山で修行し天台宗だったが、のちに毛利輝元夫人の御意向で浄土真宗に改宗。

大内弘家と良君城

この寺院が建てられた場所は「良君城(らくうんじょう)」と呼ばれていて、元々大内弘家の館があった場所であるという。弘家は大内氏二十一代当主。矢田の地に住まいしていたことから「矢田太郎」と名乗っていたとされる人。その子が二十二代・重弘、そして、弘幸、弘世と続く。弘家の子、重弘の兄弟は「矢田」姓分家の祖となった。

寺地が元館跡であった由縁で、境内に大内弘家の墓がある。天保十五年(1844)には、五百五十年遠忌法要を行ったという。(参照:『大内村誌』、寺院説明看板)

光円寺・みどころ

大内弘家の墓がある。寺院を建立したのは大内氏とは何の関連もない江戸時代、毛利家家臣の人である。しかし、法要までやってくれていたというから、墓(供養塔)は大切に伝えられてきたのだろう。ほかに、歴代ご住職の墓や、二義少年の(うち一人の)位牌もあるというが、未見。

山門

光円寺山門

本堂

光円寺本堂

親鸞聖人の像

光円寺親鸞聖人像

このように、親鸞聖人の像があるあたり、浄土真宗の寺院様ということがよくわかる。下の説明看板には、親鸞聖人や浄土真宗について、詳しい解説が書かれている。看板手前の岩が、いかにもいわくありげなのだが……今のところ、何なのか不明です。

光円寺説明看板

「矢田太郎」の墓

光円寺大内弘家の墓

これが大内弘家のもの、とされる供養塔です。『大内村誌』にはちょこっと壊れちゃっているように書かれていた気がしますが、このようにきちんと整備してくださってあります。

後ろに貼られている、ご住職が書かれた説明文が、大内氏など何者かわからない、という人にもまるっと理解できるような素晴らしいものです。

「矢田太郎弘家は、大内氏二十一代の当大内弘家のことで、鎌倉時代末期の人です。 生年は不明ですが、正安二年(西暦一三〇〇年) 三月二十八日没。法名「大宮寺殿本州大別賀圓浄禅定門」。弘家については、防府市の阿弥陀寺文書に記述有り。
大内氏は、推古十九年(西暦六一一年) 防府市多々良浜に渡来した百済の聖明王の第三子・琳聖太子を始祖とし、多々良を姓とし、代々周防国衙に仕え、在庁官人として有力豪族として成長していき、 平安末期に居を山口市大内に定め、多々良の姓を改めて、大内と称する。 第二十一代弘家は、 矢田に住し、矢田太郎と名乗る。 二度蒙古襲来=文永の役(西暦一二七四年)と弘安の役(西暦一二八一年) では、九州の豊前から博多に兵を動員する。 その後、守護大名へと飛躍して、弘家の孫弘世が長門の豪族厚東氏・豊田氏を滅ぼし、防長二州を平定して、その後山口開府をすることとなる。
大内矢田に「良君城」という地名があり、この附近に矢田氏の屋形があったのではないかと云われています。」(説明看板)

畠山義豊イメージ画像
次郎

そのまま大きな説明看板見せてくれればと思うのにな……。

アクセス

山口駅から車に乗せていだだきました。

参照文献:『大内村誌』、『山口県寺院沿革史』、光円寺様説明看板
※郷土史の先生から貴重な資料をたくさん拝領しましたが、消化不良につきまだ反映できていません。

ミル笑顔イメージ画像
ミル

大内氏ゆかりのものにフォーカスしすぎて、ほかのものは素通りしちゃう先生や研究者のお姉さんが微笑ましい。

五郎涙イメージ画像
五郎

見学時間がわずかだったから、本堂とか山門、親鸞聖人を撮影するのでやっとだったよ。

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