関連史跡案内

俊龍寺(山口市天花)

2022年10月12日

入り口の写真

俊龍寺・基本情報

住所 〒753-0091 山口市天花2丁目12−1
電話 0839-22-4628
山号・寺号・本尊 豊国山・俊龍寺・釈迦牟尼仏
宗派 曹洞宗

俊龍寺・歴史

寛正元年(1461)、大内教弘が献珠院殿等巌妙倫大姉(文明二年正月二日)のために建立し、献珠院といった。開山は明仲和向。『闢雲志』によれば、元の寺号は延楽寺。四世・紅庵の時、長門国に移り、五世・鷹岩の時、再び現在の場所に戻った、とある。

永禄年間、芸豊和解のために、上使として聖護院門跡宮が安芸国に下向した。柳沢監物元政は将軍・足利義晴、義輝、義昭三代に仕えたが、門跡宮に随行して安芸国に来た。そのまま安芸国に留まり、ついには毛利家に仕官した。

豊臣秀吉の朝鮮出兵の際、秀吉に仕えて、豊臣の姓をもらい、秀吉の死後に再び毛利家に仕えた。文禄年間(1592年~1596年)の頃、高嶺城代になって、中尾・畑・天華の地八百石を領有した。

慶長年間、元政は寺院を再建した。慶長二年(1597)、毛利輝元の命により、足利義輝と慶寿院殿(足利義晴御台盤所。義輝、義昭の母)の三十三回忌供養のために、塔婆を建立した。あわせて、義昭と豊臣秀吉の供養塔も建てた。

豊臣秀吉の供養塔には、防州山口俊龍山献珠院とある。慶長十八年(1613)、秀吉の神号「豊国」を山号に、法諱・国泰寺殿雲山俊龍大居士から、寺号を俊龍寺と改めた。

元文五年(1740 )四院評議で(← 何のことかわからないけど、話し合いのうえ)、雪心和尚を第二祖、潤室和尚を第三祖とした。

後山には柳沢家代々の墓所がある。(以上、参照:『山口県寺院沿革史』、『趣味の山口』)

芸豊和解のため、というのは、毛利と大友が九州の利権を争っていた戦いを将軍家が調停したことで、色々な本に載っている。柳沢元政という人物は歴史シミュレーションゲームにも出てきたが、何者かわからない。確かに将軍家の配下にいたと記憶しているが、毛利家の家臣になっていたとは。

そもそも、こんなところに元将軍だの、豊臣秀吉だのの供養塔があるなんて、およそ信じられない。何でだろうと思ったら上のようなゆかりがあった、と学んだ次第です。

俊龍寺・みどころ

足利義輝、義昭、慶寿院、豊臣秀吉の供養塔。

山門

山門の写真

本堂

本堂の写真

豊臣秀吉、足利義輝、義昭、慶寿院の供養塔

※未見です。これらは自治体様HPに画像が載っており、オンラインで確認可能です。

五郎

柳沢って何者? 豊臣秀吉とは? ここのどこが関連史跡なんだ?

ミル

「元々」は闢雲寺さまが建てた寺院だった、ってだけだね。

アクセス

山口駅から徒歩。雲谷菴の近くにあるので、普通に通りかかります。

参照文献:『趣味の山口』、『山口県寺院沿革史』

五重塔記念撮影の写真
五郎とミルの防長芸旅日記

山口市内と広島県の大内氏ゆかりの場所を回った旅日記。ついでに本拠地・周南の宣伝もしちゃう。

続きを見る

-関連史跡案内
-,