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法界寺(山口市下立小路)

2022年10月9日

法界寺・入口

山口県山口市下竪小路の法界寺とは?

大内政弘が開基とされる浄土宗寺院です。元は長山の地にあったそうです。名前も浄門寺といいました。のちに、現在地に移転。たびたび火災に見舞われたことから、現在の寺号に改められたといいます。

旧寺地「長山」には、大内盛見の別荘があったと考えられています。それゆえにか、大内氏とゆかり深い場所にあったこの寺院には、大内家臣・相良某の手になる「額」が伝えられていました。しかし、相良を相「楽」良と書き誤るなど信頼できない部分もあり、本物であるかは疑問視されています。

寺院内には、中谷正亮の墓所があるため、墓参のために訪れる方が多く、分りやすい案内版(位置を示した順路矢印)が設置されています。

法界寺・基本情報

所在地 〒753-0034 山口市下竪小路 71
山号・寺号・本尊 攝取山・法界寺・阿弥陀如來
宗派 浄土宗

法界寺・歴史

『山口県寺院沿革史』には、およそつぎのようなことが書かれています。

「開山は美濃国檀林立政寺一世・華空迎雲、開基は大内政弘公。元は上宇野令長山にあり、浄門寺といった。のちに現在の地に移されたが、度々火災に遭ったので、九世・聴空呂三の時、現在の寺号に改めた。

寺院の玄関に懸かっている「碧竹園」という古い額が懸けられており、大内氏長山別墅のものであると言い伝えられているが、証拠はない。ただし、この額の裏には、寺院の始めから終わりまで(の歴史)を、述べており、寺院が再々建された文政十二年五月一日上棟、天保四年三月八日から十四日まで落慶供養、当山第十八世・仁空旭政西堂代とあり、最後に額字大内家臣相楽良(相良の誤り)遠江守某と書いてある。

この寺院が元長山にあり、相良遠江守の筆になる古額を所有していると伝えていることから長山別墅云々というのである。近藤清石氏が大内盛見の碧山別墅を長山と仮定しているのも、これらのことを以て推測したのであろう」
(参照:『山口県寺院沿革史』)

ちなみに、長山は現在の亀山の旧名で、長山城址があります。ガイドさんと訪問した亀山公園があった辺りだな、と思いました。そもそもこの議論、寺院さまとは離れて、大内氏の碧山別墅というのは、現在の長山の辺りだった、という話となります。

この件について。権威あるご本から情報を得たので、解決しておきます。大内文化探訪会さま発行の『大内文化探訪ガイド  No.1 中世文化の里』で、サビエル記念聖堂についてご紹介くださっているページに、つぎのような解説を見付けました。

もともとここは大内26代盛見が別荘を設け禅僧達と禅を語り、29代政弘当時には平蓮寺があったといわれ中世大内文化の香の漂っていた所である。

出典:大内文化探訪会『大内文化探訪ガイド  No.1 中世文化の里』

サビエル記念聖堂のところに書くべき内容かもしれませんが、現在記念聖堂があるところがつまり亀山=元長山ですので、この議論、すでに権威ある方々のご本でさらっと解決されているではないですか。

つまり、大内盛見の別荘があったのは長山だった、と。てか、寺院さまとしては、その別荘からもたらされたといわれる「額」がホンモノかどうか、ということが問題ですよね。どうやら。その答えは未だ見付けられておりません。相良を相「楽」良と書き間違えているのは、ご本人ではなく、由来を書き記した人であるならば、江戸時代ともなれば、すでに滅亡した大内氏に対する人々の記憶など曖昧になってしまっておりますので、致し方ないことですが、自筆のサインのようなものを指しているとするならば、ご本人が自身のお名前を間違えるとは考えられないので、贋作である可能性が大です。こんなことは、とっくに調べ尽されているはずですので、この寺院さまに、相良某の直筆額があるとは聞いたことがないため、残念ながらホンモノではなさそうですね。

大内盛見の別荘が長山にあった、と学べただけで十分です。しかし、上の引用文にある、平蓮寺というほうが、またまた気になってしまいますね。

法界寺・みどころ

町中に普通に存在します。中谷正亮の墓地がある寺院として有名で、参拝する方の第一の目的は墓参でしょう。訪問者も多いと思われ、わかりやすい矢印がついていました(後日訪問しようと思い、見落としました)。

寺号碑

法界寺・寺号碑

中谷正亮の墓

※未見です。

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五郎

なんで、中に入らず帰ってしまったんだ?

ミル涙イメージ画像
ミル

あまりにまったりと回っていたから、色々なところが明日また来よう、で終わってしまった……。場所はわかっているのだから、次回の宿題です。

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五郎

来年もまた連れて来てくれるのなら何度見忘れてもいいよ。見るまで繰り返し来てね。

法界寺(山口市下竪小路)の所在地・行き方について

所在地 & MAP 

所在地 〒753-0034 山口市下竪小路 71

アクセス

山口駅から徒歩圏。町歩きをしていたら偶然にも通り過ぎました。

参照文献:『山口県寺院沿革史』、『大内文化探訪ガイド  No.1 中世文化の里』

法界寺(山口市下竪小路)について:まとめ & 感想

法界寺(山口市下竪小路)・まとめ

  1. 大内政弘開基の寺院、元は浄門寺といったが、たびたび火災にあったため、改名したという
  2. 元々は長山にあったが、のちに現在地に移転された
  3. 長山は、大内盛見の別荘「碧山別墅」があったと考えられている場所である
  4. 盛見別荘があった地から移転してきた当寺院には、「碧竹園」という額が伝わっている
  5. 額には寺院の歴史や、江戸時代に再建された当時の住職の名前などとともに、額字の作者は「相楽良遠江守」であると記されている
  6. 大内氏家臣に相良という人物がいたことは有名だが、相「楽」良と名を誤っているなど不審な点もあって、真贋は不明。贋作との見方が優勢である
  7. 寺院内には明治維新で活躍した中谷正亮の墓があり、墓参を目的に訪れる人が絶えない

法泉寺さま(政弘公)開基の寺院と聞いて参詣しない謂れはないのですが、光台寺さまの例もあり、町中の寺院さまには当時の面影はすでにないだろうと期待はしていませんでした。思った通り、寺院さまはとても現代的で美しく、室町時代の建築物が残っているとは思えない雰囲気でした。しかし、中谷正亮という方の墓所があることから、檀家の方以外にも訪れる中谷さんを敬愛する方がおられると思われ、とても分りやすい順路案内がありました。

それ以外には、普通にお勤めをお願いしている檀家の皆さまが参詣する寺院さまなのかな、と思います。あとで、中谷さんの墓所にお参りしようと思いつつ、忘れてしまったので(そもそも何をしたどなたなのか存じ上げません。『日本史広事典』にも項目がないので、知らなくても笑われないかな、と)、つぎの機会にと思いながら、二回目は時間の都合で行けませんでした。

中谷さん墓所以外に、寺院さまの玄関にあるという相良が書いたと伝わる「額」も拝見したいなと思っていますが、『寺院沿革史』が書かれた時からかなりの時間が過ぎていますので、現在もあるのかどうかはわかりません。そのことも確認したいですね。

こんな方におすすめ

  • 中谷正亮さんを尊敬している方
  • こちらの寺院さまにお世話になっている方など信仰している方

オススメ度


(オススメ度の基準についてはコチラをご覧くださいませ)

五郎不機嫌イメージ画像
五郎

中谷って誰? そもそも見忘れてるから何とも言えないけど。

ミル涙イメージ画像
ミル

無礼だから、せめて「どなた」とか言ってね。きっと明治維新に関係する人だと思うよ。

五郎不機嫌イメージ画像
五郎

……。

ミル涙イメージ画像
ミル

分ってる。明治維新って何? だよね。そんなこと、一言で説明できるはずないじゃん。

瑠璃光寺五重塔記念撮影
五郎とミルの防芸旅日記

大内氏を紹介するサイト「周防山口館」で一番の人気キャラ(本人談)五郎とその世話係・ミルが、山口市内と広島県の大内氏ゆかりの場所を回った旅日記集大成。要するに、それぞれの関連記事へのリンク集、つまりは目次ページです。

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ミル@周防山口館

大内氏を愛してやまないミルが、ゆかりの地と当主さまたちの魅力をお届けします

【取得資格】
全国通訳案内士、旅行業務取扱管理者
ともに観光庁が認定する国家試験で以下を証明
1.日本の文化、歴史について外国からのお客さまにご案内できる基礎知識と語学力
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