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閼伽井坊(下松市)

2022年10月2日

閼伽井坊説明看板の写真

山口県市下松市末武上の閼伽井坊とは?

神仏習合していた時代、閼伽井坊は花岡八幡宮の社坊の一つでした。現在は、真言宗御室派の寺院「華岳山・閼伽井坊」として独立しています。

花岡八幡宮の境内にある閼伽井坊塔婆は、この閼伽井坊に属する建築物です。藤原鎌足によって創建されたとの言い伝えがある多宝塔ですが、現在あるものは、室町時代の建造物です。国の重要文化財に指定されており、たいへんに貴重なものです。

室町時代の建造物ですので、まぎれもなく大内氏時代の遺産です。

閼伽井坊・基本情報

住所 〒744-0024 山口県下松市末武上 398
山号・寺号・本尊 華岳山・閼伽井坊・虚空蔵菩薩
宗派 真言宗御室派
ホームページ https://www.akaibou.or.jp/

閼伽井坊・歴史

「閼伽井坊塔婆(多宝塔)」は国指定重要文化財となっていることから、見学に訪れる人はとても多いです。この多宝塔の所在地が、花岡八幡宮の境内であることから、花岡八幡宮の建物だと考えてしまう人もまた多いです。観光案内看板にも「花岡八幡宮 閼伽井坊多宝塔」と書いてあるのでなおさらかと。閼伽井坊は元々、花岡八幡宮にあった社坊のひとつですので、八幡宮との関係は深いといえます。しかし、八幡宮は神社で、閼伽井坊は寺院。まったく別々の宗教施設です。

神仏習合して神社と寺院が渾然一体となっていた歴史を思い出してくださいませ。このあたり、参考書にもあまり詳細には書かれておらず、理解するのはきわめて難しい部分です。花岡八幡宮のゆかりを調べると、かつては九つの社坊が建っていた、とあります。つまり、神社の中に九つの寺院があったのです。現在、そのほとんどは廃寺となってしまいました。唯一現在まで存続しているのが、この閼伽井坊なのです。

通りすがりの観光客的には見落としがちですが(完全に見落としました)、この点はとても重要です。花岡八幡宮のホームページや『山口県神社誌』の該当ページにも多宝塔について書いていないのは、神社のものではないからだったのでしょう(多分)。

『山口県寺院沿革史』には、だいたいつぎのようなことが書かれています。
※このご本が書かれた当時での情報なので、一部は明らかに「古い情報である」ことを先にお断りしておきます。

「閼伽井坊は福願寺末寺である。諸記録は焼失してしまい、詳細はわからない。都濃郡下松市鷲頭寺の寺記によれば琳聖太子の建立という。太子は桂木山の麓に一宇の坊を建立なさり、閼伽井坊と呼ばれた。 そこには井戸があり閼伽井と呼ばれ云々とある。

人皇百十四代桜町天皇の御代、元文年間に住職・良長法印が再興した。それ以前のことは不明であるが、慶長四年の書付によれば八幡宮坊のひとつであった。良長和尚を中興第一世とする(元文五年八月廿八日寂)。

寺宝:本尊虚空蔵菩薩、木座像御丈五寸。地蔵菩薩、木立像御丈一尺、元地蔵院の本尊であった。寺号は吉敷郡名田島村に移転した。
本堂、庫裡、山門:元地蔵院の境内にあったが、同寺が廃寺となった時に、当寺に移転した。

境内は二百九十七坪。境外飛地、四十五坪。この中(飛び地のことか?)に多宝塔がある。この多宝塔は花岡八幡宮の境内にある。同社はその創建和銅二年、宇佐神宮から分霊されたもので、社格は県社。祭神は仲哀天皇、応神天皇、神功皇后の三柱を祀っている。社坊が十ヶ坊あり、別当、地蔵院、高禅寺 、願成坊、揚林坊、当幅坊、千早院、惣持院、 長福寺、閼伽井坊である。九ヶ寺は すべて廃絶してしまい、現在は閼伽井坊が残るだけである。この塔は藤原鎌足公が建立したもので、日本十六塔の一つという伝説があるが、現存する建物は室町時代の再建によるもので、明治三十二年特別保護建造物に指定された。

総高(宝珠頂上まで)  四十五尺二寸
社層軒高、十尺二寸八分
上層軒高、二十一尺四寸二分
露盤下高、二十九尺一寸二分
基底方、十三尺二分 
此坪 四坪七合余

塔内に金剛界大日如来像が祀られており、その構造は優秀で室町時代芸術美の模範たるべきものといえる。昭和三年十月二十五日に修理を始め、同四年六月十五日に完了した。修理の際、「永祿三庚申年」という墨書木片が発見された。 同塔内に保存された棟札によって、元禄十三年、享保八年、延享元年、宝暦七年、安永六年に修理された事が明らかとなった。元祿十三年、大江吉広朝臣、慶音良長代。享保八年、大江吉元朝臣、儀伝林栄代。延享元年、大江宗広朝臣、右同。宝暦七年、大江重就朝臣、右同、安永六年」
(原文文語文)

『寺院沿革史』に書かれた鷲頭寺の寺記云々についてですが、これは執筆なさった先生が、『鷲頭山旧記』と呼ばれる降松神社の縁起と混同なさっておられるのではないかと思います。なぜかなら、下松には閼伽井坊と呼ばれた社坊は二つ存在していたことを、現地のガイドさんのご案内を拝聴して学んだゆえにです。

降松神社が琳聖太子とゆかりが深いのは当然でして、妙見社と呼ばれていた当時の降松神社にも閼伽井坊という社坊がありました。閼伽=仏様に捧げる水ですから、社坊としてはありふれたお名前だったのではないでしょうか。花岡八幡宮の社坊が、現在はこの閼伽井坊を残してすべて廃絶しているのと同様、降松神社の社坊も現在は鷲頭寺を残してすべて失われております。そして、この鷲頭寺こそが、かつての閼伽井坊です。⇒ 関連記事:鷲頭寺、降松神社

焼失により記録がすべて失われてしまった、とありますので、名前が同じゆえに混同なさったのかもしれません。ただ、混同が起こった時期がいつのことかはわかりませんので、『沿革史』が誤っているとは一概には言えません。しかし、このご本以外に、同意見の記述は見たことがないため(単に執筆者が探せていないだけかもですが)、ご無礼ながら執筆者の先生もしくは、資料を集められた方の勘違いなのではないかと感じます。

また、花岡八幡宮には十ヶ坊あったと書いてあるけれど、説明看板や『山口県神社誌』などには九ヶ坊とあるので、それも九なのではないか、と思います。研究成果は日々上書きされていくものなので、昭和初期に書かれたご著作である『沿革史』の時点では正しいと認識されていたことが、のちに改められることは数多いと思います。これを以てこのご本の価値が貶められることはけっしてありません。

公式 HP で確認できる確かな情報としては、閼伽井坊はかつて花岡八幡宮内にあった寺院のひとつであること、現在は真言宗御室派の寺院で、「華岳山・閼伽井坊」といい、本尊は虚空蔵菩薩であること、です。

閼伽井坊・みどころ

国指定重要文化財となっている多宝塔。「日本十六塔」のひとつに数えられる優美な塔として有名です。このほか、閼伽井坊 HP によれば、当寺院には「周防国三十三観音霊場」として、本尊の十一面千手観音が、「周南七福神」として寿老神が安置されています。詳しくはホームページでご確認ください。

閼伽井坊塔婆

閼伽井坊塔婆

藤原鎌足が創建したという言い伝えがありますが、現在の建物は室町時代中期に再建されたものです。

「三間四方の二十塔婆で総高十三・七メートル、屋根は柿葺で塔の周囲に周縁をつけ斗拱間には装飾蟇股を用いている。また内部の四天柱には、天上長押をめぐらし鏡天井で須弥壇は簡素であるが古制を遺している」(看板説明文)⇒ 関連記事:花岡八幡宮

国宝・重要文化財(建造物)
 各棟情報
名称 : 閼伽井坊多宝塔
ふりがな : あかいぼうたほうとう
員数 : 1基
種別 : 近世以前/寺院
時代 : 室町後期
年代 : 室町後期
西暦 : 1467-1572
構造及び形式等 : 三間多宝塔、こけら葺
指定番号 : 00413
国宝・重文区分 : 重要文化財
重文指定年月日 : 1907.05.27(明治40.05.27)
所在都道府県 : 山口県
所在地 : 山口県下松市大字末武上
所有者名 : 閼伽井坊

出典:国指定重要文化財データベース(文化庁)
https://kunishitei.bunka.go.jp/heritage/detail/102/3234

花岡八幡宮・灯籠
花岡八幡宮(下松市末武上戎町)

奈良時代に、総本社・宇佐神宮から勧請された八幡宮。かつては多くの社坊をもつ大規模な神社で、特に戦国期、大内義隆や豊臣秀吉といった著名人に深く信仰された。境内にある多宝塔が有名だが、これは神仏習合していた時代の名残り。閼伽井坊の所有となる。

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閼伽井坊(下松市末武上)の所在地・行き方について

所在地 & MAP 

所在地 〒744-0024 山口県下松市末武上 398

アクセス

閼伽井坊多宝塔については、花岡八幡宮の境内にあり、下松駅から徒歩圏内です。しかし、閼伽井坊さまは花岡八幡宮の境内寺院のような存在ではございません。真言宗御室派の独立した寺院なので、お間違えないのようになさってください。

参照文献:『山口県寺院沿革史』、閼伽井坊様 HP、下松市等自治体様 HP、説明看板

閼伽井坊(下松市末武上)について:まとめ & 感想

閼伽井坊(下松市末武上)・まとめ

  1. 閼伽井坊は、かつて花岡八幡宮の社坊の一つだった
  2. 神仏分離後は、花岡八幡宮から分かれ、現在は「華岳山・閼伽井坊」という寺院として独立している
  3. 国指定重要文化財となっている多宝塔が有名で、花岡八幡宮の境内にある

またしても、神仏習合の名残です。神仏分離の結果、習合していた花岡八幡宮と分かたれて独立しました。神社と寺院が別々の場所に分かたれていると、現代人の感覚では、別々のものだろう、とすんなり理解できますが、神社の境内に建物がそのまま残され、なおかつそれは別運営の寺院である、などという話を聞かされると「?」となります。それゆえに、花岡八幡宮多宝塔と書いてあると、神社の中の建物=神社のものなんだろう、って考えてしまいます。

本来多宝塔は仏教系の建築物なのに、神社の中にあるけど、なんで? などと考えるのはそれなりに学んでいる方だけだろうと。さらに学びが進むと、神仏習合していた時の建物だろう云々と進むと思うのですけど。普通はそんなことわからないです。現在はどこからどう見ても、純粋なる神社にしか見えない居住地付近の超ド級有名神社が、中世には神仏習合していてほとんど寺院だった、と聞いたときは絶句しました。なので、閼伽井坊さまも単なる神社の中の一社坊に過ぎないなんて存在ではなかったかと思います。

歴史は流れ、寺社の姿も変わりましたが、重要文化財指定となった多宝塔は元あった場所にそのまま残されたんですね。○○寺のようにお名前を変えることもなく、そのまま閼伽井坊と称していらっしゃるところに長く受け継がれてきた歴史を感じます。

こんな方におすすめ

  • 多宝塔が大好きな方
  • 重要文化財は絶対見る方

オススメ度


(オススメ度の基準についてはコチラをご覧くださいませ)

五郎不機嫌イメージ画像
五郎

つまり、俺たちまたミルに騙されて、「これが花岡八幡宮の多宝塔だよー」とか言って、塔だけ見て終わってしまったわけか。寺院は見ずに。そもそも、「多宝塔が大好きな人」なんてそんなにたくさんいるのか?

畠山義豊イメージ画像
次郎

すぐ傍にいるじゃん。

ミル笑顔イメージ画像
ミル

ああ、やっぱり多宝塔ってどれもみんな素敵ー。んんん、でも宮島の多宝塔には……いや、ここでそれを言ってはだめよって、いやん、多宝塔って五重塔の次に好きかも……♡

五郎不機嫌イメージ画像
五郎

……。

※この記事は 20231211 に加筆・修正されました。

瑠璃光寺五重塔記念撮影
五郎とミルの防芸旅日記

大内氏を紹介するサイト「周防山口館」で一番の人気キャラ(本人談)五郎とその世話係・ミルが、山口市内と広島県の大内氏ゆかりの場所を回った旅日記集大成。要するに、それぞれの関連記事へのリンク集、つまりは目次ページです。

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ミル@周防山口館

大内氏を愛してやまないミルが、ゆかりの地と当主さまたちの魅力をお届けします

【取得資格】
全国通訳案内士、旅行業務取扱管理者
ともに観光庁が認定する国家試験で以下を証明
1.日本の文化、歴史について外国からのお客さまにご案内できる基礎知識と語学力
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