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閼伽井坊(下松市)

2022年10月2日

閼伽井坊説明看板の写真

閼伽井坊・基本情報

住所 〒744-0024 山口県下松市末武上398
電話 0833ー44ー8409
山号・寺号・本尊 華岳山・閼伽井坊・虚空蔵菩薩
宗派 真言宗御室派
ホームページ https://www.akaibou.or.jp/

閼伽井坊・歴史

「閼伽井坊塔婆(多宝塔)」は国指定重要文化財となっていることから、見学に訪れる人は数多い。この多宝塔の所在地が、花岡八幡宮の境内であることから、花岡八幡宮の建物だと考えてしまう。観光案内看板にも「花岡八幡宮 閼伽井坊多宝塔」と書いてある。しかし、閼伽井坊は元々、花岡八幡宮にあった社坊のひとつである。

神仏習合して神社と寺院が渾然一体となっていた歴史を思い出してほしい。このあたり、参考書にもあまり詳細には書かれておらず、理解するのはきわめて難しい。花岡八幡宮のゆかりを調べると、かつては九つの社坊が建っていた、とあった。つまり、九つの寺院があった。現在、そのほとんどは廃寺となってしまった。唯一現在まで存続しているのが、閼伽井坊である。

通りすがりの観光客的には見落としがちだが(完全に見落としました)、この点はとても重要である。花岡八幡宮のホームページや『山口県神社誌』の該当ページにも多宝塔について書いていないのは、神社のものではないからだったのだ(と思う)。

『山口県寺院沿革史』には、だいたいつぎのようなことが書かれている。※このご本が書かれた当時での情報なので、一部は明らかに古いことを先にお断りしておきます。

「閼伽井坊は福願寺末寺である。諸記録は焼失してしまい、詳細はわからない。都濃郡下松市鷲頭寺の寺記によれば琳聖太子の建立という。太子は桂木山の麓に一宇の坊を建立なさり、閼伽井坊と呼ばれた。 そこには井戸があり閼伽井と呼ばれ云々とある。

人皇百十四代桜町天皇の御代、元文年間に住職・良長法印が再興した。それ以前のことは不明であるが、慶長四年の書付によれば八幡宮坊のひとつであった。良長和尚を中興第一世とする(元文五年八月廿八日寂)。

寺宝:本尊虚空蔵菩薩、木座像御丈五寸。地蔵菩薩、木立像御丈一尺、元地蔵院の本尊であった。寺号は吉敷郡名田島村に移転した。
本堂、庫裡、山門:元地蔵院の境内にあったが、同寺が廃寺となった時に、当寺に移転した。

境内は二百九十七坪。境外飛地、四十五坪。この中(飛び地のことか?)に多宝塔がある。この多宝塔は花岡八幡宮の境内にある。同社はその創建和銅二年、宇佐神宮から分霊されたもので、社格は県社。祭神は仲哀天皇、応神天皇、神功皇后の三柱を祀っている。社坊が十ヶ坊あり、別当、地蔵院、高禅寺 、願成坊、揚林坊、当幅坊、千早院、惣持院、 長福寺、閼伽井坊である。九ヶ寺は すべて廃絶してしまい、現在は閼伽井坊が残るだけである。この塔は藤原鎌足公が建立したもので、日本十六塔の一つという伝説があるが、現存する建物は室町時代の再建によるもので、明治三十二年特別保護建造物に指定された。

総高(宝珠頂上まで)  四十五尺二寸
社層軒高、十尺二寸八分
上層軒高、二十一尺四寸二分
露盤下高、二十九尺一寸二分
基底方、十三尺二分 
此坪 四坪七合余

塔内に金剛界大日如来像が祀られており、その構造は優秀で室町時代芸術美の模範たるべきものといえる。昭和三年十月二十五日に修理を始め、同四年六月十五日に完了した。修理の際、「永祿三庚申年」という墨書木片が発見された。 同塔内に保存された棟札によって、元禄十三年、享保八年、延享元年、宝暦七年、安永六年に修理された事が明らかとなった。元祿十三年、大江吉広朝臣、慶音良長代。享保八年、大江吉元朝臣、儀伝林栄代。延享元年、大江宗広朝臣、右同。宝暦七年、大江重就朝臣、右同、安永六年」

創建年代含め、多宝塔以外の記述については、ほかの資料が見付けられない(琳聖太子建立など、たいへん興味深いとは思うけど)ので、これが正しいのかどうかわからない。また、花岡八幡宮には十ヶ坊あったと書いてあるけれど、説明看板や『山口県神社誌』などには九ヶ坊とあるので、九だと思う。

公式 HP で確認できる確かな情報としては、閼伽井坊はかつて花岡八幡宮内にあった寺院のひとつであること、現在は真言宗御室派の寺院で、「華岳山・閼伽井坊」といい、本尊は虚空蔵菩薩であること、です。

閼伽井坊・みどころ

国指定重要文化財となっている多宝塔。「日本十六塔」のひとつに数えられる優美な塔である。このほか、閼伽井坊 HP によれば、当寺院は「周防国三十三観音霊場」として、本尊の十一面千手観音が、「周南七福神」として寿老神が安置されている。詳しくはホームページでご確認ください。

閼伽井坊塔婆

閼伽井坊多宝塔の写真

藤原鎌足が創建したという言い伝えがあるが、現在の建物は室町時代中期に再建されたものである。「三間四方の二十塔婆で総高十三・七メートル、屋根は柿葺で塔の周囲に周縁をつけ斗拱間には装飾蟇股を用いている。また内部の四天柱には、天上長押をめぐらし鏡天井で須弥壇は簡素であるが古制を遺している」(参照:説明看板)

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閼伽井坊写真集

アクセス

閼伽井坊多宝塔については、花岡八幡宮の境内にあり、下松駅から徒歩圏内です。しかし、閼伽井坊は花岡八幡宮境内にはないので、お間違えないのようになさってください。

参照文献:『山口県寺院沿革史』、閼伽井坊様HP、下松市等自治体様HP、説明看板

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