ト・ホンホ分国通信

亀童丸&鶴寿丸 

2020年7月27日

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星降る伝説と亀?

下松に降りた妙見様

山口県下松市には、北辰降臨の伝説がある。国土の守り神である妙見菩薩が北辰の姿を借りてこの世に現れ、下松市にある松の木の上で七日七晩光り輝いたというのだ(北辰降臨伝説については場を改めて語る)。

下松駅からほど近いところに、実際にその松の木がある。残念ながら虫の害により、現在繁茂している木はその子孫とはなるが。現代の科学技術をもってしたら、松に落ちたのは流れ星か隕石の類で、そんな神がかりがあろうはずはない、などと言われそうだけれど、実際星が降りてきた木まで伝承されてきたのだから、当時は広範に信じられていたことなのだろう。

北辰というのは古代中国において北極星を指していた。
韓流ドラマ『麗』でも、北極星を「北辰」と呼ぶイ・ジュンギ様に、現代からタイムトリップしたヒロインが、そうではなくてあれは「北極星」と諭すシーンがあった(間違いではなく、古風な言い方ってだけだと思うけど)。
漢字圏共通の呼び名であるのかもしれない。

北辰、すなわち北極星は国土の守り神である妙見菩薩と結びつけられた。星に対する信仰や、妙見信仰は日本固有のものではなく、中国大陸、朝鮮半島からもたらされたものだとされる。日本の神話では、太陽や月の神様はいるけれど、星の神様はほんの脇役で、星というのはそもそも信仰の対象になっていなかったのだろう。
ところが、仏教だとか儒教だとか道教だとか、あれこれが輸入されると、人々のあいだにそれらに対する信仰が流行し、星への信仰も盛んになった。北極星信仰は仏教と言うより、道教にかかわるものであるらしい。ただし、妙見「菩薩」なので、仏教と習合している。

ご先祖様の守護神

下松に現れた北極星(=妙見様)に守られて、遠く異国の地からやってきた貴人は、やがて大内家の祖となった。星への信仰が日本より進んでいた朝鮮半島から来た異国の王子が、北極星に守られていたというのも違和感がなく、むしろより自然なことである。北辰の加護に感謝した始祖の王子は、妙見を氏神として祀った。つまり、大内家にとっての妙見は、先祖伝説と多いに関わりがある、大切な守り神なのである。

妙見様と亀

妙見を氏神としているのは大内氏に限らない。むしろ、ここより全国区で有名な氏族もある。星への信仰や妙見研究をなさっている研究者の先生方にとっては、大内氏の妙見信仰は数あるそのような一族の中の、ほんの一例にすぎなかったりする。ちょっとがっかりするけど、ほかに誰ひとり信仰していない神様を祀っているというのも寂しいので、これはそれでいい。

ほかにも氏神として祀っている一族がいるということは、その信仰のかたちも色々で、たとえば、妙見という神様が、いったいどのような姿をしているか、ということについても様々な事例があり、これが絶対というものはないようだ。
大内家の場合、妙見は玄武の上に座している。これは妙見が道教由来の神様であるらしいことと無関係ではない。玄武は道教の神様で、亀と蛇が合わさった姿として描かれることが多い。亀は「長寿と不死」蛇は「生殖と繁殖」の象徴であるという。氏神とゆかりがある生き物として、亀は神聖なものとみなされた。

名前に込められた思い

ゆえに、大内家の嫡子は幼名を亀童丸と称する。「長寿」の象徴である亀に、嫡子が平穏無事に成長するようにとの願いを込めたわけである。いっぽうで、亀童丸の名を得る、ということは、嫡子として認められた、ということにもなる。要するに、幼い時から跡継ぎは誰なのかをはっきりさせておくことで、後々の家督争いの火種を少しでも少なくしておこうという思いが込められている。

意外に少ない? 亀童丸

このページのアイキャッチは新介だが、大内家の嫡子は代々亀童丸なのだから、当然、彼ひとりではない。ほかにも、義興の父・政弘と息子の義隆がいる。また、幼児のうちに亡くなってはいるが、義隆の子・義尊も当然、亀童丸であったろう。
こうしてみると、これほどの栄華を誇った大内家に世継ぎの証である「亀童丸」を名のった者は、意外にも少ないことが分る。それもそのはず、代替わりのたびに血縁者同士が争いを起こしていたこの家で、穏やかに家督を継ぐということのほうが稀だった。息子に亀童丸と名づけたのは大内教弘がはじめで、彼の代になってようやく、その系統が順当に家督を継いでいく安定期を迎えたと言える。

要するに、この亀童丸の名乗りが定着したのは、長い歴史の中の、ほんの一コマでしかなかった。国土が豊かになり、まさに幸福の絶頂にあったとき、当主たちは己の一族が未来永劫繁栄していくものと信じて疑わなかった。まさかそれが、わずかに数代で途絶えてしまうなど、誰が想像できたろうか。

まとめ

異国から来る貴人を守るため「北辰」=北極星が下松に舞い降りた。

貴人は大内家の先祖となり、北極星を司る神=妙見様の信仰が広まった。

嫡子に亀童丸と名付ける理由

一、亀は先祖の守り神、妙見様ゆかりの神聖な生き物である。

一、長寿で縁起がいい=嫡男には元気で長生きし、幸せであってほしいという願い。

一、早々と亀童丸が誰か決めておくことで、後々の家督相続争いを抑えようという備え。

鶴と亀のいわれ

大内家の跡継ぎが亀童丸と名乗っただけでなく、一門衆・陶家の跡継ぎは鶴寿丸と名乗り、その名前も代々受け継がれた。たくさんの分家一門がある中で、はるか昔に分れ出た右田家の、そこからまた枝分かれした陶の家は、もはや完全に主の家臣。その身分の差は歴然としていた。そうした事情はどこの分家も同じことだが、亀童丸の名乗りが始まった頃、その傍系家臣の一族の中で、もっとも力をもっていたのは陶の家だった。だから、その重臣である陶の家の跡継が主人の亀に対応して、鶴を名乗った。亀と鶴とは主従となって、末永くお家を盛り立てて行くはずであった。
鶴は千年、亀は万年というし、亀のほうが寿命が長そうである。だが、実際には、亀も鶴も長寿ではなかった。ざっと見たところ、鶴寿丸は全部で四人のようだ(正確なリサーチはしていない)。
陶弘護(謀殺)、陶武護(討伐)、陶興昌(病死)、陶長房(自害)、そして最後に幼名のまま亡くなった鶴寿丸……。
鶴寿丸はいずれも短命、それも横死であり、縁起が良いどころか悪かったようだ。

ご長寿様は鶴以外

亀と鶴の名乗りが始まって以降の陶家当主で、唯一長寿を全うした陶興房は嫡男ではないから、幼名は鶴寿丸ではなかった。ではどんな幼名であったのか、は分らない。最もメジャーな陶隆房ですら、若死にした兄のかわりに家を継いだのだから、やはり鶴寿丸ではないのである。

むしろ縁起の悪い名前?

陶家の嫡流の最後の一人となった鶴寿丸は、義尊同様、幼児のうちに亡くなっている。この鶴寿丸が陶隆房の子どもなのか、孫なのか、正確にはわからないらしく、息子説を唱える人もいる。隆房の子・長房が若くして亡くなっているから、彼に子どもがいたことは年齢的にあわない、という理由らしい。
しかし、鶴寿丸という名がずっと嫡流に引き継がれてきた軌跡を見れば、恐らくは嫡孫なのであろう、と思う。

三十五歳で死んだ人物に孫がいるというのは、確かに現代の感覚では信じがたいが、今よりはずっと早熟な世界である。某有名歴史 SLG では、出産可能年齢をゲームの中での成人年齢と等しく十六歳としている。ギリギリセーフな気がする。

とはいえ、世間一般にはやっぱり縁起物

亀も鶴も縁起物だから、幼名に使う家は少なくなかった。やや異なるバージョンから、まったく同じものまで。そもそも、現代ほど人名にいくつものバリエーションがなかった時代である。
いちいち覚えておられないが、読書中に、あ、ここにもいた……という体験が何度も。ただ、どうしても「偶然」と思えないのが、ある鶴寿丸だ。

於児丸

よく分ったね。そうだよ、息子には武護殿の幼名をもらったんだ

新介

ええーーっ、そうなの!? 偶然なのかな、それとも?

畠山尚順と大内義興とは将軍・足利義稙を助けた、という点で同志であり、その功績の偉大さも飛び抜けている。この点、原典にあたることが素人には無理であるので、根拠の提示ができず、研究者の先生方が言及していた、ということしか言えない。しかし、畠山尚順の妹が、義興に嫁いだという説がある。畠山尚順の息子・種長の幼名が鶴寿丸で(これも原典は確認できない)、まさに因縁めいたものを感じるではないか。

義興正室の謎

ところで、義興の妻についてもやはりよくは分らないのだ。義隆を生んだのが内藤家の娘なので婚姻関係にあったことは確かだが、「東向殿」といわれていたくらいだから、正室ではない。「側室」と明記しているご本もある。正室は当然北の御殿に住んでいるはずで、東の御殿在住の東向殿のはずがない。

尚順妹とされる夫人は、姉妹ではなく、娘だという説もある。義興が上洛していた頃に結ばれた縁と思われるので(残念ながら出典が不明)、年齢が近い尚順の娘だと、それこそ年の差婚。三十代の男盛りと幼女のような組み合わせになってしまう。

妹であれ、娘であれ、内藤の娘なんぞより、数百倍北の方に相応しい家格であるし、どうみても足利義種政権下での政略結婚だから、正室扱いされそうではある。

凌雲寺にある義興墓の脇にある二つの墓石は、開山と夫人のもの、とされているのだが……。いったいどの夫人のものなのか、そもそも、彼の正妻は誰だったのか、今はぽっかり空いた謎のブラックホール。

まとめ

大内家の親族にして重臣・陶一門の嫡男は鶴寿丸を名乗った。
亀も鶴も、ともに縁起物で長寿の象徴。主従仲睦まじく、お家を支えて行って欲しいとの願いから。
希望的観測と現実は常に正反対
亀童丸の名を継ぐという「儀式」が取り入れられてから、家を守って行けたのは、わずか数代の間だった。
鶴寿丸のほうも悲劇で、誰一人長寿を全うできなかった。
縁起物ゆえ、鶴や亀を幼名に用いる例は少なくない。
後に、亀童丸の義兄となる於児丸は、我が子に「鶴寿丸」の名をつけた。
おまけ:名門中の名門・畠山家から奥方が来たとしたら、義隆の生母はどうなったのだろうか?
「北の方」ではなく「東向殿」などと呼ばれていた彼女は、唯一の嫡男を生むという功績をあげたわりには、正妻「格」になっていない。凌雲寺にある伝義興・北の方の墓に眠るのは誰なのか。研究者・創作家たちが久しく頭を悩ませてきた謎である。

最後にほっこり県の鳥

どうでもいいことではあるが、山口県といったら大内文化なのに、亀とは特にかかわりがないようで、鶴のほうが「県の鳥」に指定されている。案外と、他県の人は知らないかも。

まとめ

山口県の鳥=ナベツル

(政弘以降)大内家の跡継ぎの幼名は「亀童丸」。複数人いる。

ト・ホンホ 分国通信

大内氏と周防国について語っている未分類記事をまとめて置いてあるところです。人物解説などからはみ出して、まだ新たな CATEGORY 分類をしていないものです。

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