亀童丸&鶴寿丸 当主と重臣・名門跡継ぎの縁起が良い幼名

初めに「読み方」のコツをお話ししておくね。

内容によっては文章がとても長くなる。
メンドーって思ったら、
見出しと、まとめの囲み記事だけで、おおよそのポイントは分るので、飛ばしてしまってもだいじょうぶだよ。
(もちろん、文字を読むことは大事だけど、ここはきちんとした紙の本ではないからね)。
僕も間違えることがよくあるし、せっかちなので適当な知識でも書き始めるから、
頻繁にリライトするよ。より詳しくなっているから、何度も見に来てね!

星降る伝説と亀?

下松に降りた妙見様

山口県下松市には、北辰降臨の伝説がある。
国土の守り神である妙見菩薩が北極星の姿を借りてこの世に現れ、下松市にある松の木の上で七日七晩光り輝いたというのだ。
(北辰降臨伝説については場を改めて語る)
北辰は古代中国において北極星を指していた。
韓流ドラマ『麗』でも、北極星を「北辰」と呼ぶイジュンギ様に、現代からタイムトリップしたヒロインが、そうではなくてあれは「北極星」と諭すシーンがあった。
漢字圏共通の呼び名であるのかもしれない。
それが、日本に渡ると北極星、すなわち北辰は国土の守り神である妙見菩薩様と結びつけられた。

ご先祖様の守護神

下松に現れた妙見様に守られて、遠く異国の地からやってきた貴人は、やがて大内家の祖となった。つまり、大内家にとっての妙見は、先祖伝説と多いに関わりがある、大切な守り神なのである。

ハイ、その貴人ワタシ。琳聖太子で~す!!

妙見様と亀

妙見を守護神として祀っているのは大内家に限らない。あの山本勘助氏のような著名な戦国の武人が念持仏にされていたくらいだ。
妙見の姿かたちについては、諸説あり、これが絶対というものはないようだ。
大内家の場合は玄武の上に座しておられる。
玄武は亀と蛇が合わさった姿として描かれることが多い。亀は「長寿と不死」蛇は「生殖と繁殖」の象徴とされる。

名前に込められた思い

ゆえに、大内家の嫡子は幼名を亀童丸と称する。「長寿」の象徴である亀に、嫡子が平穏無事に成長するようにとの願いを込めたわけである。いっぽうで、亀童丸の名を得る、ということは、嫡子として認められた、ということにもなる。要するに、幼い時から跡継ぎは誰なのかをはっきりさせておくことで、後々の家督争いの火種を少しでも少なくしておこうという思いも込められているのだ。

意外に少ない? 亀童丸

アイキャッチの亀童丸は大内義興だが、大内家の嫡子は代々亀童丸なのだから、当然、彼ひとりではない。ほかにも、義興の父・政弘と息子の義隆がいる。また、幼児のうちに亡くなってはいるが、義隆の子・義尊も当然、亀童丸であったろう。
こうしてみると、これほどの栄華を誇った大内家に世継ぎの証である「亀童丸」を名のった者は、意外にも少ないことが分る。
正確な数はリサーチしていないし、ここでの主題ではないだろう。
要するに、この亀童丸の名乗りが定着したのは、長い歴史の中の、ほんの一コマでしかなかったのだ。

誰にも未来は分らない

系図に亀童丸の名前が見えるのは、政弘からである。これを根拠に、父の教弘が名付けたのが初めではないかと思う。ただし、系図一つでも研究の進歩の目覚ましい昨今、新説があらわれていたら申し訳ない。
調査が済み次第、ここに書き加えておく。
国土が豊かになり、まさに幸福の絶頂にあったとき、人々は、一族が未来永劫繁栄していくものと信じて疑わなかった。まさかそれが、わずかに数代で途絶えてしまうなど、誰が想像できたろうか。

ここまでのまとめ
異国から来る貴人を守るため「北辰」=北極星が下松に舞い降りた。
貴人は大内家の先祖となった。
北極星を司る神=妙見様の信仰が広まった。
嫡子に亀童丸と名付ける理由
一、亀は先祖の守り神、妙見様のお姿に似ている神聖な生き物である。
一、長寿で縁起がいい=嫡男には元気で長生きし、幸せであってほしいという願い。
一、早々と亀童丸が誰か決めておくことで、後々の家督相続争いを抑えようという備え。

鶴と亀のいわれ

大内家の跡継ぎは亀童丸、一門衆・陶家の跡継ぎは鶴寿丸。鶴と亀とは主従となって、末永くお家を盛り立てて行くはずであった。
鶴は千年、亀は万年というし、亀のほうが寿命が長そうである。だが、実際には、亀も鶴も長寿ではなかった。ざっと見たところ、鶴寿丸は全部で四人のようだ(正確なリサーチはしていない)。
陶弘護(謀殺)、陶武護(討伐)、陶興昌(病死)、陶長房(自害)、そして最後に幼名のまま亡くなった鶴寿丸……。
鶴寿丸はいずれも短命、それも横死であり、縁起が良いどころか悪かったのだ。

ご長寿様は鶴以外

亀と鶴の名乗りが始まってから、唯一長寿を全うした陶興房は嫡男ではないので、鶴寿丸ではなかった。ではどんな幼名であったのか、は分らない。最もメジャーな陶隆房ですら、若死にした兄のかわりに家を継いだのだから、やはり鶴寿丸ではないのである。

むしろ縁起の悪い名前?

陶家の嫡流の最後の一人となった鶴寿丸は、義尊同様、幼児のうちに亡くなっている。この鶴寿丸が陶隆房の子どもなのか、孫なのか、信憑性の薄い大内家の系図からは確認が取れないそうだ。息子説を唱える人がいるのは、隆房の子・長房が若くして亡くなっているから年齢的にあわないという理由らしい。
しかし、鶴寿丸という名がずっと嫡流に引き継がれてきた軌跡を見れば、恐らくは嫡孫なのであろう、と思う。

三十五歳で死んだ人物に孫がいるというのは、確かに現代の感覚では信じがたいが、今よりはずっと早熟な世界である。某有名歴史SLGでは、出産可能年齢をゲームの中での成人年齢と等しく十六歳としている。ギリギリセーフだ。

とはいえ、世間一般にはやっぱり縁起物

亀も鶴も縁起物だから、幼名に使う家は少なくなかった。やや異なるバージョンから、まったく同じものまで。そもそも、現代ほど人名にいくつものバリエーションがなかった時代である。
いちいち覚えておられないが、読書中に、あ、ここにもいた……という体験が何度も。ただ、どうしても「偶然」と思えないのが、ある鶴寿丸だ。

よく分ったね。そうだよ、息子には武護殿の幼名をもらったんだ

ええーーっ、そうなの!? 偶然なのかな、それとも?

じゃーーん。これを見てよ。

系図には女の人の名前って書いてないんだけど……。「娘」ってなってる澪は僕の妹だから、君は「弟」だよ。

うわ~兄上ができたのか。嬉しいなぁ。

お前らが縁組するのはもっと何十年も経ってからだから、時間軸目茶苦茶にするなよ。
だいたい、今は「東軍関係者」は鼻つまみ者だ。
庭園の主は、亀の結婚相手に、京の公家の娘でも探しているよ。

しょんぼり……。

義興正室の謎

童のやり取りはいいとして……。
そうなのだ。畠山尚順の息子・種長の幼名が鶴寿丸。まさに因縁めいたものを感じるではないか。

ちなみに、義興の妻についてもやはりよくは分らないのだ。義隆を生んだのが内藤家の娘なので婚姻関係にあったことは確かだが、「東向殿」といわれていたくらいだから、正室ではないはず。

正室ならば、当然北の御殿に住んでいる。東の御殿ではない。

尚順妹とされる夫人は、姉妹ではなく、娘だという説もある。義興が上洛していた頃に結ばれた縁と思われるので(残念ながら出典が不明です)、年齢が近い尚順の娘だと、それこそ年の差婚。三十代の男盛りと幼女のような組み合わせになりそうだ。

どちらの場合でも、内藤の娘なんぞより、数百倍北の方に相応しい家格であるし、どうみても足利義種政権下での政略結婚だから、正室扱いされそうではある。

凌雲寺にある義興墓の脇にある二つの墓石は、寺の僧侶と夫人のもの、とされているのだが……。いったいどの夫人のものなのか、そもそも、彼の正妻は誰だったのか、今はぽっかり空いた謎のブラックホール。

 

ここまでのまとめ
大内家の親族にして重臣・陶一門の嫡男は鶴寿丸を名乗った。
亀も鶴も、ともに縁起物で長寿の象徴。主従仲睦まじく、お家を支えて行って欲しいとの願いから。
希望的観測と現実は常に正反対
亀童丸の名を継ぐという「儀式」が取り入れられてから、家を守って行けたのは、わずか数代の間だった。
鶴寿丸のほうも悲劇で、誰一人長寿を全うできなかった。
縁起物ゆえ、鶴や亀を幼名に用いる例は少なくない。
後に、亀童丸の義兄となる於児丸は、我が子に「鶴寿丸」の名をつけた。

おまけ:名門中の名門・畠山家から奥方が来たとしたら、義隆の生母はどうなったのだろうか?
「北の方」ではなく「東向殿」などと呼ばれていた彼女は、唯一の嫡男を生むという功績をあげたわりには、正妻「格」になっていない。凌雲寺にある伝義興・北の方の墓に眠るのは誰なのか。研究者・創作家たちが久しく頭を悩ませてきた謎である。

最後にほっこり県の鳥

どうでもいいことではあるが、山口県といったら大内文化なのに、亀とは特にかかわりがないようで、鶴のほうが「県の鳥」に指定されている。案外と、他県の人は知らないトリビアです。

本日のポイント
山口県の鳥=ナベツル
大内家の跡継ぎの幼名は「亀童丸」。複数人いる。