雑録

大内家先祖伝説制作秘話 其の壱

2020年9月20日

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韓国ドラマで学んだ百済建国神話

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ミル

コグリョ、ペクチェ、シルラ……。

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新介

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ミル

高句麗、百済、新羅。琳聖様の子孫が分らなくてどうする? 韓ドラ見てる人なら皆、しっているよ。

ネイティブの発音と合致しているかどうかは別として、吹き替え版の日本語では上記のように読まれている。
朝鮮王朝時代を描いた時代劇が多数を占めるものの、三国時代を舞台にしたものもある。三国時代といえば、古代史の頃なので、ストーリーはほとんどファンタジーに近い。
中でも、とりわけ印象深くてお気に入りの作品が『朱蒙』。
高句麗建国神話を元にした、実に 80 話を超える大作。
国を建てるってすごいことだ
中国大陸と陸続きだとこんなにもたいへん
この朱蒙の子孫が大内家の先祖だ
……と、得ることがきわめて多い作品だった。
神話はあくまで神話なので、どこまで信じていいのかわからない。
しかし、ドラマはとてもリアルなので、すべて本当だ、と思ってしまった。
「歴史の分らない人間は司馬遼太郎作品を絶対に読んではならない」という禁忌をおかしたのとまったく同じ状態に。
朝鮮半島の古代史を知らなかったので、ドラマが史実だと思ってしまったから。

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ミル

でも、それでいいんじゃないの?

朱蒙はヘモスという英雄の息子だったが、扶余国の王子として育てられる。
やがて出生の秘密を知り、実父の遺志を継いで古朝鮮再興のために立ち上がる。
途中様々な困難が立ちふさがるが、朱蒙は志を同じくする仲間たちとともに、高句麗を建国する。
建国後。政略結婚した王妃(元は相思相愛の恋人どうしだったが、ゆえあってそれぞれ別の人と結婚していた。両名とも再婚)の連れ子にあたる王子二名は、朱蒙大王の実子と相続争いが起ることを避け、新たな国を求めて旅立っていく。
ほとんどラストにチラリなんだけど、この二人の王子のうち一人、弟のほうが百済を建国した「温祚」である。
※ドラマだと朱蒙は王子の実父ではないのだが、神話では実父とも。

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ミル

つまり、新介様のご先祖様です!

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新介

うわっ、そんな話、父上にも聞いたことなかったよ。

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ミル

お父上は「知っていた」はずです。新介様も当然しっているはずなんですが。教育係にきいていませんか?

多々良・大内建国伝説

しつこいくらい言っているので、「先祖は百済の琳聖王子」ということはもういいでしょう。琳聖の来日は聖徳太子の時代、とされているので、そこら辺、日本でも朝鮮でも、まだまだ歴史書の類が整理されていない時代です。
系図に三番目の王子が載っていない、との理由だけで琳聖なんて人は存在しないよ、と言い切っていいのだろうか、という思いもあります。確かにいたことを明示する根拠はないものの、存在しなかったと証明することも難しそうです。ひょっとしたら本当にいたかも知れません。
研究者の先生方が、この話を「作り話」だと仰っている理由は、歴代の当主たちが、意図してこの、自己ルーツ物語を製作した「痕跡」が残っているためです。聖徳太子の時代だと手がかりが少なくても、室町時代ともなれば文書も大量に残っています。この時代、琳聖なんていなかったと主張する学者はいませんでしたが、「いたことを証明」しようとあの手この手を尽くす大内家の当主たちがいたことが記録として残っているのです。
今回は「さわり」なので、ざっとアウトラインだけです。

義弘と朝鮮国王

最初に朝鮮半島に接近したのは二代目(弘世さんから数えています。なんで?)義弘さんから。当時朝鮮は倭寇に悩まされており、しばしば日本に取り締まりを求めてきました。その要望に応え、多いに力になってあげたのが、この方です。
朝鮮の人たちはたいそう喜び、大内家との友好関係を貴重なものと考え、貿易においてもあれこれと便宜をはかってくれました。
そこで、「いやぁ、当然のことをしたまでですよ、だって、私は百済の王族の末裔なんですよ。元は朝鮮半島出身なんですから。同じ先祖じゃないですか~」なんて話になって、お互いにさらに親近感が。
大内義弘は朝鮮国王に三つのものが欲しい、とお願いをしました。彼の一族が、百済王の末裔であることを知らしめる証となるもの、先祖の地(元百済の地)の領地、大蔵経です。領地まで与えることは家臣たちの猛反対にあって叶いませんでしたが、それ以外のことは協力してもらえそうでした。
残念ながら、朝鮮の人たちからも百済の時代はあまりにも古い。よく分らないから、百済建国神話から始祖・温祚王を引っ張り出してきて、その子孫だと説明することにしました。義弘が亡くなったため、このプロジェクトは中途でしまいになったらしい。
この頃、周防国では朝鮮式の建築物が建てられていたことが、当時の屋根瓦なんかから分っています。これも、「我々のルーツは朝鮮半島です~」の主張をアピールするものだとされていますが……。

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ミル

古代史とかかじってみたら、昔は国中皆で朝鮮の文化を取り入れていたことが分った。渡来人の子孫だって大勢いる。最初はとんでもなくレアだと誤解していたけど、なにも特別なことじゃない気もするね……。

大事なのは、「ルーツをはっきりさせる」ってこと。
それが源平橘でも、高句麗百済新羅の王族でもなんでも。
「誰だか分りません」というのが一番やっかい。
でも、じっさいには世間一般の人多くが、「誰だか分らない」んじゃないだろうか。
権力を得た人々は、どこの馬の骨か分らない、では困るから、できれば「貴種」をルーツに「はっきりさせたい」って思うよね。

何もないところからは何も生まれない。
恐らく、鼎の松に星が降ってきた、という伝説は元々語り継がれてきたものだったんだろう。もしかしたら、一人くらい朝鮮半島の王族が流れ着いたこともあったかも知れない。
ただの「言い伝え」や昔話は何の役にも立たない。星降る松も地元民の伝説で終わっては無意味である。多々良氏の先祖となった「琳聖」という王子が流れ着き、畏れ多くも王子を守護するために星が舞い降りたのだ、そこまで言って初めてかたちあるものとなる。系図にも書き込めるし、ほかの氏族にも自慢できる(?)。何より、民を導く領主として崇め奉られるに足る存在となれる。

具体化と神聖化

出来る限り具体的にするために、盛見の代には琳聖太子と聖徳太子がドッキングした。聖徳太子の伝説は古代からずっとあり、人々に信仰されていたから、それと関連付けることで琳聖もさらに神聖化される。

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ミル

車塚古墳を覚えてるかな? あれは琳聖太子のお墓だよ。まさにそれらしい「古墳」だけど、盛見さんが「そういうことにしてしまった」ものです。都合良く適当な古墳があったんでしょう。

嘉吉の乱で横死した持世をとばして、つぎの教弘の代。詳しくはこの人の項目でやるけど、この辺り、朝鮮貿易で優遇されている大内家になりすます「ニセモノ」が大量に出現した。「ふざけるな。我々だけの特権のはず」と教弘は朝鮮側にも取り締まりを求める。

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ミル

要するにかな~りいい加減な手続き方法だったんだね。

これより以降は、もっときちんとチェックしましょう、ということになって「通信符」なるものが発行された(これがどういうものかは、貿易や外交のところで)。
同じとき、教弘は盛見代までにだいたい形作られてきた「先祖伝説」を朝鮮の王様に説明。残念ながら先祖の話は口頭で語り伝えられているだけなので、きちんとした「史書」のかたちでそれを証明したものが欲しいのです、と『琳聖太子入日本之記』なるものを求めた。
タイトル通り、琳聖が日本にやってきたことを「文書」で記して欲しい、ってことだろうけど。実在しない人物についての出来事なんて書けるはずがない。ところが……。
なんと、朝鮮国王は本当に『琳聖太子入日本之記』を下賜してくれた!
先に、義弘が「我々は百済の王族の末裔なんですが……」と語ったときの朝鮮国王が、だったら温祚王の子孫ということに……と考えたあの記録が残されていたのだ。教弘代の朝鮮国王はそれを文字化したのだった。
何やら、大内家と朝鮮国王との共同製作的な色合いが濃くなってきた。

朱蒙の子孫、韓ドラを見る

伝説の完成

ここまできて、百済の王族末裔説はかなりくっきりとしてきた。
琳聖という人物が始祖であり、琳聖は百済の王族であり、大内家が百済王族の子孫であることは疑いない。それらの事実は、朝鮮の国王も「文書によって」認めている。完璧だ。
教弘の息子・政弘はそれでもなお、伝説を完成させるために奔走した。
応仁の乱で上洛したことをきっかけに、彼らの先祖神話は京の人たちの間にも広がる。いっぽうで、かれはこの機会に綿密な調査を行い、いくつかの「不具合」を発見する。
『新撰姓氏録』という古代氏族一覧表のような書物を調べたところ、「多々良」という渡来系氏族は百済ではなく、任那系の子孫ということが分った。くわえて、百済王族は「余」という姓だったのに、義弘期に朝鮮王が「決めて」くれたのは「高」という姓だった。
大内家と朝鮮王と両方とで、今の今まで気がつかなかったというのも妙な話だ。けれど、『新撰姓氏録』も政弘が京で貴族を仲立ちに書写して読み解いたというから、だれでもどこでも調査できるような環境ではなかったのだろう。
朝鮮王も三国時代のことなんてあまりに古すぎて……という反応だった。
逆に考えると、誰にもバレっこない古すぎる話なのだから、別にそこまで丁寧に調べなくてもいいのに、とも思える。
だがしかし、政弘という人は完璧を求めたようだ……。
これまで作り上げられてきた「伝説」はいくらか軌道修正された。
朝鮮国王が「決めてくれた」高という姓、これを百済王族の姓である「余」に変更した。
『新撰姓氏録』にあった任那系の子孫多々良氏と自分たちとは結びつけなかったのだろう。あくまで「百済王子孫」ということにこだわり、任那系に修正することはなかった。
そのかわり、琳聖太子の「存在」をより強烈にアピールする道をとった。
もしかしたら、聖明王の王子は二人までしか分らないこともはっきりしてしまったからなのかもしれない。
政弘が朝鮮に送った使節は「琳聖は第三王子である」と言い、「国史」の下賜を求めた。大内家に親切すぎる朝鮮国王はまたしも望み通りに下賜。
内容は「三国史記」高句麗百済建国神話の部分を抜き書きした「略記」。
かくして、政弘はこの略記を根拠に「大内氏家譜」を製作。
琳聖太子が推古19(611)にやってきたこと、妙見大菩薩がその守護神として下松に降臨したこと等々の我々が現在知るところの「先祖神話」が完成したのであった。

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ミル

「大内氏家譜」には朱蒙のことが載っているの。冒頭の韓ドラはここに繋がっているわけ。

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新介

僕の勉強不足で、教育係が父上に怒鳴られていたよ。

最後に

大内家の先祖が海外ルーツであることは東アジアを舞台に活躍していた大内家にとってたいへんに好都合とされるため、始祖・琳聖太子は、いずれの御時にか捏造された人物であるという学説のようなものが存在する。
いっぽうで、一部マニアの間で星降る伝説となって語り継がれているという事実も。

「捏造である、しかし、ルーツは海外であった可能性は否定することもできない」という現在定着している通説には説得力がある。

最近とある先生のご説を拝読し、分家の中でそれなり信憑性のある系図を残していた一族があって、それをたどると、果たして朝鮮出身であった、と。
ただし、それによると、百済ではなく、新羅(うろ覚えです)の系統であって、大内家の当主が大慌てで捏造したものとは微妙に違っていたと。

しかし、気になるのは、百済であれ、なんであれ、彼ら自身は、損得勘定無しに、海外にルーツを求めることをどうとらえていたのか、ということだ。

宮島で教わったのだが、日本人は全員天皇様を頂点として元々は一族であると。つまり、天皇様の一族も、大内から陶が出たのと同じように、どんどん枝分かれしてくる。なので、そこから、平家が出たし、源氏が出た。そうやって、また彼らの子孫が出た。大元たどれば、みんな一つだと。

ある意味すごい浪漫だと思う。私もあなたも、元をただせば皆、兄弟。そんな中で、君らは異国にルーツを求めた。それは、どこの王様の子孫かわからないが、異国から来た先祖だと知っていたからなのか? それとも、朝鮮と交易をするのに便利だったから適当に嘘をついたのか?

本人達に尋ねることができない以上、もう、これは永遠の謎。史料がでれば、事項の証明はできるかもしれないが、その人の心の中まではだれもわからない。それこそ「推測」だ。 そう考えると、なんでもありかな、と思う。

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ト・ホンホ

俺の先祖とイ・ジュンギやチョン・イルの先祖は兄弟である。羨ましいか?

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ミル

きゃっ、ジュンギさまーっ……。とか言うとでも? そもそも、あなたは朝鮮の商人ですよね? 先祖が朝鮮とか、いや高句麗でもなんでも、フツーのことじゃないですか。

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ト・ホンホ

ふふっ

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ミル

……。

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五郎

何なんだ? 今の野郎は?

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ミル

君と先祖が同じ人だよ。

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五郎

むっ。

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ミル

一緒にドラマを見ようよ。ご先祖様の活躍が描かれているよ。

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五郎

おじいさまのお話かな?

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ミル

もっともっと昔。でも、君のおじいさまみたいな弓の名手で、とっても勇敢な英雄の物語だよ。

※「先祖伝説」の話題はまだまだ続く※

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大内庭園・雑録

大内氏と周防国について語っている未分類記事をまとめて置いてあるところです。人物解説などからはみ出して、まだ新たな CATEGORY 分類をしていないものです。

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