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山口十境詩とは?

2023年1月30日

ミルイメージ画像

山口十境詩とは?

明国の使節・趙秩が、大内弘世の依頼で詠んだ十首の漢詩のことです。山口市内の美しい風景十ヶ所についてを題材としています。ゆかりの場所に石碑と説明プレートが立っており、町歩きをしながらかつての景色を偲ぶことができます。

明使・趙秩、山口に滞在

趙秩は1372年に朱本という人と一緒に来朝しました。この頃、大陸や朝鮮半島は倭寇といわれる海賊に悩まされており、その討伐のために日本政府に協力を求めたいと思っていました。なので、明国や朝鮮などの使節がやって来ることがありました。もちろん、来日する以上は、海賊退治以外に貿易などの目的もあったでしょう。

1372年は、大内弘世と義弘が九州探題を助けて大宰府を陥落させた年です。この頃はまだ、九州には南朝勢力が頑張っていた時でしたから、不安定な時期に来朝した感じですね。そもそも、趙秩は朱元璋の命令により、南朝征西府と交渉するためにやってきたのです。けれども、このタイミングで征西府が大宰府を追われてしまったので、京都へ向かうほかない、ということになって本州に渡ったわけです。弘世は1360年頃から本拠地を大内から山口に移転したとされており、その移転事業はだいたい1365年くらいまでかかったと考えられています。趙秩は新たな首都として始動していた山口に立ち寄ったのです。

結局、趙秩一行は山口に滞在しただけで、京都へは行かずに帰国してしまいます。翌年、趙秩は再び山口を訪れますが、これは弘世に招かれたから、であったようです。趙秩はしばらく山口に滞在し、春屋妙葩などの禅僧たちと詩文をやりとりするなどしました。山口十境詩は、この時に書かれたものです。弘世は趙秩を「古熊の西庁日新軒」でもてなし、「山口十境詩」の制作を依頼したといいます(参照:説明プレート)。山口の風光明媚な麗しさに感激してたくさんの詩を詠んだものとばかり思っていましたが、「依頼」されてだったんですね。

今説明プレートだけで書いているので、依頼の内容詳細まではわかりません。ココとココで詠んで欲しいと場所も指定されていたのか、十ヶ所詠んで欲しいと数を決めてお願いしたのか、あるいは単に、山口の風景を詩にして欲しい、と頼んだだけなのか。これまで掘り下げたことはまったくなかったけれど、十境詩についてはいやというほど色々な方々が研究なさっておられるので、つぎに見かけたら詳細に目を通しておこうと思います。

この後も、様々な使節が山口を訪れることになりますが、趙秩はそのもっとも早いひとりということになります。また、歴代当主たちが著名な文化人を招き、心尽くしのもてなしをして、自らもその優れた文芸に触れるということも、すでに弘世代にして始まっていたことがわかりますね。

現代に伝わる「山口十境詩」

趙秩が山口の風景を詠んだこれらの歌は今に伝えられ、山口県、山口市の自治体史にすべてが掲載されているだけでなく、様々な研究書類でも紹介されています。山口市を愛する人々(地元の方々だけとは限りません)にとっては、かなり自慢できるエピソードですから、絶対に避けては通れない話題です。

詩の中に詠み込まれた景勝地には「山口十境詩」の石碑と解説プレートが設置されており、ここがそうなのか、ということを視覚的に確認できます。自治体郷土史や研究書類は、漢詩文そのままを史料として掲載しているため、漢字が並んでいる……。となりますが、現地の解説プレートには書き下し文が載せてくださっており、運がよければ訳文も書いてあります(すべてではありません)。

元々風光明媚な場所を詠んでいるわけですから、市内観光をしていれば、普通に著名な観光スポットに置いてある感じです。しかし、当然のことながら、1300年代と現在とでは、周囲の風景も大きく異なってしまっていることから、寺社仏閣など(それすら、移転されず元々の場所にすべてあるとは限らないわけで)の近くに設置されているもの以外は、見落としてしまったり、そもそも探すのが骨だったりします。

そうは言いながら、なんとなく半ば見終えた気がしたので、意を決して残りすべてを探し出しました。三回の訪問ですべてコンプリートできました。

ミル吹き出し用イメージ画像(涙)
ミル

まあ、こういうものはスタンプコンプリートではないのですから、自然に町歩きしているうちにすべて見終えていた、という形を取りたかったのですが……。

五郎吹き出し用イメージ画像(笑顔)
五郎

全部確認できたのは、この庭園でも俺とミルだけ。素直に自慢すればいいじゃん。

「山口十境詩」全石碑

以下では、すべての場所の写真と原文、書き下し文、行き方などをお伝えします。説明プレートには、美しい現代語訳を載せてくださっている場所もあります(すべての場所ではありません)。書き下し文も含め、山口在住の郷土史家・荒巻大拙先生によるものです。書き下し文はともかく(これは誰がやっても同じになるから。漢文ダメダメで無理な場合は除いて)、訳文は先生の作品なので、こちらでご紹介することはできないのが残念です。ぜひとも現地に出向いて直接味わってください。

とはいえ、いかに素晴らしくとも訳文は訳文ですので、第三者のフィルターがかかっていることになります。本当は何を言わんとしているのか、ということは詩を書いた本人に直接聞くしかありません。それができない以上は、どんな風に解釈しようともそれは鑑賞者の自由だと思うのです。その意味では、たとえ何となくしか意味が分らなかったとしても、漢字の塊とにらめっこしているほうがいいのかも知れません。

原文については、『山口市史』、『山口県史』などの郷土史からいつでも確認できます。

猿林曉月

山口十境詩「猿林曉月」

曙色初分天雨霜
凄々残月伴琳瑯
山人一去無消息
驚起哀猿空断腸

山口十境詩「猿林曉月」

残念ながら、真っ黒。画像を編集して何とか書き下しと訳文を再現しましたが、「猿林」についての解説文は何をやっても無理でした……。

「暁色初めて分れ 天霜を降らす
凄々たる残月は 琳琅を伴う
山人一たび去って 消息無く
哀猿驚起して 空しく断腸す」

読解のヒント:イマドキの童的に、まったく意味不明なのは最初の一文です。「暁色初めて分れ」が「?」です。「天霜を降らす」は霜が降りてるんだ、ってわかるけど。荒巻先生の訳だと「あけぼのの陽光に晴れあがってきた寒気のきびしい霜の朝である」となっています。要は超寒い朝。月まで寒々。「山人」は「山居していた隠者」となっています。「猿林」なだけに、物悲しい猿の声まで。なんだかマジ寒すぎる詩なんですけど。

ちなみに、『大内文化探訪ガイド No.1中世文化の里』によりますと、「猿林」というのは、「猿もすべり落ちるほどの大木に覆われていたことからこの名称があ」ったそうです。

「猿林曉月」は古熊神社入り口にあります。また「猿林」には大内弘幸さんのお墓があります。趙秩さんが山口に来た当時は、弘幸さんの菩提寺も当然、もとの場所にあったと思われます。⇒ 関連記事:古熊神社大内弘幸墓

梅峯飛瀑

山口十境詩「梅峯飛瀑」

銀河誰挽玉龍翔
白練懸崖百尺長
噴向梅梢雨花落
濺人珠玉帯清香

山口十境詩「梅峯飛瀑」

「銀河、誰が挽く、玉竜の翔
白練、崖に懸かれり百尺の長
噴は梅の梢に向こうて、雨花落つ
人に濺ぐ珠玉は清香を帯たり」

読解のヒント:一行目も二行目も滝のこと。あとはそのまま。滝の水しぶきがあたって梅の花が散り落ちてしまうので、見物に来ている人たちには、滝の水しぶき+梅の花びらが降りかかるから、その珠玉のような水滴は清らかな梅の香りがする、みたいな(先生の訳見ているから明後日の方向に誤訳はしてないと思います……)。

どれだけ雅な方々がこの滝を眺めたことでしょう。それが今は涸れてしまっているとか……。説明プレート見てから滝見に行ったので、かなりショック。

法泉寺さま墓所の近くにあります。訳詩がとても美しい。法泉寺さまが梅の花の貴公子と呼ばれる由縁です。⇒ 関連記事:法泉寺跡

虹橋跨水

山口十境詩「虹橋跨水」

盤浸甃玉接東流
鞭石尋仙興未休
借得紫虹飛欲去
扶桑何処是三洲

山口十境詩「虹橋跨水」

「虹橋、水に跨がる
盤浸甃玉、東流に接しふ
石を鞭うち、仙を尋ねて興未だ休まず
借りに紫虹を得なば、飛んて去らんと欲す
扶桑何れの処か、是、三州」

読解のヒント:正直、これ完全意味不明ですわ。何やら仙人の世界を探して旅に出ちゃってるみたいなんですが。始皇帝が東方にある不老長寿の妙薬だかなんだかを探し求めたってどっかで聞いたけどね。検索すると出てくるけど興味ない。

説明プレートによれば、「虹橋はもと一の坂川上流の天花にあったが、ダム下に水没した」とのことなので、この石碑が置いてある場所は、もともとこの詩が詠まれた橋ではないのですね……。道理でこんなん見ても仙界への旅なんて想像もつくはずない。詠んだ人のインスピレーションに脱帽すると同時に、元の風景がどんなに麗しかったか見てみたくて仕方ない……。⇒ 関連記事:一の坂川

泊瀬晴嵐

山口十境詩「初瀬晴嵐」

非烟非霧翠光迷
谷口雲横日影低
都道嵯峨山色似
依稀疑是雒陽西

山口十境詩「初瀬晴嵐」

「泊瀬の晴嵐
煙に非ず霧に非ず、翠光迷ふ
谷口に雲連なりて、日影低し
京へて道ふ、嵯峨、山色似たり
依稀なり、疑ふらくは、是、洛陽の西なるか、と」

※この詩には、荒巻先生の訳詩は載っていません。ただし、以下の説明文にヒントがあると思います。

「泊瀬の晴嵐の由来
南北朝期、大内弘世公は周防・長門・石見三国の守護に任じられ、領都を山口に定め、憧れの京都などの名刹古社を勧請して創建を推めた。一三七二年、明使趙秩を古熊の西庁日新軒に招き、山口十境詩の賦詠を依頼。泊瀬の晴嵐は弘世公が奈良桜井の長谷寺十一面観音を尊崇して宮野江良の地に建立した真言宗泊瀬寺(廃寺)で詠まれた。
幽深な森林に被われ、広大な泊瀬の堤も築かれていたが、平成初年、樹木は伐採され堤も埋没されて地勢は激変。 本尊十一面観音は国宝。現在八幡馬場神福寺に安置する。
大内文化のまちづくり協議会
漢詩の訓読・解説は山口市在住の郷土史家荒巻大拙氏による」(説明プレート)

平成初年までは森林や堤は残っていたのですね。とはいえ、もう三十年以上も前のことですから、今ほど歴史的趣を重視した町づくりの意識も盛んではなかったのでしょう。そもそも寺院そのものはとうになかったわけで、開発が進められるのも当然です。何と言っても、今を生きている我々の生活空間の利便性追求が最重要課題ですから。神福寺の十一面観音って泊瀬寺から伝えられたものだったんですね。なんかそういう記述なかった気がする……。たしか、琳聖太子の云々とか。あ、今確認したけど泊瀬観音堂から移されたってちゃんと書いてあった……。⇒ 関連記事:神福寺

MAP をご覧くださるとお分かりかと思われますが、泊瀬堤跡とか泊瀬観音(何もない廃墟っぽい。跡地かな?)がありますね。せっかく来たのだから、見ておくべきだった……。再訪候補地がまた増えた。

清水晚鐘

山口十境詩「清水の晩鐘」

暮雲疎雨欲消魂
獨立西風半掩門
大内峯頭清水寺
鐘聲驚客幾黄昏

山口十境詩「清水の晩鐘」

「清水の晩鐘
暮雲疎雨、魂消えんと欲す
独り西風に立てば、半ば門を掩ざす
大内峰頭、清水寺
鐘声、客を驚かすこと幾黄昏」

「清水寺由来
山号を花滝山と呼ぶ清水寺は、寺伝によると大同元年 (806)に創建された山口盆地最古の寺院という歴史を持つが、室町期に至ると堂宇の傷みが著しく、応永年間 (1410年の頃)に大内氏26代盛見によって復興造営された。以後江戸時代にも数度にわたる修理により現在に至っている。なお山門には南北朝時代に制作された県文化財指定の金剛力士像2体が安置されている。
山号にふさわしく四季各々の自然美と共に山口の歴史を折り込み、明国の使者をして山口十境のひとつに選ば しめた古刹である。
大内文化のまちづくり協議会
詩の意訳と解読は郷土史家荒巻大拙氏による。」

いや、ホント清水寺って最高に奥ゆかしいところで、ミルたちが大好きな寺院さま筆頭。なにゆえにか=法泉寺さまの寺院って思うんだけど、何でだろ? ところで、漢詩は荒巻大拙先生が訓読・意訳してくださっておられるのですが、なぜか、訓読しかない説明プレートがあります。ここには「意訳」と明記されていますけれども、探してみましたが、見付けられませんでした。⇒ 関連記事:清水寺

氷上滌暑

山口十境詩「氷上滌暑」光凝山罅銀千疊
寒色清人絶鬱蒸
異国更無河朔飲
煩襟毎憶玉稜層

山口十境詩「氷上滌暑」

「氷上に暑を滌く
光は山罅に凝れり、銀千畳
寒色は人を清やかにして、
鬱蒸を絶つ
異国には、更に無し、河朔の飲
煩襟には、毎に憶ふ、玉稜層」

読解のヒント:要するに氷上は涼しい。「河朔の飲」というのがわかりませんが、荒巻先生の訳に「ここは日本なので中国の河北地方で行われる暑気払いの酒を酌む風習などまったくない」とありまして、なんだかんだ言っても趙秩さん、やはり故郷が懐かしくなっちゃったみたい。

氏寺・興隆寺にあります。文字通り氷上です。ただこれ、意外と見落としがちなので、気を付けてください。ミルがトロいだけなので参考にはならないかもですが。山口市に行ったら、どなたも必ず興隆寺には参拝なさると思うので、せっかく行って見落としたらもったいないので。⇒ 関連記事:興隆寺

南明秋興

乗福寺・山口十境詩「南明秋興」碑

金玉楼臺擁翠微
南山秋色両交輝
西風落葉雲門静
暮雨欲来僧未帰

山口十境詩「南明秋興」

「南明の秋興
金玉の楼台、翠微を擁し、
南山の秋色、両つながら輝を交ふ
西風、葉を落として雲門静かなり
暮雨、来たらんと欲して僧未だ帰らず」

読解のヒント:訳文が美し過ぎる。要するに美しくて静かな秋景色。こういうのは何となくしか意味分らなくても、書き下し文を音読していて気持ちいい、ってやつです。原文には一言も書いてないけど、訳文にはきちんと乗福寺の秋景色であるということがわかるように書かれていました。

乗福寺の秋景色の美しさは格別みたいで、地元の方々も絶賛しておられました。わずかに遅れた紅葉が残っている時に訪れたら、本当に綺麗でした。ただし、現在の乗福寺はわずかに当時の塔頭一つ分ってくらいに縮小されていて、大部分は発掘調査対象になっているわけで、この詩が詠まれた時の乗福寺の面影は多分ないでしょう。それでも、これだけ綺麗な秋景色なのだから、当時はどれほど……。考えると切ないね。

乗福寺にあります。これはとてもわかりやすい場所にあり、未だ「山口十境詩」って何ぞ? と思っていた頃にも、なんだかわからないけど看板だ、と思って撮影して帰っていたくらいです。⇒ 関連記事:乗福寺

象峯積雪

山口十境詩「象頭積雪」

夜来積雪象頭峯
老却渓山變玉龍
便欲乗龍朝帝闕
瑤階瓊宇更重重

山口十境詩「象頭積雪」

「象峰の積雪
夜来の積雪、象頭の峰
老却したる渓山、玉竜に変ず
便ち竜に乗りて帝闕に朝せんと欲す
瑶階宇宇、更に重重」

この「象頭積雪」とつぎの「鰐石生雲」とは椹野川を挟んで両岸にあります。ゆえに、鰐石を見に行ったついでに両方とも確認できます。これより先は荒巻先生の訳文がまったくありません。訳文があると、だいたいこんな意味だってことくらい、わかるさ、ははは、となるくせに、まったくないと、最後の三つの詩がとてつもなく難解に思えるのは気のせいでしょうか? 

『大内村誌』によれば、象頭山の辺りは詩が書かれた当時、それなり栄えていたところであった模様です。唯一誰にでも分るのは、象頭山に雪が降ったってことですけど、雪が降り積もった山の峰はまるで、竜みたいに見えたんですね(多分。だって、本当に竜に変身するはずないですから)。なので、その竜に乗って「天宮」(『大内村誌』)に行きたいなって歌です。言われてみれば、そのまんまの意味でもありますね……。難しいのは最後の一行ですが、最初にこの山の周辺は栄えていた、とご紹介したのには理由があり、何ひとつない野っ原のような光景ではなく、家々があった、ということが大事なのです。それらの家々の屋根にも雪が降り積もり、とても美しく見えたのでしょう。字面を見るだけでうっとりしますね。(参照:『大内村誌』)

鰐石生雲

山口十境詩「鰐石生雲」

禹門點額不成龍
玉立流溪任激衝
自是烟霞釣鰵處
幾重苔蘚白雲封

山口十境詩「象頭生雲」

「鰐石に雲を生ず
禹門の点額、竜と成らず
玉石、渓に流れて激衝に任す
是より煙霞、釣鰲の処
幾重の苔蘚、白雲封ぜり」

前述のように、二つセットで確認。山口駅からスタートすると先に鰐石、その後鰐石橋を渡った向こう側に象頭山です。⇒ 鰐石の重岩

試験に合格することを「登竜門」といいますが、これって、鯉が門を登って竜になるって故事から来ているということは、けっこう童時代に習って知ってたりしますね。ですけど、落ちてしまった場合、鯉はどうなるのでしょうか? 当然、試験には受かる人もいれば落ちる人もいるわけです。詩にある「点額」というのは、じつは試験に落ちることなのだそうです。要するに、門を登り切れなかった鯉は竜にはなれないってことですけど、登れない=額に傷を負って戻る、って可哀相なことになるんですって(知らなかった……)。

で、「禹門」=「竜門」なので、二行目の意味は、竜門を登り切れず、怪我をしてしまった鯉は竜になることができなかった、ってこと。このことと、それ以下の繋がりが今ひとつよく理解できていないのですが、登ることができたら、鯉が竜になれるくらいなので、激しい流れであることは確実です。鰐石川が重岩に激しくぶつかり(すごい急流なんですね。現在の有り様を見てもわからないけど。まあ、詩人の目には何もかもが美しく見えるので、常人には無理な光景も見えるのだと思いますが)、流れが岩にぶつかって生まれる水しぶきの辺りで、大きな亀を釣っています。

流れがぶつかっているのが重岩なのかどうかなど書いてありませんが、「幾重苔蘚」がつまりは重岩のことであろう、というようなことが『大内村誌』には書いてくださってありました。必死に竜になろうとして叶わなかった鯉。鯉の行く手を阻んだ激しい流れ。その付近でのんびりと大亀を釣っているというのがすごいなぁと思います。でも、不思議と、先生方の解説をお伺いしてから詩を眺めると、なんとなくその景色が目に浮かんでくるようになるので不思議ですね。(参照:『大内村誌』)

温泉春色

山口十境詩「温泉春色」

山川秀孕陰陽炭
天地鑄成造化爐
誰献玉鷗天寶後
派分春色致東隅

山口十境詩「温泉春色」

「温泉の春色
山川、秀孕たり、陰陽の炭
天地、鋳成せらる、造化の炉
誰か献じけむ、玉鷗、天宝の後
派分して、春色、東隅に到る」

なにゆえにこれだけ説明プレートが色違いなんだろうか? としばし悩む。文字通り湯田温泉にあるのですが、ちょっと細道を入ったようなところです。すぐ隣に温泉が湧き出ていました。

山口十境詩「温泉春色」

山口十境詩・全所在地と行き方

所在地 & MAP

猿林曉月 〒753-0031 山口市古熊1丁目10
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梅峯飛瀑 〒753-0071 山口市滝町11−11
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虹橋跨水 〒753-0035 山口市上竪小路
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泊瀬晴嵐 〒753-0016 山口市緑ヶ丘2−2
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清水晚鐘 〒753-0011 山口市宮野下
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氷上滌暑 〒753-0231 山口市大内氷上5丁目14
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南明秋興 〒753-0214 山口市大内御堀4丁目6−33
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象峯積雪 〒753-0043 山口市宮島町1−2
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鰐石生雲 〒753-0044 山口市鰐石町5−5
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温泉春色 〒753-0056 山口市湯田温泉3丁目5−11
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おすすめルート

まず、有名な観光スポットに附随して存在している場所についてはまとめます。すると、猿林曉月(古熊神社)、梅峯飛瀑(法泉寺跡)、清水晚鐘(清水寺)、氷上滌暑(興隆寺)、南明秋興(乗福寺)と、半分は自然に終わります。残り半分をわざわざ行かなくてはならないかどうかは気分次第です。

そのうち、虹橋跨水はたいがいどこかへ行く途中で通り過ぎるはずです。気になるのならば Googlemap のナビゲーション起動で早めにすませたほうがいいかと。なぜなら、気付かず通り過ぎている可能性大なので、もったいないからです。

象峯積雪と鰐石生雲は、山口駅から観光スポット集中地帯とは反対の方向に行くことになります。しかし、たいして遠くないですし、二つまとめて見れること、近くに厳島神社があるのでついでに見てもいいことなどから、隙間時間に組み込み。

問題は温泉春色と泊瀬晴嵐です。温泉春色のほうは、湯田温泉に宿泊している方にとっては造作もないことです。しかし、宿泊場所を山口にしており、温泉に入るために湯田に行く必要もない方が、わざわざこの石碑とプレートだけを見るために行くことにどれほどの意味があるのかは、ご本人しだいです。

泊瀬晴嵐は車ですとまったく何の問題もないのですが、徒歩だとすごいことになりそうです。泊瀬観音(跡地?)と泊瀬堤跡地が気になってしまったので、もう一度行きたいと思いますが、自衛隊駐屯地をぐるっと回って裏側(? 要するにサビエル記念公園と反対側)まで行き……というか、ほとんどもう、常栄寺に近いです。ここは普通、観光案内所でも徒歩で行くことはすすめてもらえない距離ですが、せめての救いは常栄寺よりちょい手前です……。正直、タクシーで回ってた妙喜寺とか常栄寺の付近ですので、健康のために歩きたい方以外は車で行って、途中停めてもらい、ほかのところもまとめて観光って日に組み込むしかないです。

※ちなみに、わざわざ行ってがっかりなさらないように、申し上げておくと、温泉春色、泊瀬晴嵐には、荒巻先生の麗しい意訳文はありません(202212 現在)。最悪、石碑を記念撮影するだけで終わりとなります(原文は図書館で見れますので、漢詩文の文字列を知るために石碑を探す必要はないです)。

山口十境詩・まとめ & 感想

山口十境詩・まとめ

大内弘世代、明国から来た使者・趙秩という人が、弘世の依頼を受けて作った十首の漢詩
山口の美しい景色を十選んで、漢詩に詠み込んだ
現在、それぞれの詩ゆかりの地に、石碑と案内プレートがある

理想は普通に町歩きをしていていつの間にかすべて見ていた、というかたちになることです。スタンプラリーのように、これだけをすべて回ろうとするのは、単なる暇つぶしにしかなりません。現状、詩が詠まれた当時とまるで変った景観となっているところがほとんどですので、○○八景とか、○○三景のごとく、ココをみたら山口のいいところまるわかりだ! というような意義はないです。

ただし、心配しなくても、自然にいつの間にか全部見ることになるので、あまり気にすることはありません。特に行きにくい場所にあるわけでもなく、たいてい何かしらの観光スポットの近くにありますので、文芸マニアで漢詩文研究している方は見付ける度に読んでいたら感動モノかもしれません。荒巻先生の訳文が素晴らしいので、特に「梅峯飛瀑」や「南明秋興」、「氷上滌暑」、「清水晩鐘」(訳文なし)あたりはおすすめです。「南明秋興」は紅葉の季節、「梅峯飛瀑」は梅の花の季節と書きたいところですが、梅峯ノ滝は現在水が涸れてしまっているので、詩の世界は味わえません。

五郎吹き出し用イメージ画像(涙)
五郎

なんだかあんまり達成感なくて、ひたすらにタクシー代金かかる企画だったね。

ミル吹き出し用イメージ画像(涙)
ミル

漢詩文も詠めない(読めない)のに、偉そうに回っていたから罰が当たったと思ふ。

参照文献:『大内文化探訪ガイド No.1中世文化の里』、『山口市史』、『山口県史 史料編』、『大内村誌』、説明看板
※参照文献調査中。

20230920 追記:『大内村誌』で「鰐石」について調べた際、「山口十境詩」中、大内村内にあるもの四首についての考察がありました。読書して勉強した範囲で、荒巻先生の訳文がない二首(象頭積雪、鰐石生雲)について、学習成果(? 成果なんてものではなく、やはりあまり理解できてないですが)を追加しました。

  • この記事を書いた人
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ミル@周防山口館

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