ミル@周防山口館

ミルアイコン

大内氏を愛してやまないミルが、ゆかりの地と当主さまたちの魅力をお届けします

【取得資格】
全国通訳案内士、旅行業務取扱管理者
ともに観光庁が認定する国家試験で以下を証明
1.日本の文化、歴史について外国からのお客さまにご案内できる基礎知識と語学力
2.旅行業を営むのに必要な法律、約款、観光地理の知識や実務能力

あなたの旅を素敵にガイド & プランニングできます

※サイトからはお仕事のご依頼は受け付けておりません※

琳聖太子イメージ画像

簡略通史

巻一:琳聖海東に渡り、大内県に采邑を得る

2021/11/9  

『大内軍記』第一話:大内家の先祖とされている百済の王子・琳聖が周防国多々良浜に着いたという伝説。氏寺・興隆寺と氏神・妙見の誕生まで。

玄済寺入り口にて

関連史跡案内

玄済寺(山口市吉敷)

2024/1/25    

吉敷毛利家菩提寺。毛利家墓所のほか、毘沙門堂内に大内義興念持仏とされる毘沙門天立像と位牌が伝わる。毛利家家老・福原弘俊の墓、吉敷願かけ地蔵、毛利家歴代を祭神とする宣徳社(天神山公園内)などがある。毘沙門堂は必見。

天徳寺「オオイチョウ」説明看板

関連史跡案内

天徳寺(防府市)

2024/1/24    

右田毛利家墓所、防府市天然記念物の天徳寺のイチョウ、源頼朝の五輪塔などがある。右田ヶ岳登山道コース入り口の一つにもなっている。右田ヶ岳にある観音堂は周防三十三ヵ所観音霊場の二十五番。

善生寺・本堂(2)

関連史跡案内

善生寺(山口市古熊)

2024/1/25    

もともとは大内氏重臣・内藤興盛の菩提寺だった寺院があった場所。その後、毛利輝元夫人(側室)の菩提寺となったが、明治時代に廃寺となり、その寺地に現在の寺院さまが移転してきた。雪舟作との伝承がある庭園が名勝となっている。

大林寺・観音札所看板

関連史跡案内

大林寺(山口市朝倉)

2024/1/25    

毛利家臣が、荒れ果てた寺院を再興して父君の菩提寺としたのが始まり。昭和時代に火災に遭い、堂宇はすべて焼失してしまったが、本尊だけは守られた。観音堂は、大内氏時代には高嶺にあったもの。十一面観音立像が県指定文化財で、周防国観音霊場の札所。

朝倉八幡宮・石段

関連史跡案内

朝倉八幡宮 & 湯田温泉神社

2024/1/25    

貞観年間に、宇佐八幡宮から勧請されたのが起源。大内政弘期に、今八幡宮と合祀されたというが、その後も存在し続けていたように思われる。大内氏の滅亡とともに廃れてしまったが、江戸時代に再興されて、現在地に移転。「七卿落ち」の人たち作の歌碑がある。

築山跡・説明看板

関連史跡案内

築山館跡(山口市上竪小路)

2024/1/25    

大内氏遺跡「築山跡」。大内氏館の別邸跡。大内教弘が造築した客人接待用館。のち教弘の隠居所、子息・政弘によって神格化された教弘を祀る宗教施設になったと考えられている。遺構として土塁、跡地内に八坂神社と築山神社がある。公園として整備された。

no image

関連史跡案内

漢陽寺(周南市鹿野上)

2024/1/25    

大内盛見創建の格式高い臨済宗寺院。日本庭園が有名で、ここだけで、様々な時代と様式の六種類の庭を楽しめる(七つのうち、ひとつは非公開)。元は大内弘世が建てた鹿苑庵だった。平成時代再建の本堂は元の姿を忠実に再現しているらしい(未見)。

高嶺城跡説明看板前にて

関連史跡案内

高嶺城跡(山口市)

2024/1/25    

最後の当主・義長(大友晴英)が毛利家の侵攻に備えて大急ぎで築城。未完成のまま籠城したのち、山口を棄てて逃走した。城は毛利家が補築して城番を置くなどして使用。大内輝弘の反乱などの際に、おおいにその効果を発揮した。江戸時代に廃城となった。

大内氏館跡文化財説明看板

関連史跡案内

大内氏館跡(山口市大殿大路)

2024/1/25    

かつての大内氏館跡。発掘調査の結果、土塁、池泉庭園、枯山水庭園、西門などの遺跡群を見ることができる。遺構は発掘後地下に埋め戻されたものと、現物や復元展示したものとにわかれる。枯山水庭園はほぼ当時そのままの姿の現物展示となる。