
大林寺・基本情報
住所 〒753-0061 山口市朝倉町3−14
電話 083-922-7264
最寄り駅
山号・寺号・本尊 岩戸山・大林寺
宗派 曹洞宗
大林寺・歴史
大林寺は兄弟山の西南麓、朝倉八幡宮の東隣にある。
萩市亨德寺の末寺。宝永元年(1704)、萩藩毛利家家臣、朝倉村の領主・十二代完道就晴が、荒廃していた吉敷郡小俣村の楞厳寺の堂宇を父・完道式部就旨の菩提寺「大林寺」として再興した。寺名は父の法名「一真院殿大林宗槐居士」からとり、本寺である萩亨德寺・三江祖元大和尚を招請して中興開山した。
完道就旨は貞享三年(1686)12月4日に亡くなった(70歳)。墓地は萩城内洞春寺にあったが、宝永元年(1704)に大林寺に改葬し、開基とした。
完道家は八代完道隆慶が毛利元就に仕えてから、十八代治平のとき明治維新で廃藩となるまで毛利家家臣として務めた。(以上、参照:由来看板)
朝倉八幡宮の社坊であった、とも伝わる。
三条公がこの寺を訪れ、山主に梅の花を褒めたところ、盃の中に花片が落ちたので
杯をわれにすゝむるこの寺の梅こそけふの主なりけり
と詠んだという。(以上、参照『山口県寺院沿革史』)
昭和四年8月、本堂庫裡からの出火で本尊以外のすべてが焼失。古記録、寺宝なども失われた。
その後、付近の廃寺の用材を用い、本堂・位牌堂・庫裡を再建したが、老朽化 が激しく、平成九年に庫裡を、平成二十六年五月に本堂・客殿等を改築した。(以上、参照:由来看板、『山口県寺院沿革史』)
大林寺・みどころ
周防国三十三観音霊場の三十二番札所となっている。本尊の十一面観音は山口県の有形文化財となっている。
観音堂
元々は大内氏の時代、高嶺・岩戸平にあった観音堂。大林寺開山の時、この地に降ろされた。本尊の十一面観音は、高さ96.5センチ、桧の一木造り、寄木造りの立像。胎内に「治承二年」の墨書があったことから、治承二年(1178)に禅忍十輪坊が制作したものであることがわかる。この時代の仏像で、制作年代、作者がわかることは珍しいことで、たいへんに貴重。(参照:説明看板)
ご開帳は三十三年に一度なので、いつでも本像を見ることはできない。観音堂が大内氏時代のものということであるけれど、昭和時代に本尊以外が火事で焼失してしまったわけなので、建物は再建物となる。残念です。
本堂
アクセス
山口駅からタクシーを使いました。
参照文献:『山口県寺院沿革史』、説明看板