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ミル@周防山口館

大内氏を愛してやまないミルが、ゆかりの地と当主さまたちの魅力をお届けします
【取得資格】全国通訳案内士、旅行業務取扱管理者
ともに観光庁が認定する国家試験で以下を証明
1.日本の文化、歴史について外国からのお客さまにご案内できる基礎知識と語学力
2.旅行業を営むのに必要な法律、約款、観光地理の知識や実務能力
あなたの旅を素敵にガイド & プランニングできます
※サイトからはお仕事のご依頼は受け付けておりません※
【大内庭園・雅の宴】
2024/1/23
大内政弘開基の寺院で、元は長山の地にあった。各種史料に登場する、大内盛見の別荘「碧山別墅」の所在地は長山だったとされており、当寺院にはそれに関連して大内氏家臣が額字を書いたとする古額が伝わっていたとか。真贋は不明。中谷正亮の墓所がある。
2024/1/23
満願寺は防府市にある真言宗御室派の寺院。毛利家の祈願所として大切にされていた寺院。境外仏堂である天満本地観音堂はもともとは、防府天満宮にあった酒垂山・満福寺の本尊だった。周防国三十三観音霊場の十四番札所。吉田郡山城跡に「満願寺跡地」がある。
2024/1/24
藤原鎌足が創建したとされる多宝塔。現存するものは室町時代の再建だが、国指定重要文化財となっている。花岡八幡宮の境内にあるが、真言宗御室派の寺院「華岳山・閼伽井坊」に所属する塔である。同寺院は元花岡八幡宮の社坊の一つだった。
2024/1/24
大内政弘母・妙喜寺殿の菩提寺が、大内義隆母・信如寺殿の庵に寺地を移し、何度かの廃寺の危機を乗り越えて見事に再興され、現在に至るらしい。寺院の変遷は毛利隆元夫妻の菩提寺がらみで、とても複雑。なお、妙喜寺殿墓所は常栄寺に残っている。
2024/2/10
明治維新の前、長州藩では攘夷を唱え、政治の中心を沿海部の萩から、内陸部の山口に移した。その時に、当主の居館および防御施設として建てられた西洋式の城郭。現在は跡地に県庁が建ち、藩庁門、土塀、石垣、砲台跡、土塁などの遺構が残されている。
2024/1/24
山口大神宮の境内内にある。大内弘世や義興が再建したといわれる古い神社で、近江の多賀大社から分霊を勧請したもの。延命長寿安産などの神様。『言延覚書』の作者、宝現霊社(現築山神社)創健者は多賀神社大宮司。大内氏とたいへんゆかりが深い神社です。
2024/1/24
平安時代に創建されたと伝えられている歴史の古い神社。本殿は室町時代中期(15世紀)、大内氏時代のもので、国指定有形文化財。本殿内にある、狛犬と随身像も山口市の有形文化財となっている。
2024/1/24
推古女帝の時代に、聖徳太子が建てた薬師堂が起源とされる。国司上人重源によって再建された。関白・九条兼実が再建を援助したため、兼実の呼び名「月輪殿」から寺号が月輪寺となった。薬師堂が国指定重要文化財で、県内最古の建造物とされる。
2024/1/24
宇佐八幡宮から勧請された山口市の八幡宮のひとつ。ご鎮座地から小鯖八幡宮とも呼ばれる。神様との別れを惜しんだ鰐が泣いて悲しんだ、という言い伝えが社名の由来。本殿と拝殿が山口市指定有形文化財となっているほか、相良武任ゆかりの社宝が二つもある。