鶴寿丸イメージ画像
 右田の山口屋敷で、侍女達に着替えさせられている鶴寿丸。この年やっと八歳。腕白で常に屋敷の庭先で駆け回っている子どもが、今日はしゅんと温和しくなっている。
――良いですか、御館様の前では粗相のないように。母に恥をかかせないでくださいね。
 母上からきつく言われ、傅役からあれやこれやの礼儀作法を叩き込まれて、頭が割れそうになっていた。
――いつものように悪ふざけがすぎると、お家の恥になりますよ。
「ああ、もう嫌だ。御館など行きとうない!」
 ついに鶴は爆発してしまったが、侍女達はそんな彼を完全に無視して己の役目を淡々と果たすのみ。
 どうにかこうにか、強引に支度をすませて、父・弘房とともに、主の館に参内する。
 当主・教弘は手狭になった山口の守護館のとなりに、新しい館を建てた。それが、築山館で、最近は、住まいもこちらに移して、接待やら宴会やら毎日が賑やかである。
 父・弘房の屋敷も、そこそこ立派だと思っていたのだが、やはり世の中は広い。その築山館の豪勢なことといったら……。
 しかし、鶴寿丸には美しい庭園を眺めているような心の余裕はまったくなかった。何しろ、遠くから眺めただけの御館様や若子様に直接お目にかかるのである。母上に教えられた通りきちんとご挨拶できるか不安で仕方がない。
 何事にも物怖じしない彼だが、礼儀作法だのそういう話になると弱い。
 右田の家は元々大内の傍流だから、元をたどれば、どこかで繋がっている。だから、御館様だなんだといいつつ、元々は親戚である。しかし、すでに枝分かれして久しく、どこまで辿ればその親戚関係を説明できるのかなど分らない。要するに、すでにこちらは家臣であり、御館様は雲の上の人だった。
「お招きに預かり恐悦至極に存じます」
「なんのなんの、今宵はうちうちの宴ゆえ、そう固くなるな。それで、そちらが鶴寿丸だな?」
 雲の上のお方の声が聞こえる。
「これ、きちんとご挨拶を」
 父に促されたが、もはやご挨拶の言葉は頭から抜けていた。
「……」
 誰やらくすりと笑う声がする。恐る恐る顔を上げると、文字通り、神のように厳かな御館様とその脇に絵に描いたような若者が座っていた。笑い声の主は彼である。おそらく、これが若子様・新介様であろう。十四歳の時、二月会のおこもりをすませ、今年十七歳となる。もう成人済みだ。
 いやはや、大内の家と陶の家とは、跡継ぎである嫡男が、ともに亀童丸、鶴寿丸という縁起の良い一対の名をつけて、互いに支え合っていこうという趣向なのだが、こちらはまだ「鶴」であるのに、亀のほうは、すでに時の将軍・義政様から「政」の字を頂戴して、政弘様になっておられる。
「益田家は我らと親しい関係にある国人だが、今もって身分は幕府の御家人。此度の縁組はやはり重要だ」
 御館様の言葉は神の声。鶴寿丸にはそれが自分とかかわりがあるなど、夢にも思わないのだ。ただ一つ、気になるのは新介様である。父の弘房からも常々言われていることだが、まだ幼い彼が、家臣としてお仕えすることになるのは、このお方のほうだ。
 どうすればこんな端正なお顔の若子様ができるのだろう? 先ほどからずっと、そのことばかりを考えている。ただ、新介様のほうでは、鶴には何の関心もないようだ。こちらが穴のあくほど眺め続けているというのに、てんで目もくれない。部屋に入ったときに、笑われてしまったのは、おそらく何か恥ずかしいことをしでかしたせいだ。そう思うと鶴の胸はしゅんとなってしまった。なぜかは知らぬが、「このお方には嫌われたくない」という強い思いがあった。だが、どうやら、軽々しく声をかけられるようなお方ではなさそうである。新介様は無作法な子供が広間に入って来た際に、思わず失笑した以外、にこりともしない。まるで無表情である。氷のように冷たい。
 いつもへらへらと人懐っこく、直ぐに誰とでも親しくなる鶴とは大違いだ。まるで、近寄りがたい。これが主の威厳というものなのか。しかし、御館様と父上のほうは先ほどから豪快に笑い続けていた。
「いやはや、有難い。めでたいことにございます」
「まだあまりにも若いので気の毒ではあるがな」
 そう言って教弘が鶴を見ると、その視線が新介にへばりついたまま離れずにいるのが、まるわかりである。咳ばらいを一つすると、弘房が慌てて息子を突いた。
「……あ?」
 驚いて大声を出した鶴寿丸に、政弘もやっとその存在を思い出したかのように振り返った。
「あ、ではないだろう。そなたの縁組の話をしているのだぞ」
「……え?」
 えんぐみ、と続けようと思ったのだが、後が続かない。鶴寿丸には、無表情な新介様のお顔に、もはや隠しきれない蔑みが浮かんでいるのが見えてしまったのだ。
 嫌われてしまった、と感じた途端、鶴の胸はまた最前と同様しぼんでしまった。
「何やら、人見知りのようだな。もっと大胆な童子かと思っていたが」
 御館様の言葉がさらに追い打ちをかけた。どうやら、親子そろってお気に召さなかったとみえる。こんな七面倒くさい礼儀作法がなければ、御館様が厳めしくなかったら、そして、新介様がここまで容姿端麗ではなかったら……。言い訳は山ほどあったが、鶴は常の鶴らしからぬいじけた子どもになってしまっていた。
「申し訳ございませぬ。親に似た武骨者でして」
「ならば、戦で大手柄を立ててくれるかも知れんな」
 おどおどする父の前で、御館様は呵々と笑う。鶴は頭がくらくらするのを覚えた。御館の中では、翼をもがれたよう。常の如く、自由に羽ばたくことが叶わない。鶴にはもはや、新介様に向けて顔を上げる勇気はなかった。
 こうして、政弘様と鶴寿丸との一対の主従の物語は、何やら気まずい初対面から始まった。

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