普門寺・大内家先祖の墓と幕末志士の息吹

大内正恒、弘直公ゆかりの寺・普門寺

大内正恒公創建の寺院を、弘直公が再建、その菩提寺となった。
寺は兵火で焼失し、天正年間に再興されたもの。大内正恒、弘直公から大村益次郎氏まで 山口の歴史は深くて長い
かつて、この地には大内正恒公創建の寺院があった。
その後、同じ場所に、弘直公がこの寺を建てたというから、その時にはすでに荒廃していたのかもしれない。
その後、弘直公の菩提寺となったが、戦火によって焼失してしまった。
中興の祖・維松円融和尚によって再興されたのは、天正年間のこと。
そして、幕末の頃、大村益次郎氏がこの寺を宿舎として藩政改革に参画。
その際、ここで兵学を教えた。
先祖の時代と維新の志士にゆかりある寺なのだ。

大内弘直公墓所


大内弘直公の墓とされる石塔。そのまま菩提寺とされる寺院の中に残されており、また、紆余曲折ありながらも、寺院そのものが存続している、奇跡のようなショット。
墓所(と伝えられるものも含め)が現存していても、菩提寺はなくなっていることも多く、たいへんに珍しい。

観音堂


大村益次郎氏が、兵学を講義する時に使ったのがここ。「普門塾」もしくは「三兵塾」と呼ばれていた。

本堂


説明文はなかったが、元々の普門寺は大寧寺の政変による兵乱によって焼失したとあるから、大内弘直公当時からのものではないだろう。
そうであるのなら、何らかの文化財指定がされているはずだ。

〒753-0070 山口県山口市白石3丁目4−1