関連史跡案内

日吉神社(山口市平井)

2023年11月30日

日吉神社(平川)・石段

山口県山口市平井の日吉神社とは?

日吉神社は山口市内だけでも何社もあるため、「平井日吉神社」とも呼ばれています。近江国日吉社から勧請されたと伝えられていますが、誰によって、いつ頃勧請されたのか、などの詳細はわからないようです。

大内氏の統治下にあった寺社で、何のゆかりもないはずはないですので、何らかの繋がりはあると思われますが、今のところ不明です。社殿には大内菱もついており、神紋ともなっていますが、現在の社殿は江戸時代に、移転再建されたものとなります。

日吉神社(山口市平井)・基本情報

ご鎮座地 〒753-0831 山口市平井 764
御祭神 大山咋神
社殿 本殿、弊殿、拝殿
主な建物 鳥居、灯籠、狛犬、神輿庫、鐘つき堂ほか
主な祭典 例祭(十月二十二日)、春祭(四月二十二日)、田頭祭(七月第三日曜日)、新嘗祭(十一月二十三日)
(参照:『山口県神社誌』)

日吉神社(山口市平井)・歴史

『山口県神社誌』には以下のようにあります。

「往古近江国日吉社より勧請と伝えられる」

さすがに、これだけだと、いつ頃誰によって伝えられたのかは、何もわかりません。要は、古すぎて分らないほど長い歴史をもつ神社である、と見なして差し支えないでしょう。

拝殿の所に、宮司さまと總代一同のお名前で書かれた達筆の看板がございます。

日吉神社(平川)・案内看板

平成二年に書かれたもので、「今上陛下御即位大礼」とございますので、現在の上皇さまが御即位なされた折に記されたものかと。由緒看板ではないので、由来沿革はわかりませんが、長く伝えられてきた祭祀を受け継いでこられた歴史が記されております。長文ゆえ、さすがに文字に起こすのは無理ですので、そのままご覧くださいませ。

鎮守の森が、松食い虫の被害に遭い、歴史ある松の木を伐採せざるを得ないという悲しい事情も書かれていますが、伐採した後には二千本の桧を植樹されたそうです。平成二年からはかなりの年数が経っておりますから、今は桧の森となっていることでしょう。

元の鎮守の松の木ですが、式年大祭のたびごとに、売却してその費用にあてておられたとか。たいへん立派な松の木だったんですね。しかし、松食い虫って本当に迷惑。北辰降臨の鼎の松も虫害で何代目かになっております。被害は日吉神社さまにも。神社さまだけに、害虫駆除とかできないのかな?

さて、日吉神社さまは県内どころか、市内にも数え切れないほどございますので、いちいち、「どこの」日吉神社さまとお呼びして区別しなくてはなりません。かように大量にあるのは、やはり神仏習合していた時代、日吉神社さまは山王社だったからでしょうかね。

大内氏の氏寺・興隆寺は天台宗。山王社と神仏習合していましたから。『神社誌』によりますと、通称として、「ひらいひよしじんじゃ、さんのうさま」とあります。数あるほかの日吉神社さまと区別するために、ご鎮座地を冠してお呼びする、昔の名残で山王社とお呼びする方がおられる、ということでしょう。

平井日吉神社さまは、元々河内の地にありました。江戸時代の寛永二年(1625)、火災によって現在の場所に移転なさったそうです。

大内氏とのゆかりは特に強調されていませんが、神紋は大内菱です。
(参照:『山口県神社誌』)

日吉神社(山口市平井)・みどころ

鐘つき堂

日吉神社(平井)・鐘つき堂

なにゆえにか靄っておりますが、鳥居のところに鐘つき堂がございます。鳥居の後ろに長い石段が見えております。ちょっとぞっとしますが、手すりもついておりますし、ゆっくりマイペースで慎重に上っていけば大丈夫です。

鳥居

日吉神社(平井)・鳥居

石段が始まるところに、どっしりとした石鳥居と大灯籠一対。これより神聖な領域という、荘厳な感じがします。

参道

日吉神社(平井)・参道

長い長ーい参道です。

御旅所

日吉神社(平井)・御旅所

参道脇に御旅所があるはず。『神社誌』の境内図によれば、位置的にここでして、灯籠などもあるため、これではないかと思われます。陶にあった春日神社の御旅所にも似たような石が置いてありました。

社殿

日吉神社(平井)・拝殿

拝殿の手前に手水舎があります。ちょっとわかりにくいですが、大内菱が二つ見えます。

脇からも拝見しました。

日吉神社(平井)・社殿(脇から見た図)

展望

日吉神社(平井)・展望

石段を上ったところから眺めた町並みです。展望がよいのは、それなり高台にご鎮座しているゆえにです。つまり、石段もそれなりあるということになります。

日吉神社横穴古墳群

日吉神社(平井)・横穴古墳群案内看板

「石段の途中から右に林の間を行くと」古墳時代の遺跡があるようです。石段の途中から右って!? て思いましたが、そう言えばこの石段は、手すりが真ん中についております。手すりを跨ぎ越すようなマナーの悪いことをせずとも、右折は可能ですね。しかし、横穴に関心はなかったので、看板だけです。

日吉神社(山口市平井)の所在地・行き方について

ご鎮座地 & MAP 

ご鎮座地 〒753-0831 山口市平井 764

アクセス

最寄り駅は湯田温泉(JR 山口線)です。山口大学のキャンパスにほど近いので、公共交通機関で行くことが可能だと思われます。今回はタクシーを使っていますので、歩いて行く行き方はわかりません。

参考文献:現地案内看板、『山口県神社誌』

日吉神社(山口市平井)について:まとめ & 感想

日吉神社(山口市平井)・まとめ

  1. 日吉社から勧請されたとされるが、その時期や誰による勧請なのかなどは不明
  2. 元は河内の地にあり、寛永二年(1625)に火災に遭った後、現在地に移転した
  3. 鎮守の森である松山は、二十五年ごとの式年大祭の資金となっていたが、松食い虫の被害によって松は伐採。二千本の桧が植樹された
  4. 市内だけでも数え切れない日吉神社を区別するため、「平井日吉神社」と呼ぶことがある。また、かつての名残で、「山王さま」という通称もある
  5. 参道石段から脇に入ると、古墳時代の遺跡があり、「日吉神社横穴古墳群」と呼ばれている

日吉神社の数が多すぎて混乱し、史跡巡りの観光客への対応を担当することが多いベテランタクシードライバーさまも勘違い。Googlemap で見ても、近距離に固まって日吉神社が存在するため、単に日吉神社と言ってもどこなのかはわからなくなります。黒川とお伝えしていたので、黒川の日吉神社だと思っていたら、違ってました……。地元のプロでも混乱するくらい、区別するのはたいへんということです。

まだまだあそこもここも参詣し終えていない状態ですので、次回はきちんと住所をお伝えして黒川の日吉神社に向かおうと思います。ですけど、そのおかげで、リストに入っていなかった日吉神社さまにまでご参詣できたので、むしろお得なことになりました(※観光客が、大量のリストを突きつけている状態だったので、運転手さんには 1 ミリの責任もなく、むしろ被害者です。感謝の言葉以外ありません。誤解なさいませぬようによろしくお願い申し上げます)。

ゆかりの地なのかどうかは分らないのですが、領国内にある寺社で無関係なものはない、という原則に従えば、勧請したのが、大昔の先祖だったことは十分にあり得ます。移転元の場所がわからないため(地名は分るのですが、地元民ではないためどこなのかわからない)、何とも言えないですが、現在地は大内からも山口からも近いです。勧請したのは先祖、その後も子孫に大切に信仰され、大内菱の神社となったという流れなんじゃないかなぁ、と思います(そうならいいな、と)。

こんな方におすすめ

  • 神社巡りが好きなすべての人
  • 日吉神社を信仰している人

オススメ度


(オススメ度の基準についてはコチラをご覧くださいませ)

畠山義豊イメージ画像
次郎

「日吉神社を信仰している人」は、地元の日吉神社に行けばいいだけじゃん。

ミル吹き出し用イメージ画像(涙)
ミル

そういう人が山口に来たら立ち寄ってください、って意味だよ。

五郎吹き出し用イメージ画像(怒る)
五郎

お前は勝手に大阪の日吉神社に行けばいいだろ。とっとと出て行けよ。俺たちは県内の寺社巡りをしているだけだ。「おすすめ」とやらはミルが適当にない知恵を絞って考えているだけだから、変な分類だと思うなら見なけりゃいいんだよ。

ミル吹き出し用イメージ画像(涙)
ミル

(どうせ頭は空っぽですが、君はありのままを言う素直な子なのか、嫌味な子どもなのかわからないです)

五郎イメージ画像(背景あり)
五郎とミルの部屋

大内氏を紹介するサイト「周防山口館」で一番の人気キャラ(本人談)五郎とその世話係・ミルが、山口市内と広島県の大内氏ゆかりの場所を回った旅日記集大成。要するに、それぞれの関連記事へのリンク集、つまりは目次ページです。

続きを見る

  • この記事を書いた人
ミルイメージ画像(アイコン)

ミル@周防山口館

大内氏を愛してやまないミルが、ゆかりの地と当主さまたちの魅力をお届けします
【取得資格】全国通訳案内士、旅行業務取扱管理者
ともに観光庁が認定する国家試験で以下を証明
1.日本の文化、歴史について外国からのお客さまにご案内できる基礎知識と語学力
2.旅行業を営むのに必要な法律、約款、観光地理の知識や実務能力
あなたの旅を素敵にガイド & プランニングできます
※サイトからはお仕事のご依頼は受け付けておりません※

-関連史跡案内